軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「主権在民」のはずの国民が…

民主主義とは『主権在民』、つまり人民が権力を所有し,自らこれを行使することだと教えられた.ところが今回の東京都議選では投票率は43・99%であり,都議選史上二番目の低さだったという.以前行われた千葉県選挙もその程度の投票率であった.いや,国内の選挙は殆ど50%の投票率そこそこに落ち込んでいる.国民が『主権行使』をサボっているのである.
有権者の意識が低いといえばそれまでだが,選挙が、休日にわざわざ時間を取って投票に行くほどの魅力がない行事になっているのも確かである.それは期待に足る立候補者が見あたらない、という事が有権者からそっぽを向かれる原因の第1であろう.
若者達の中には,「あれ(選挙)は,立候補者の『就職活動』で,年収2000万円の仕事につくための活動だ。我々の就職活動は誰も応援してくれないが,彼らは選挙という就職活動をしている.そんな奴のために折角の休みに応援に行く気にはなれない」と言った者がいたが,考えさせられる.確かに就職先がなくて苦しみ,漸く就職しても「サラリーマンの増税」が検討されているようでは、若者達にとっては、街頭で「利いた風な口をきき」自分の名前を連呼して恥ずかしげもない立候補者に同情心が沸かないのも頷ける.だからといって,棄権する事が正当化される訳では決してない.
イランの大統領選挙は,そんな若者達と同じような考えでイラン国民が選挙を棄権したから,蓋を開けたら『元テロリスト仲間?』が大統領になってしまったらしいが.驚いてももう遅い.悔やんでも始まらない.
米国は,もともと『テロ支援国家ならず者国家』に指定していたイランに,現実に反米の過激派仲間が就任したのだから,いずれ国民が回避すべきだと期待していた「何かが」起きるであろう.
ヒトラーも選挙の盲点をついて総統になり,ホロコーストを実行した.こんなはずではなかった!と当時のドイツ国民は反省したのではないか?
我国でも,こんな状態が続けば,大多数の国民が好むと好まざるにかかわらず,イランのような事態を招きかねないのではないか?と心配になる.