軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

教育“現場”からの報告

真剣な討論が続いている『コメント欄』を読んでいると、中々ブログが更新できない。防衛問題もさる事ながら、如何に教育問題が深刻であるかが伺える。国旗・国歌問題は一応〆にしたのだが、丁度良い『体験談』が届いたのでそれを御紹介する事にしたい。
福井市に住む畠奈津子さんという、若い女性漫画家が、これまた手弁当で「郷守人(きもんど)」という小冊子を発行している。有志が一口1000円(ゼロ口から何口でも可)の年会費を払って支えているのだが、その27号が昨日届いた。ところが『別冊』に、大阪府阿倍野高等学校の、南口龍一教諭が、「教育現場」の実態を報告していた。長い文章なので、一度では書ききれないから、数回に分けて御報告する。御参考になれば幸いである。
「本校には現在、府高教、大阪高教祖、教育合同の左翼系教職員組合が三つあります。組合員教師の数は本校の教員総数の半分近くにも達します。私が転勤してきた七年前には大教組という組合もあって、まさに左翼教師の巣窟といった状態でした。従って職員会議では、国旗掲揚・国歌斉唱に対して猛烈な反対意見が飛び交っていました。
式の当日には国旗・国歌に反対する旨の看板が組合名入りで正門や裏門前の公道に許可なく設置されていました。正門でも裏門でも数名の組合員教師らが登校してくる生徒に頻りにビラを配布していました。式典では参列教員の殆ど全員が国歌斉唱時に着席し、生徒、保護者、来賓の方々数百名の眼前で信用失墜行為を犯すという状態が出来ていました。
彼等はまた人権学習の時間などを利用して、ジェンダーフリーの思想や子供の権利条約反日自虐史観の一方的な押し付けなどを画策してきました。不思議な事に、このような法令違反や信用失墜行為、偏向した人権教育が誰の目にも明らかなのに、どこからも批判の声が挙がって来ないのです。管理職も見て見ぬふりをするばかりでした。
このような現状に堪りかねた私は、たった一人、非難や罵声を一身に浴びながらも、法令法規を遵守し、学習指導要領に則った公正中立な教育実践を訴えて来ました。そしてこの六年間、左翼教師集団との論戦論争に明け暮れてきました。
職員会議のある日は、私は特攻隊員のような心境になります。反対意見の猛烈な対空砲火の中に一人飛びこんでいく時など、まさに特別攻撃隊員そのものです。相手は入れ替わり立ち替わりあちこちから批判の言辞を放ってきます。私はそのつど反論し、最後はグーの音も出ないくらいにやり込めてやります。すると中には感情的になって理性を欠いた発言を浴びせてくる教員がいます。
私は職員会議が終わると早速その教員のいる部屋に赴きます。そして『先程の非礼な言辞は何だ.事と次第によっては許さんぞ』と詰め寄ります。相手の両眼をじっと見据えて不動の姿勢に及ぶ事数分、勝負はあっけなく着きます。
次の職員会議で、その教員は『前回の職員会議で、南口先生に対して大変失礼な発言をしてしまいました。この場で深くお詫びします』という謝罪発言をすることになります。会議室にいる五十数名の教職員は、ある人は顔が引きつり、ある人は快哉の表情になり、ある人は驚嘆に口を開けたままの状態になっています。私に礼を失する発言を浴びせたばかりに次の職員会議で謝罪発言をする事になった教員は一人や二人ではありません。私は常に『寄ラバ斬ル』の気合で戦ってきました。
その甲斐あって、今では教員によるビラ配布や看板の設置もなくなり、人権学習においても生徒に偏向資料やビデオを使って授業するということもなくなっています。
しかしながら、卒業式・入学式における組合員教師による信用失墜行為だけは一向に治まりません。昨年の卒業式では国旗は三脚に吊るされたままの状態で『国歌斉唱、一同起立』の発声が掛かっても、学年主任を始めとして八クラスの担任全員が不起立のままでした。私は事ここに至って伝家の宝刀を抜く決意を固めました。
私は平成16年4月号の『月曜評論』において同年2月以降の職員会議の模様と卒業式の実態を『同僚教師を実名で告発する』と題して世間に公表したのです。私はこの挙に及ぶに卑怯な真似だけは絶対にしたくありませんでした。これまで常に真っ向から勝負に臨み、正々堂々と戦ってきました。こそこそとレポートを書き、人知れず雑誌社に投稿するなどということは武士の為すべきことではありません。私はまず、平成16年1月29日に府教委に赴き、本校の実態と職員会議での発言者の氏名を実名で公表する旨を伝えました。
また本校の校長(平成17年3月末日を以って退職。以下に『校長』或いは『学校長』とあるのは退職された前校長の事であり、平成17年4月以降に赴任された現校長ではありません)にも同年2月5日、府教委で述べた事と同じ事を伝えました。
さらに同年3月11日の職員会議において、私は月曜評論に投稿予定の手記をプリントアウトして全教職員に配布し、これを世間に公表すると全員の前で宣言しました。忽ち非難の声があちこちに起こり、次々に私に向かって襲いかかってきました。しかしそんな事は元より覚悟の上です。私は論戦論争の真っ只中に突入していきました。
当日の職員会議の模様がどのようなものであったか、その一部をここに紹介してみます。」
(以下次回)