軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

普天間基地移設問題解決を急げ

今日は新聞の休刊日、そこで昨日濡れて読めなかった「古新聞」に目を通したのだが、普天間基地移設問題で「政府が修正に着手した」という記事が目に留った。何度も書いた問題だが、今日は少々長くなるが、過去の参考事項を挙げておきたい。
記事によると政府は「辺野古浅瀬案」の修正作業に着手した、というのだが、「建設予定地に生息する国の天然記念物ジュゴンサンゴ礁保護を求める反対運動」に配慮しつつ進めるというのである。どの程度「配慮」するのか知らないが、それによっては再び「後任者負担」となって、延々と議論が続く予感がしてならない。そうなれば日米関係は破綻の危機に直面する。この問題は私が沖縄在任中に突如生じたものだが、沖縄県始め提供地主の誰一人として知らされてはいなかった、正に「寝耳に水」の出来事であった。
発表を聞いて驚いた地主一行が、返還反対運動を模索したり、普天間に限らず、他の基地関連地主達が「パニック」に陥ったことは既に書いた。「民の心を己が心」としない為政者による、軽薄な「パフォーマンス」だったと私は見ていたのだが、案の定、移転先と見られた辺野古沖に、突如「ジュゴン」が現れた!。サンゴの保護については、その昔自ら落書きをして他人のせいにした「自然保護やらせ記事」事件の当事者である朝日新聞が書けるわけはないから、今度は「ジュゴン応援団」が結成された。現地の人の中にはこの応援団を見て「自分はイルカを取って食いながら、ジュゴン保護なんてよく言えたもんさ」とはき捨てるように言った人がいたが、主力は「基地撤去、ヤンキーゴーホーム」が目的の「外人部隊」なのである。だから、中国の「靖国参拝反対運動」と同様、政府が如何に「修正作業」で誠意を示しても結論は明白である。
反対の最大の理由は「本土から来た応援団体」による「反米活動」であり「ダメなものはダメ」の発想なのだが、中には「基地返還反対派?」による反対運動も散見された。それは、万一普天間基地が返還されると、自己申告制で保証人が一人ついただけで認定されてきた提供地「登記簿」の実態が明らかになり、地元が大混乱に陥るからであろう。つまり、本土でもそうであるが、東京大空襲などで一面の焼け野が原になった跡を「他人様」が勝手に占拠し、疎開から帰った地主が追い出された、あの戦後の混乱期を思い出せばよい。
銀座でも心斎橋筋でも、その例は枚挙にいとまがないはずだが、この問題が浮上すると「善良な」沖縄県人に対する日本人のイメージがダメージになる恐れがある。稲嶺知事はその辺を考慮して苦悩しているように見えるが、そうでなければ反対する理由がわからない。

ところで冒頭に書いた「参考事例」だが、これと同じ問題は、米海軍のNLP問題で証明済みである。厚木基地で行われる空母艦載機のパイロットが、技量維持のために行う夜間離着陸訓練の騒音がひどいから、訓練を厚木でやるな!という問題である。そこで防衛庁は「三沢」「百里」など、航空自衛隊の基地で実施することを検討したが、これまた騒音問題でめどが立たず、遂にはるか太平洋上の硫黄島で実施「させた」。これについても米海軍は怒り心頭に発している。日本を「守ってやっている」と自負している米海軍将兵に、日本政府は訓練の場を与えないばかりか、邪魔者扱いにしている態度を怒っているのである。若いパイロットが「これが同盟国の取る態度か?」と私に聞いたことがあった。
そこで代替地として「三宅島」が浮上したのだが、防衛施設庁がこれを検討していることがどうしたことかメディアに流れた。すると「直ちに」反対運動に火がついた。

