軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

爾後國民政府ヲ對手トセズ

今朝の産経は、戦後70年談話に関して、21世紀構想懇談会の座長・西室泰三日本郵政社長から報告書を受けた安倍首相が、「戦後70年たって、(政府関係文書に)やっとここまで書けるようになった。欧米がこういう(戦前の)世界を作ったのだと、戦後は言えないできた」と語ったと書いた。

安倍晋三首相は最近、戦後70年談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」が6日提出した報告書について、周囲にこう語っていた。首相が指摘する通り、報告書にはこれまでの政府関係文書にはない踏み込んだ記述が随所にちりばめられている≫という。


≪21世紀構想懇談会の座長・西室泰三日本郵政社長(左)から報告書を受けた安倍晋三首相 =6日午後、首相官邸(酒巻俊介撮影)≫

あれから70年、未だに「愚図愚図」いい募る隣国の政府の感覚が私にはわからないが、彼らは「大日本帝国」に戦勝したという歴史を持たないのだから、そのお墨付きがほしいのだろう。いわば“架空の勝利宣言”をしたいのだ。


昭和12年7月、盧溝橋事件に始まったシナ事変は、ドイツの支援で上海に飛び火し拡大の一途をたどったが、時の総理は“あの”近衛文麿であった。
昭和13年1月11日に、御前会議で「支那事変処理根本方針」が決定されたが、これはそのドイツのトラウトマンによる和平工作を求める方針だった。
ところが近衛は、突如「和平交渉の打切りを閣議決定」し、1月16日に「爾後國民政府ヲ對手トセズ」の声明を国内外に発表して、シナとの講和の機会を自ら閉ざしてしまった。
その背景にはかの有名なドイツ通信社記者と名乗るゾルゲらと共謀した、尾崎秀実・松本重治・犬養健西園寺公一影佐禎昭らがいたといわれているが、その工作とは中国国民党左派の有力者・汪兆銘に接近して「国民党から和平派を切り崩す工作」だったとされ、石原莞爾らの独自和平工作を完全に阻止してしまった。
その後、日本軍は広東と武漢三鎮を占領して戦線を拡大していったのだが、米国のホワイトハウススターリン一派のデクスター・ホワイトらが潜んでいてルーズベルト共産党主導で日米開戦に突き進ませたように、わが国政府要人らの間にもスターリンの手が伸びていた。


私は、日清、日露と大陸国家と戦争して勝利した開国間もない我が国が、その数年後に、海洋国家・英国との同盟を破棄して、ドイツ、ソ連という大陸国家と手を結ぼうとした理由がまるで理解できないのだが、やはり、大陸国家の重鎮?であったソ連の策動によるコミンテルンの謀略にまんまと引かかったという以外には理解できない。
ところがその重要な教訓に学ぶことなく、未だにシナやロシアなどという“大陸国”との友好を模索し、海洋国家たる米国を忌み嫌う日本人が目立つのが、これまた不思議でならない。
「間違いは二度と起こしません…」などと、戦後70年たった今、「平和、平和」と連呼する不思議な連中の動きを目にすると、言葉とは裏腹に、彼らはもう一度「間違いを起こしたがっている」ように見えてならない。つまり、当時のゾルゲや、尾崎らと同様に…


戦後70年の節目である。何回謝罪しても、鼻から全く同意しようとしない国を相手に、なぜいつまでもご機嫌をうかがわねばならないのか?

当時の近衛が「爾後國民政府ヲ對手トセズ」と宣言したように、「爾後、特亜政府を相手とせず!」と言ったらどうだ。


戦後70年、戦場に散った多くの英霊は自国から見捨てられて骨さえ拾ってもらえず、悲嘆にくれている姿が見えてくる。そう、我々は「政府に騙された!」という怒りである。

今も昔も“左翼勢力”は無責任である。国民の生命財産を預かっている本物の政府自体までもが無責任でいいはずがない。これでは後を継ぐ青少年たちが“お国のために”と思うはずはなかろう。


支持率が落ちているそうで、政権は焦って?いるそうだが、それは一部のメディアの情報操作に過ぎないと私は思っている。
今日の正論欄に、「戦後70年に思う」を書いた評論家・屋山太郎氏は、「安保法制論議で甦る≪曲学阿世≫」と一部の“有識者”を斬って捨てたが同感である。 

この問題は、冷静に距離を置いてみればわかるのだが、シナと韓国が“たけり狂って”吠えるのは、彼らの弱点を突いているからだ。
戦争は「民衆」ではなく「政治家」が引き起こすものだ、と信じている私は、ゆえに政治家にはしっかり勉強して、真の“有識者”になってほしいと思ってきたが、退官後20年弱、ばかばかしくなってその熱意も消えた。


