軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

中国漫遊記5 「討議その3」

 11時50分から開始された討議は実に活発であった。発言者に対してそれぞれ質問が集中したが、陳上級大佐は「軍人同志の交流が必要である」と前置きして、主として金田氏の「中国の軍事拡張論」に対し、
1、 地政学的角度から見て、不同意である。それでは全体像を見失う。
2、 日本人全体が「悲観的」だと見える。情緒的にものを見ると回りは全て敵になる。そうなれば「隣人の寝言も気になる」ことになる。
3、 日本人が「米国的な理論」で発言するのはいかがか?
 それに対して金田氏が反論、私はメモ帳に「中国が13億人を養うのは中国の勝手であるように、日本にもそれぞれの国情がある!」と記している。(発言の機会は時間の関係上かなり制約された)
 続いて李元海軍少将が海南島事件(米海軍のEP-3Cと、中国海軍のF-8戦闘機が接触墜落した事件)について、大意次のような補足発言をした。
1、 パイロットの王は自分の部下であり、家族ぐるみの付き合いであった。
2、 彼は勇敢な愛国者で、当日沿海を偵察飛行していた。
3、 国益を守るための行動であった。
4、 米軍のEP-3Cは、中国の排他的海域に侵入し有害通過をし、領海、領土に侵入した。
5、 愛国者同士でも戦争は起こる。愛国の質が異なるからである。
6、 新しい愛国者は国全体の利益から考えるべきではない。一人の党、一人の政治家から考えるべきではない。
7、 小泉は間違っている。日本の外交に損害をもたらす行為である。小泉の愛国主義は米国以外の国と何故友好的ではないのか?

 これに対して私は特に発言を求めて次のように反論した。
1、私も長年航空自衛隊スクランブル任務についてきたものとして、「領空侵犯」について考えを質しておきたい。
2、米海軍のEP-3Cが飛行していた空域は「公海上」であったと認識している。したがって
貴国のF-8と接触したのはあくまでも「公海上」であった。
3、「公海上」では行動の監視はしても、相手機の行動の自由を阻害してはならないのは国際間の常識である。
4、あの事故は、F-8の異常接近が招いたものであり、接触後米軍機は貴国の領空、領土内に緊急着陸したのだと了解している。
5、 小泉首相は、日本国民自身がいつでも交代させることができる。事実、小泉首相自身が、来年9月には引退を表明している。それに比べて貴国の胡錦濤主席は選挙で選ばれてはいない。どちらが不透明か自明であろう。
 それに対して李少将は、「米軍機が急に変針したから起きたアクシデントだ」と言ったから、「航空自衛隊では、公海上での監視行為は相手機の行動を阻害しないように義務付けられている」と反論、万一領空に近づいたならば厳重に警告する。それを無視した場合には、撃墜をも含めた厳重な処置をとる。したがって通常の警戒監視飛行中には、相手機が如何なる行動をとっても接触することはありえない。あの接触事故の場合には、米軍機が如何なる行動をとっても、回避できるような態勢を維持して監視すべきであった、と苦言を呈すると少しおとなしくなったが、「米軍機は過去数回同じような飛行をしてきた」と言ったから、私が再度「領空侵犯ならいざ知らず、公海上での無害飛行の自由は確保されている」と切り返すと、傍にいた王研究員が「EEZ!」と大きな声で発言した。つまり、公海上であり、領空ではなかったことを公言したのである。
 この間の討議は軍事専門用語が飛び交う聊か声高な意見の応酬になったから、文官の研究者達は沈黙を続けていた。
李少将が沈黙すると、隣席から陳上級大佐が「外交は内政の延長である。内部から改める必要がある」と発言したのが興味深かった。
 こうして約一時間討議が続き、12時42分に議長が「昼食タイム」を宣言して、終止符が打たれ、職員たちが弁当を机の上に並べだした。

 昼食は午後1時から45分間であったが、参加者の一人が「インドのナン」のようなおいしい食べ物を差し入れしてくれた。東北地方?の田舎の食べ物だそうだが、実においしかった。食後バナナを食べていると、李少将が私の後ろの席に移動してきた。
 私が「李少将は目つきが鋭いから戦闘機乗りだと直ぐわかった」と言うと、私に何年生まれか?と聞く。1939年だと答えると、自分より4歳年上の「兄さんだ」と言って握手した。
飛行時間を聞くので3,800時間だと答え、少将は?と聞くと、しばし無言だったが、通訳を通して2000時間だと言い、理由は不明だが「1980年以降は飛んでいないそうです」、と通訳が言った。
 御茶を飲みながら雑談していると、彼は「民間?航空の方が給料が高い」とぼやいたので、
「日本も全く同じだ」と言うと、「私は日中友好を模索している」と言った。
 彼は午後の会議半ばで「用があるから失礼する」と私に挨拶し、握手しながら通訳に「将軍は私の父さん!」と言ったのだが、4歳年上の「兄さん」から、「親父」にまで急に出世した意味がわからなかった。            (続く)