軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

アンボン終戦秘話

昨日はインドネシア関係の勉強会に出席した。出席者の殆どが、大戦経験者の80歳代である。御元気なことは嬉しい限りだが、貴重な経験とアジア各地に築かれた〈資産〉が、このまま消えてしまうのかと思うと残念である。同席した高山帝京大教授が「貴重な体験をされた皆さん方が、もっと若者達に体験談を語り継がなければいけないのだが、日本のご老人はしゃべらない。是非とももっと青少年に語りかけて欲しい」と言ったが、同感である。そのせいか、今日は質疑応答が終わったとき、元海軍大尉の坂部康正氏が、終戦時の思い出をしゃべった。現在のインドネシアの政治・経済情勢、石油開発、治安など、重要な内容の話は省略し、坂部氏の終戦秘話を書いておきたい。概要はこうである。

 戦況が不利であることは知っていたが、8月15日の陛下の放送は意外だった。誰もが虚脱状態だったが、在アンボンの海軍25根拠地隊司令官・一瀬中将より、陸軍の第5師団長の方が先任だから、降伏に伴う一切の指揮を取ってもらおうとのんきに構えていたところ、師団長と参謀長が敗戦を聞いて自決してしまった。そこで一瀬司令官以下、在アンボンの2万5千人の日本人を無事に内地に復員させる責任は、海軍が負うことになった。
 進駐してきた豪州軍の司令官はスティールという准将で、補給参謀はアーノット少佐だったが、日章旗を下し、ユニオンジャックを掲げた波止場で降伏式が終わると、豪州軍司令部スタッフをオランダ総督邸であった司令部庁舎に案内した。豪州軍のために綺麗に掃き清められ、長官室には日本人形や生け花まで飾られていて、負けっぷりを良くしようという我々のせめてもの配慮だった。
 スティール准将が〈先任者〉である一瀬司令官に「アドミラル」の敬称で先に敬礼し、それぞれ紹介しあったが、アーノット少佐は、日本軍の幕僚が余りに若いので驚いていた。
 スティール准将が「私は第1次大戦のとき、少尉で地中海に派遣されダーダネルス作戦に参加したが、独逸のUボートに撃沈され海上を漂流した。そのとき日本の駆逐艦に救助された思い出がある。今回、占領軍指揮官としてやってきたが、日本海軍の軍規は立派だ。アドミラル一瀬以下、各スタッフの協力を得て、戦後処理復員業務を速やかに終了させたい」と話したが、一瀬司令官も「私も当時地中海で日本駆逐艦の甲板士官をしていた。かっての戦友がこのような状況下でお会い出来たことは感慨無量である。貴軍の命令を着実に実行し、2万5千人の日本人を速やかに無事帰国させたい」と述べた。
 当時インドネシア独立運動が巻き起こり、アンボンでも武装蜂起があって治安は悪かったので、豪州軍は日本軍から「軍刀」だけを取り上げたものの、武器類はそのまま携行保管させていた。収容?された日本軍は、森林を伐採して芋を植え、食料を自給自足しつつ帰国を待つことになったが、携行食糧は約1ヶ月、芋が実るのは4ヶ月。どうしても食料不足は避けられない。そこでアーノット少佐にその補給をお願いし、昭和20年末ごろ入ることになっていたが、十月ごろに連合軍の上級司令部から米軍の参謀長がアンボンを視察に来た。ところが日本海軍が兵器を携行して歩哨に立ったり、町を巡察している。これに驚いた参謀長はスティール准将以下、豪州軍スタッフを怒鳴りつけたらしい。しかしスティール司令官以下も負けてはいなかった。占領軍政も日本軍の協力でうまくいっている、と反論、そして辞表を提出して帰国することになったという。
帰国を前にしたスティール司令官とアーノット少佐は、連絡将校の川崎中尉に「米軍参謀長と意見があわないので帰国するが、約束した食料はたとえ米軍が補給しなくとも豪州政府が必ず送る。帰国すれば私は〈国会議員〉だし、アーノットは豪州ナンバーワンの〈ビスケット会社の社長さん〉だ。ところで君を密かに呼んだのは、御土産に別室に集めてある日本刀を一振りずつ持って帰りたい。出来るだけ古くてよいものを選んでくれ。これはアドミラル一瀬にも、うちの参謀のコステロ中佐にも内緒だ」とウインクしたという。
その後占領軍は豪州軍からオランダ軍に交代したが、その支配下では仕事もなくのんびりしたものだったが、食糧事情は困窮した。
昭和21年4月のある日、英国国旗を掲げた貨物船が2隻入港した。豪州からの食料だった。バター、チーズ、コンビーフ、小麦粉、ビスケットなど、25000人の一ヶ月分であった。スティール准将とアーノット少佐が約束を果たしてくれたのである。坂部大尉は目頭が熱くなったという。「受領に行った船長室で出された紅茶とビスケットのうまかったこと!ふと、そのビスケットのブランドを見たら〈アーノットカンパニー〉とあった。復員船が入ったのはその日から約一ヶ月後であった。食料不足の日本に帰る復員兵のリュックサックには、このコンビーフやビスケットが大事に詰め込まれていた」という。
 昨日の友は今日の敵、今日の敵は明日の友。二十一世紀の太平洋・アジア地区の安定は、日米豪の3カ国が中心になって動くと言われている。
この話を聞いて、私には、何となく明るい予感がしたのであったが、高山教授が言った様に、貴重な〈秘話〉が埋もれたまま消滅することは残念でならない。