唯一つだけ言っておこう。今の自衛官もそうだろうが、私の現役時代の部下たちは「国のために死ねる」と断言していた。そんな頼もしくもけなげな部下たちに支えられて34年間の任務を果たして沖縄から復員した私は、退官後も後輩らのためにと思って“軍事評論”を通じて掩護射撃をしてきたつもりだが、“末期”高齢者の仲間入りをした現在、多くの英霊方の無念を共有する年齢になった。

そこで、この15日に、総理たるものが外野のヤジにひるむことなく、堂々と無念のうちに散華された英霊が集う靖国の森で供養しなければ、再び想定外の事象が立て続けに起きて困難が降りかかるような気がしてならない。


第1次安倍内閣は、国民の支持を読み違え?靖国参拝をすっぽかした直後、安倍首相は「体調を崩して」辞職の憂き目にあったことを思い出すがよい。


近衛内閣もそうであった。大東亜戦争開戦直前の7月18日に彼は唐突に内閣総辞職した。その理由は、日独伊3国同盟を締結し、あろうことか日ソ不可侵条約まで“勝手に”締結して凱旋?してきた「松岡洋右外務大臣」を更迭するための総辞職であった。
大日本帝国憲法には首相が他の閣僚の罷免権を持たなかったのである。こうして戦雲高まる最中に、政治は混乱して、お気の毒にもいきなり全責任を“丸投げ”されて登場したのが東条英機であった。


近衛の長男、文隆中尉はシベリア抑留中にソ連に殺されたが、終戦を模索する政府の動きを「日米戦とはボクシングのようなものだ。誰かがタオルを投げ入れる必要がある。近衛(父親)は優柔不断で頼りない。大臣らはダメだ。特に松岡(外務大臣)は逆だ。天皇しかいない」と部下たちに語っていたという。
更に「大陸とは付き合うなという、聖徳太子の言は正しい」とも言った。


内閣の支持率が下がって、閣僚たちは一層臆病になっているようだが、元来「世論調査」などはメディアの意思どおりに組み立てられるもの、つまり“やらせ”に近いものだ。テレ朝の椿報道局長事件を思い出すがよい。
今、安倍内閣が75年前の近衛と同じように政権を放り投げたら、この国は間違いなく崩壊するだろう。それはまさに≪ゾルゲ事件≫の再来である。


日米開戦前に、朝日新聞などは「バスに乗り遅れるな!」とあれほど煽ったが、その結果バスは崖下に転落して、多くの乗客が命を落とした。しかし、彼らは国民に謝罪し、反省したか?
戦後70年の反省談話は、こんな大罪を隠して平気で言い逃れているメディアがまず出すべきだろう。


産経は終戦特集を連載しているが、特攻隊はもとより、多くの将兵たちの遺言と残されたご家族の言葉が身に染みる。私も現役時代には≪身の危険を顧みず≫先頭に立って突っ込む覚悟だった。ただ、残された家族のことが気がかりではあったが…


余談だが、先日空自パイロットOB会で、ある先輩から「尖閣にシナが攻めて来たら、我々OBで戦おう!」と言って握手を求められた。
「年は取ったが、まだワンフライトくらいは可能だ。若い後輩らを戦場に出すまでもない。佐藤君、その時は我々が突っ込もう!」と言ったから「同感です!まだT−4くらいは楽に操縦できるでしょうからワンフライトで十分でしょう」と固く握手したものだ。


そのシナでは異変続きで予断を許さない。今日は紙数がなくなってきたから、此の辺で止めて、ウォッチャーから届いた情報を羅列しておくことにする。



≪すでに国内でも報じられたが、拘束された前軍事委副主席の郭伯雄(農民出身)と徐才厚(労働者出身、3月に死去)の在りし日の雄姿!である。
この二人が揃って「癌」になったのは不思議で、徐が癌になって死んだ刑務所入りした郭も「癌で死ぬまで裁判できないのだろう」ともっぱら評判だそうだ。郭伯雄夫人の何秀蓮も息子ら親族も逮捕された。無事なのは米国に逃げている娘だけ。このメンバーに薄キライを入れると共産党が好きな“4人組”になるのだが。…驕る平家は久しからず…か≫


≪前回自殺したと書いた安徽省前検査官の満銘安氏。薄キライ夫人の裁判を担当したが7月28日に自殺した。これで安徽省の司法官僚が3人立て続けに自殺したことになる。
前の二人はビルから飛び降り自殺。満氏は首つりらしいが、彼らは合肥市の検察長時代に、薄キライ一派の悪事を暴いたとして習近平から検査員全員に1等功労賞が授与されていた。何が起きているのか…≫



