軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ワレ、B−5(轟炸5型)を撃退す!

 米空軍パイロットとの『友情物語』を書いたところ、予想外に好評であった。こんな内輪話は、めったに聞けない、との事で御要望も多かったから、そこで今回は、中国空軍パイロットとの交流体験談を書いておこう。
 平成13年12月、上海での会議を終えた我々は、中国人民解放軍の将校用の宿泊施設である「南京空軍第3招待所」での夕食会に招かれた。奥まった食堂には陸海空軍の元軍人や現役将校たちが待っていて、緊張した面持ちで我々を迎えてくれた。
 食堂には大きな円卓が二つあり、それぞれに紙製のネームプレートがおかれていて、「空軍OB」である私は、上海国際問題研究所の朱常務副会長と並んで席に着くと、同研究所の呉教授が、解放軍関係者たちを次々に紹介してくれた。私の右隣は現役の戦闘機パイロットT空軍大佐、その隣は航空士のC空軍大佐、OBのT元陸軍参謀本部大佐、現役の上海警備区司令J陸軍大佐であった。紹介が終わるとそれぞれ握手を交わしたのだが、T大佐からいきなり「航空自衛隊パイロットの年間訓練飛行時間」を聞かれた。「我々は年間160時間を切らないようにしているが、多いところでは200時間を越えているところもある」と答えると、一瞬驚いた表情をしたが、「特に教育部隊は大変忙しい」と付け加えると、「我が空軍も教育部隊は忙しい」と答えたので、「中国空軍の飛行時間はどのくらいか?」と聞き返すと、「我々は年間120時間である」と答えた。
 米国の専門家の報告によると「中国空軍は平均25時間」と言われているが、多分彼はSU−27教育部隊のことを言っているのだろう、と考えた。
「将軍の飛行時間3800時間はすごい」と言ったので、「私は少ないほうだ。私の同僚達は殆ど4000時間を越えている」と答えると二人の空軍大佐は目を丸くした。彼はMIG―21を中国でライセンス生産したF−7(Jian Ji7)のパイロットだそうで、私が「大佐の飛行時間は?」と聞くと「2800時間だ」という。「沖縄に侵攻してきたら私の育てた部下たちが君たちを全機撃墜するから覚悟はいいな?」というと、「冗談ではありません。J−7は沖縄には届きません。良くご存知でしょう」と言った。
 二人の会話に熱心に聞き入っていた若い航空士のT大佐はなかなかの好青年で、元参謀本部の小柄で「好々爺」のT元陸軍大佐は「司令部幕僚勤務だけで全く部隊経験がない」と言ったからキット「政治将校」だったのだろう。J陸軍大佐は「APECで厳重な警戒体制を敷き見事にその使命を果たした」と自慢げであったから「おめでとう。ご苦労さん」と握手を求めると、厳つい表情が崩れて子供のような笑顔が印象的であった。
 そのとき、隣のテーブルから紹興酒とワイングラスを片手にした長身の男が私の傍にやってきて「日本空軍の将軍と乾杯したい」という。呉教授がT大佐に彼のことを尋ねると「爆撃機B−5(轟炸5型)のパイロットで元空軍大佐、この招待所の支配人だ」という。私が席を立って彼と握手すると、彼は私にグラスを手渡し並々と紹興酒を注いだ。全員が注目する中、二人で肩を組み合って「乾ペー」と叫んで一気飲みしたのだが、彼はちょっと咳き込んで顔をしかめ乾杯が遅れたので、瞬時に飲み干した私が「B−5を撃墜!」と杯を掲げると、彼は頭を掻きながらテーブルに戻った。「日本のファントムが勝ちました!」という教授の“判定”で、我がテーブルは大いに盛り上がり、特に戦闘機乗りのT大佐は大喜び、皆で次々に乾杯したのだが、その後の“B−5”の反撃は凄まじかった。
 彼は頃合いを見計らって私の傍まで“渡様爆撃”を繰り返し、そのたびに2人で肩を組んでは”乾ぺー”を繰り返すのである。私の記憶では7回「迎撃」したと思っていたが、翌日教授が「9回でした。私は心配だったからちゃんと数えていました」と言ったので、それが正しかったのだろう。9回とも確実に撃退すると、隣のT大佐と大いに意気投合して、そのつど彼と又祝杯を挙げるのだからたまらない。
 隣のテーブルには、我々の団長であるK元海将補や、Y元海将、K元海将など、海軍関係者が着席したため、中国側も主として海軍将官たちを配置していたのだが、我が“空軍テーブル”の盛り上がりに刺激されたらしく、ここでも一気飲みが行われ“標的”にされたのは一番若いK元海将であった。
 夕食会が終わると皆と握手してわかれたのだが、B−5は完全に“スクラップ”と化し、反応がなかったから、彼らの目には少なくとも「日本海・空軍強し!」という“尊敬のまなざし?”が感じられた。
 ところが意気揚々とホテルに戻り、翌日の出発時刻を確認して部屋に入り、服を脱ぎ洗面所に入ったところで「フレームアウト(エンジン停止)」してしまった。
 9回連続のスクランブルでさすがのファントムも“故障”したのだが、これは防衛秘密である・・・。実は隣室のK元護衛艦隊司令官も“潜水艦隊司令官”になっていたらしいのだが・・・。しかし、2人とも“実戦”では“B−5とソベルメンヌイを撃退した”のだから満足であった。
 余談だが、2年後にB−5の元大佐と再会したが、彼は今度は私の傍に座り「前回は紹興酒だったから悪酔いしたのだ。今回は前回の戦闘機乗りたちも排除したから高級酒の老酒でいこう」と挑戦してきたが、呉教授が「明日会議があるから」とうまくとりなしてくれた。彼は東北(旧満州地方)出身とのことで、長身であることがそれを証明していた。その時プレゼントされた「高級酒」は未だ手付かずのまま私の部屋に飾ってある。