軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

日米関係の危険な兆候

チャンネル桜は新年度から『桜塾講座…安全保障大学校』を開講することになり、今日は「講師」として約一時間の収録に出かけた。第一回目なので、私の著書を元に、「国際情勢と地図の見方」と題して講義したのだが、「紙芝居」を使わず、パソコンのパワーポイントを直接テレビ画面に流す方式を取ったから、非常に鮮明な画像が得られ、視聴者にはよく理解できたことだろうと自画自賛している。勿論私の「解説」の方は未知数だが・・・
いつも「今日の自衛隊」という深夜番組で、ぶっつけ本番の「防衛漫談」をしているが、今回は自分で「しめ」をしなければならない。いつもは桜林君や林君など美人キャスターが〆てくれるので「のほほん」としていたが、今回はそうはいない。「5分」「2分」「〆て下さい」等とディレクターが指示するたびに、空中戦闘の2分間とは勝手が違い、残り時間と「解説内容」との予測がつかず戸惑った。

 ところで、今朝の産経新聞一面トップは、「永田町ブログに触手」という、先日の自民党広報部主催の「ブログ作者との懇談会」を取り上げていたが、記事の中にいきなり私の名前が出てきたのでこれまた戸惑った。紹介された自分自身が驚いたのが、(66歳)という年齢の方で、今まで全く気にせず「青年将校?」のつもりで動き回っていたのだが、改めて年を取ったものだ、と自覚させられた。ひょっとすると、次回は名前の右側に黒い線を引かれて紹介されるのでは?と思って「がっくり」、「老兵」が余りでしゃばるものではない、と反省した。しかし、先日のブログでこの懇談会の事を報告したとおり、憲法を変えないままで、自衛隊の後輩達を「無秩序にこき使う」事はもうやめて欲しいと痛感しているので、これからも多いに「憲法改正推進を吼え続けたい」と思っている。

 防衛問題では沖縄が一向に進まない。この問題の発端を作った大臣や知事達は、今頃何をしているのだろう?と不愉快になる。
 そこに岩国への米軍移駐で「住民投票」を実施した市長さんが現れた。「米軍移駐に賛成ですか?反対ですか?」と住民に問えば、「それは来ないほうが良い」と住民は答えるに決まっている。沖縄問題でもそうであった。地主の殆どが「継続賛成」だったのに、知事が「立場上」決断を避け、驚いたことに時の首相までもが「放置」して責任を取らなかった。何でも「住民に御伺いを立て、指導者たるの自覚を欠いて、投票に頼る」のなら、市長は要らないのではないか?沖縄でもそうだった。その結果「ねじれ現象」が起きて、地元はますます混乱した。
知事に代わって「代行署名」をせず、いたずらに沖縄を混乱させた当時の首相に、懇談の席で「馬鹿だ」と言った施設庁長官が、これまた仁義に悖る記者のせいで首を切られる有様。部下を切った首相や土地収用問題から逃避した知事の責任は全く問われていない。その後の経過を見れば、施設庁長官の「評価」は全く正しかったではないか。
阪神淡路大震災が発生したとき、「連絡が取れずに指示も出さなかったといわれる知事」も知事だが、首相は自衛隊はじめ各部署に的確な指示を全くせず、テレビを見ていて「なんせ初めてのことじゃから」と言ったとか言わないとか。この無様な失態を見て私は、何たる愚民主主義か、と思ったものである。
厚木基地におけるNLP問題は、普天間基地返還問題よりはるか以前から拗れている問題である。同盟関係にある米国がどんな気持ちでいるか、責任者たちには是非真剣に考えてもらいたいものだ。どうせ住民の意見が裏目に出ても、誰も責任を取らないことは眼に見えている。喜んでいるのは「誰か?」と分析してみるが良い。
古き良き時代の日本には、「士・農・工・商」という言葉があった。敗戦後、連合軍の思惑通りわが国は「商・農・工・士」に逆転させられたように思う。武士道精神が横溢して強靭だったわが将兵たちから受けた恐怖心から、日本人の牙を抜くのが目的だったのである。  そのように仕向けて日本人を「骨抜き」にすることに成功した米国が、今や同盟を組んで日本国民に「士道」を求めているのだから、世の中は皮肉としか言いようがない。
日米関係が微妙な状況にあるとき、ワールド野球で、米国と対戦した日本チームに、明らかに「不利」になるような判定をした審判が現れた。野球の本場、米国の審判の質も落ちたものである。ビデオを見れば「セーフ」であるのは明白、近い位置にいた審判はセーフで離れた位置に居た主審が「アウト」だというのだから、王監督の怒りは当然である。単なる「誤審」では済むまい。明らかに自国に有利な判定をした人種偏見、力第一主義の米国の本性が出た、と反米国家はほくそえんで騒ぐだろう。
いま米国は世界中から「注目」されているときである。たかがスポーツとはいえ、誰もがわかるような「間違った審判」を下してはいけない。BSE問題でも「米国側のなんとも不注意な」輸出検査体制が暴露されて、日本国民の不信感は高まっている。こんなことから日本人の心が米国からますます離れていくのは残念なことである。
もう一度いうが、こんな日米間の「ギクシャクした関係」を蔭で喜んでいるのはどこか!もっと双方とも「大人」の関係を築いてもらいたいものである。