軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

大東亜戦争の終結

今日は台湾の228事件、70周年目にあたる日である。
Andy Chang氏は自己のメルマガに
「中国人にとって台湾とは占領地である。日本がアメリカと戦って負けたあと、蒋介石マッカーサー命令で台湾における日本軍の降伏を受理し、勝手に台湾統治を始めた。
中国人は台湾を戦争の結果の占領地として略奪したので人民の不満と反抗が起きた。
228事件とは侵略と略奪に反対した台湾人を虐殺した事件であった」として、
「228事件とは異民族の侵略と略奪に反抗した台湾人の革命であった。国民党が事件の真相を隠し、蒋介石を偉大な中華民族の星と祀り上げる理由は、228事件の真相がわかれば中国人は台湾に居所を失い、国民党は存在しなくなることを怖れるからである」と書いている。

現在の中華人民共和国中共)政府が、台湾の独立を“絶対に”認めようとしない理由として「蒋介石の残党を処分して台湾を統一しない限り、革命は成就しないからだ」と言っているが、私はそれは単なる言いがかりにすぎず、今、台湾の分離独立を認めると、国内で中共政府に反発しているチベットウイグル、モンゴル、それに四川省が分離独立を要求して革命が起き、大陸は7つに分裂するからに他ならないと考えている。
その意味でも「台湾独立」を認めないのは、中共の「核心的利益」なのだが、他方「最大の弱点」でもある。
大東亜戦争敗戦のどさくさで、やむを得なかったにせよ台湾を放置した日本の責任も大きいといわねばなるまい。


≪米国におけるシナ人の蔡英文反対デモ=インターネットから≫
1月15日に、蔡英文総統が米国を通過した際、動員された?在米シナ人たち(華人、華僑、台湾の外省人)が、蔡総統が滞在するホテル前で「和平統一台湾!」というスローガンを掲げて抗議した。シナはそれほど台湾の独立が怖いという証明だろう。


ところで、今日の天皇皇后両陛下のベトナム、タイご訪問でようやく大東亜戦争の幕引きが行われることになったが、産経新聞は27日、次のような記事を書いた。


≪残留元日本兵家族と面会=義に生きた父(猪狩和正元中尉)誇り≫



そして今朝の産経抄子はこう書いている。
産経抄ベトナム独立戦争を戦った「残留元日本兵」 2月28日

 天皇、皇后両陛下は、さまざまな事情で海外に出てその地に留まった日本人と家族に、長年心を寄せられてきた。昨年1月にフィリピンを公式訪問した際も、陛下の強い希望で、日系人と懇談されている。両陛下にとって初めてとなる今回のベトナム訪問では、「残留元日本兵」の家族と面会される。

 ▼日本軍がフランスの植民地だったベトナムに進駐したのは、1940年である。終戦時約8万人いた軍人の大半が撤収するなか、約600人が留まった。ホー・チ・ミンらが率いる「ベトナム独立同盟」(ベトミン)に参加するためだ。再植民地化をもくろむフランスとの戦いで、約半数が亡くなったとされる。

 ▼「新ベトナム人」と呼ばれた旧日本兵は、各地の士官学校の教官となって戦争の知識を教えた。54年にベトナムがフランスを破った「ディエンビエンフーの戦い」では、司令官の参謀の半分を日本兵が占めていた。

 ▼昨日の社会面で紹介されていた元日本兵はその後、現地で結婚した妻を伴って帰国を果たした。ただ、家族同伴が認められず、帰国した日本兵ベトナム人の妻や子供が離ればなれになるケースも多かった。ベトナム戦争で米国側を支持した日本への反感が強まると、残された家族は差別や嫌がらせに苦しんだ。

 ▼日本との関係が改善されるのは、90年代に入ってからだ。今やベトナムにとって最大の援助国であり、両国は「戦略的パートナーシップ」を謳う間柄である。日本語学習熱も高まり、日本に留学する学生は、中国に次いで2番目に多いそうだ。

 ▼新ベトナム人が果たした功績も、正当に評価されるようになった。両陛下は、家族の苦難の歴史を熟知されている。どんなねぎらいの言葉をかけられるのだろう。


一般的に日本人は、大東亜戦争は昭和20年8月15日に終結したと勘違いしているが、あの日は先帝陛下が「終戦のご詔勅」を発せられ、全軍が戦闘を停止した日に過ぎない。
大東亜戦争全史の付図によれば、8月15日当時の態勢図はこうなっていて、たしかに海軍はほぼ全滅、太平洋からの米軍の反攻と、突如中立条約を破って満州などに侵略したソ連軍との戦闘は続いていたが、中国大陸や東南アジア方面は依然として陸軍が支配していた。


シナなどでは、岡村寧次大将率いる100万のシナ派遣軍が、大陸の主要な部分を占領していたが、天皇の命令によってやむを得ず蒋介石軍に武装解除されたもので、勝っていた軍隊が負けていた軍隊に武装解除されたのだから、ギネスものだった!
樺太方面もそうだった。不法侵入するソ連軍を撃退していた第88師団も、大本営の命令によって停戦したため、ソ連軍に武装解除されてその後悲惨なシベリア送りになったものだ。