≪9月3日の一大戦勝?パレードに向けて、北京郊外に建設された天安門広場の模型(モデル)。北京市街から約30km離れたここは以前、軍の演習場であった。住民らからは「閲兵村」と呼ばれているそうだが、1月に完成し、集められた観閲部隊は少なくとも3カ月以上ここで集中訓練されたという。すべての道路が遮断されていて撮影も禁止。
例年の記念式典は10月1日だったが、今年は習近平の指示で日本軍が降伏調印した日に合わせて「抗日戦争勝利70周年」をやるのだという。
1945年9月、南京の国民党政府国防部で、岡村大将が署名した文書を小林参謀長から受け取ったのは蒋介石総統の部下・何応欽であり、どこにも中共軍の影も姿もなかった。これを日本語では「歴史の改ざん」というのだが、シナ語にはないのかな〜?
とまれ安岡正篤氏に言わしめれば「どこの国にも無学な政治家?はいるものです」ということか≫


≪この写真には見覚えがある読者もおられるだろう。以前ここで紹介した、日本人女性に恋して未だに捜し続けている元国民党兵士でその後共産軍の中尉で、シナでは「抗日老兵」と呼ばれる92歳の老人である。
驚いたことに彼を日本TVが取材したというので、にわかに有名になっているという。
ウォッチャーは「先生がブログで紹介したから、8月1日に日本TVの番組で紹介された。ありがとう」というのだが、私は見ていない。
しかしその解説が面白い。=日本軍から八路軍中共軍)に参加して国民党軍と戦った兵士には今でも月数十万元の支給があるが(引き上げ後の軍人恩給のことらしい)が、中共の“抗日戦争下”の民族英雄たちには1元の補助もない。逆に彼のように反革命罪で15年間監獄に入れられ、内蒙古の労働牧場で30年間の重労働を科せられた。シナの抗日老兵は今はごみを拾って生活している。


「何が抗日戦勝記念日だ。そんな金があるのなら、それをやる前に彼のような8〜90歳の老軍人たちに先ず生活費を与え、毎日3食食べさせるべきだ、何が抗日戦争70周年勝利パレードか!」ネット上には書き込みが殺到しているらしいが、「佐藤先生のブログのおかげです」とお礼を言われたのには恐縮した。


多分、日テレの海外情報担当ディレクターが、同じ内容の記事にヒットしたのだろう。しかし現地に取材に行くとは大した勇気だ。
私も日テレにお礼を言いたいが、ウォッチャーは「この老兵の日本人恋人がどこにいるのか気がかりです」という。進展があればそれこそ“日中人民間の友好事例”だと思うのだが…。
しかし私には、この事例はわが国でも”左翼政権”が誕生すれば、自衛隊幹部もこんな目に合うのだという警告に思える…クワバラくわばら≫


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古森義久オバマ習近平朴槿恵金正恩を斬る=テーミス¥1000+税≫

反日勢力をのさばらせた朝日新聞と外務省の大罪」と副題にあるように、在米ジャーナリストの古森氏が縦横無尽にタブーを斬りまくる。
腰が引けた保守派の“有識者”らとは一味違う憂国の書。


≪おなじみのSAPIO・9月号≫

今月は「シナと韓国の70年のウソに決着をつける」と勇ましいが、両国ともほっておいても決着がつきそうな気配である。それよりも問題なのは、肝心要の日本人のだらしなさの方で、その弱みにつけ込まれているだけに過ぎないのだ、と私は思っている。
とにかく我が国の男らに勇気が亡くなったし、一部(かなり多数?)の国民は、学者(曲学阿世?)と野党などによる偽善的な言葉に酔いしれている気がする。
いずれにせよ諸悪の根源は戦後教育界とマスコミにある、と思う。SAPIOにはガンガン警告してほしいものだ。


≪中国の驚愕の性奴隷=鳴霞著・青林堂¥900+税≫

今月下旬に発売予定の歴史史料である。満州人で、わが国に亡命した月刊中国主幹の鳴霞女史が、今まで収集してきていた極秘資料を一冊にまとめてくれた。シナや韓国が言う「“従軍”慰安婦」という虚構に対して、実はシナ(共産党)の方が実におぞましい≪性奴隷≫の歴史を持っているのであってその実態を今回暴いたものである。
『中国文化大革命期の性奴隷』の実態に迫るもので、この時期、共産党の「下方政策」で、都市から農村へ送り込まれて、人民解放軍の「性奴隷」になる事を強要された女性は実に800万人に上るという。
その背景には、中国古来の性文化が見えてくるのだが、あとは読んでのお楽しみ!現実に今の幹部らのほとんどが“奴隷”を抱えていて、中には“共有”している幹部が大勢いるじゃないか!

こんな事実を暴露した彼女が危険な目に遭わないように、と心配するのだが、出版は「日本人の名誉のためだ!」と意気軒高。
奉天生まれで満州時代に日本軍に食料を販売していた大農家出身の祖父母を持つ。祖父母から日本軍の優しさと勇気、さらに商売上でも日本人は信用できる民族だ、と常々教えられ育った。
その後成長して共産党のエリートとなり、中学時代は中共青年団のリーダーだったが文革下放された経験を持つ。乞う、ご期待!


安岡正篤と終戦の詔勅

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大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

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戦闘機パイロットという人生

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