当時私は空幕広報室長であったから、その手の裏話には事欠かないが、三宅島に一番乗りしたのが「共産党の活動家達」、次が朝日新聞だったらしい。現地取材から帰ったある放送記者が島民達のインタビュー録音を聞かせてくれたが、私はテープを聴いて唖然となった。
島に先行上陸した一行は、島民達を説得?して歩き、中には「米軍が上陸してくると、婦女子は全て強姦される」と脅かしたというのである。ソ連兵やシナ兵ではあるまいし、信じがたいことだが、純朴なお年よりはそれを信じているらしく「おびえている」。中には、防衛庁の調査結果を見てからでも遅くはないのではないか?と疑問を呈しただけで、村八分にされて店の商品の不買運動をされた方もいた。彼が「私が山の中で死体で発見されたら、間違いなく殺されたのだと思ってほしい」と言ったので、記者は二の句が継げなかったという。結局「三宅島案」は葬り去られたのだが、反対派の反対理由は「自然破壊阻止、豊かな森林を守れ、小鳥達を守れ」という、普天間基地の「ジュゴン保護」と軌を同一にした「ワンパターン」ものであった。確か朝日新聞は「三宅島の自然特集」を組んだはずである。その直後の村長選挙で、絶対反対派の寺沢晴男氏が当選、反対派が「誘致賛成」及び「中立派」の村議二人のリコール運動を起こすなど、自然に恵まれた島は人間の「不自然な」醜い争いの場と化した。

1986年1月8日の東京新聞NLP問題で「金丸氏ら下旬に派遣」と題して、推進派の自民党と反対派の社会党と「全面対決」と報じた。この時の自民党の判断は、①候補地の三宅島島民の反対が予想以上に根強い②党が前面に出れば反対島民を一層刺激しかねない、というものだったが、現在の普天間問題に対する判断とそっくりである。
火をつけた朝日新聞は同じ日何気なく「島民対立、再び深刻に」として、防衛施設庁の係官が近く派遣されるとだけ書いたが、島民の対立を深刻にさせたのは朝日とそのグループであったことは明白である。2月18日、サンケイは「自民Vs社会、三宅島の対決」と題してこの問題を特報したが、「・・・15日に藤尾正行政調会長自民党役員9人が現地入り、建設への協力を訴えたのに続いて、今度は建設反対派の社会党が17日、山本政弘副委員長を団長とする初の調査団を送り込んだからだ。58年10月の大噴火以来、大揺れに揺れる住民の危機感はいやがうえにも高まっているが、こうした中で、空港建設の見返りとなる開発事業をめぐって、住民の本音も噴出し始めた」とリードに書いた。「島を一周する道路沿いには『米軍基地絶対反対』『新空港の説明会を聞こう』と言った賛否両派の看板が林立」とサンケイは書いたが、結局犠牲になったのは純朴な三宅島島民であった。

沖縄もこれに瓜二つである。成田闘争百里基地闘争などなど、「戦争反対の新聞、政党」らしからぬ荒々しい看板が林立、日本人の心を荒廃させてきたが、一体その後誰が責任を取ったのか! 成田闘争で空港反対を唱えた党首が、横浜港から船に乗って海外に行くという「信念を貫いた」話は全く聞いたことがない。恐るべき「偽善」が日本社会を荒廃させてきたが、これら「社会倒」議員の彼ら、彼女らにも高額な「議員年金」が支払われているのである。
三宅島島民のように、純朴な沖縄県人の心をこの問題で荒廃させてはならない。そして未だに宙に浮いているNLP問題も放置したままでは日米関係に禍根を残す。
10日の産経新聞には、米側は「罵倒して席を立った」(閣僚経験者)、「米軍再編は日本だけが決着していない。米国の苛立ちは相当だ」(外務省首脳)とある。
席をけって罵倒されなければ気がつかない、先に進めない外交交渉なんて、小学生でも出来る。今や「朝日」も度重なる大失態で士気は上がらず「夕日」同然、後は沈むのを待つばかりである。社会党の生き残りはごく少数、民主党内の生き残りもさほど戦力とは思えない。三宅島の時とは「環境」は大きく変化しているが問題は「沖縄県の実情」である。政府関係者は、少しは「過去に学んで」地元に飛び、膝を交えてその意見の裏にあるものを聞きだし、速やかに解決策を立てて欲しいものである。