その点からも、当時のソ連、今のロシアに対する日本人の恨みはやすやすとは消えまい。何も沖縄だけが主戦場だったわけではないのである。


ところで私は、平成24年に「大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した(青林堂)」という長い題名の本を上梓したが、それは多くの大戦経験者らとの会合で得られた資料から、真の終戦日がいつだったか?という疑問が消えなかったからである。
9月2日のミズーリ号での降伏調印式は主として米国との終戦であり、事実、ソ連軍の侵攻は続いていたからだ。
その他、アジア全体に残留していた陸軍部隊の中には、あくまでも大東亜解放戦を遂行していたところもあったのだから、真の終戦日は、ベトナム戦争サイゴンが陥落した日ではないのか?とする疑問を整理したものである。
しかも、ベトナムは、当初フランス軍を追い払い、その後戦闘に加入した米軍をも降伏させたのだから、大東亜戦争は日本軍の勝利に終わったのだ!と結んだのだった。


今回産経が報じたように、当時の仏領インドシナベトナム)には、800人を超える日本軍将兵が残留して、その独立に貢献したのであったが、猪狩氏はその中の一人であった。
当時フランスは、本国がドイツに降伏しヒトラーに支配されていたので、外交ベタな日本政府はヴィシー政権(傀儡)を尊重して「仏印の主権を侵さず平和的に進駐」するとしたので、行政権は依然としてフランス占領軍が握るという変則的な状況であったため、日本軍に期待したベトナム人たちはやがて失望し始める。
ところが日本は、昭和20年3月になってやっと仏印軍の武装解除に踏み切り、たちまちにしてベトナムカンボジアラオスインドシナ3国を王国として独立させる。
従って3国にとっての独立は、日本が8月に降伏するまでの間という短期間だったが、3国にとってこの経験は大きく、戦後の独立運動に大きな影響を与えている。


フランスが撤退すると、支援した日本軍人ら250名は帰国するが、当時も500名余の行方が不明であった。しかしその後、彼らは現地ベトナム人に“同化”して、その後も米軍と戦い、ベトナムを勝利に導く原動力になった。
これらの歴史が表に出なかったのは、体験者の口が重かったからで、それは日本人が嫌う、「共産主義陣営に加担した」という負い目があったからではないか?と私は思っている。


中共空軍創設に尽力した林与三郎飛行隊や、シベリアで非人道的な扱いを受けた抑留者たちが帰国後そうであったように。
そして陸軍中野学校出身者たちの活躍も偉大だったが、戦後は情報戦そのものが否定されたので消滅したと思っている。
いずれにせよ、当時の日本の若者たちの「烈々たる気構え」は戦後の“草食系”男子たちからは想像もできない。彼らこそ本物の「サムライ」であった。
詳細は拙著をお読みいただくとして、特筆すべきは井川省少佐の存在である。

≪井川省少佐=拙著から≫

元朝日新聞ハノイ支局長だった井川一久氏はその御子息だが、2004〜2005に現地調査を含む詳細な日本人の事績研究を公表している。これもぜひ合わせ読んでいただきたいが、ベトナムの戦列に参加した残留兵らは井川氏の質問に「あれは大東亜戦争の続きだった。ベトナム人を見殺しにしておめおめと帰国できるかと思った」と答えている。
井川氏の父である井川省少佐がなぜ残留したのかは不明だが、私の想像では、井川少佐は「226事件に連座したものが6人もいた陸士第47期の卒業生だった」ことが関係しているように思われ、きっと心中複雑だったに違いない。
しかし少佐は活動的で、現地ベトミン首脳らと密かに「相互不可侵協定」を結んだため、現地人と軍との間のトラブルは皆無だったという。
外交手腕にもすぐれた将校だったが、46年春、ヴィンデンの第5戦区司令部から中部高原のプレイクへ、自らジープを駆って作戦指導に赴く途中、フランス軍待ち伏せ攻撃に遭い戦死している。
今回産経の記事に取り上げられた猪狩和正中尉は井川少佐の直接部下で、ベトナム軍第2師団中隊長の一人だった。

このように多くの将兵大川周明塾の若者たちが、志半ばでアジアの捨て石になって散華して逝ったが、彼らは戦後史から無視され、その死は報われないまま戦後70年過ぎていった。
国の責任はもとより、知ろうともしなかった国民の責任も極めて重いと思う。

今回、常に心にとめておられた陛下御自ら、現地を訪ねられるのだから、これでやっと彼らの心には平和が訪れることだろう。漸く彼ら自身の大東亜戦争終結するからである。合掌


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評論家・加瀬英明氏の「朝日新聞はポルノ新聞だ」は一読に値する。新聞記事の裏が伺えて面白い。要するに[なあなあ]の世界なのである。トランプ大統領が、メディアを≪フェイク!≫と呼ぶ意味も理解できるだろう。



≪瞑想のすすめ=読者からいただいたもの≫

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