軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

教育現場の実態

教育に「現場」という言葉を使うのには抵抗があるが、日教組が「教師は聖職ではなく、労働者だ!」と公言して以来定着した?感があるのでついつい使ってしまう。
東京地裁の判決に疑問を感じたので所感を書いたら大変な反響があって、如何に教育“現場”での国旗・国歌問題に国民の関心が高いか良く分かった。最も、コメントの中にあったが、国旗・国歌は自然体で接するべきもので、日本の現実が如何に異常かを示しているともいえる。
 
 ところで、私は戦闘機操縦教官、幹部学校戦略教官、航空自衛隊の教育課長、航空教育集団の幕僚長と、教育に携わる機会が多かったせいもあって、自衛隊内はもとより、一般教育、それもわが子たちを通じて、義務教育の現状などに関心を持ってきた。
 今日はその一部を取り上げることにするが、長男が区立高校時代に、現代社会科の授業がおかしい!と私に言ったことがある。教材を見たところ、この教師は教科書はほとんど使用しておらず、彼が勝手に作った(それともどこからかの指示なのか)ざら紙にコピーした「副読本(資料)」で教育していたのである。
 今もその一部を保存しているが、当時の竹下総理の談話に関して「歴史的事実を偽り、天皇を不当に賛美」という見出しの“資料”には、「竹下首相の『談話』は、『昭和の時代』を『大恐慌に始まり』『比類なき経済の成長と国際国家への発展』を遂げた時代と描き、その中での天皇の役割を、歴史的事実を無視して不当に美化しています」として、「…終戦の決定だけを持ち出して救世主扱いするのは根本的誤りです」などと、竹下首相談話を元に天皇の戦争責任を追及している。資料源は「秘匿」してあるが、明らかにこの資料は共産党の機関紙「赤旗」の記事である。
 2枚目の資料は、「…われら何をなすべきか―ははっきりしている。かって『暗い日本』を生んだ言論の抑圧、夜郎自大愛国心、社会的不公正、政治の腐敗といったものを防ぐこと、そして何よりも一人ひとりの主権者が国政を『臣』にまかさぬよう、大勢順応、付和雷同気質を改めることである」という「随想」だが、文末に筆者名が記してあり「論説主幹・松山幸雄」とあるから朝日新聞である。
 その他の資料も「天皇めぐる戦争責任論」と題した朝日新聞の特集記事で、赤旗紙も、朝日新聞も、欄外の新聞名など、資料源が一切分からないように削除してあるところが“面白い”。少しは“日本人としての良心??”が残っていたのかもしれないが…
 
 息子の高校の卒業式でも、壇上に掲げられた国旗を父兄(それも女性)がむしりとったらしく、国歌斉唱もなかった。そこで息子は徹底的に反発し、気のあった仲間と組んで、校歌斉唱時に歌詞を君が代に変えて歌ったところ、気付いた父兄席の“母親”が、「この子達は君が代を歌っている!」と叫んだという。

 この高校では“平等”を重んじていたので、成績優秀者の表彰はなかったが、息子は3年間皆勤だったから、「皆勤賞」だけはあったらしいが、式の直前、教師が「賞品を忘れてきたからお前の表彰はない。賞品は後で届ける」と告げたという。
 壇上に上がらなくて済む息子はホッとしたと言ったが、その無責任ぶりにはあきれ果てて言葉もなかったことを鮮明に覚えている。学校に抗議する!というと息子に止められてのでそのままになってしまったのだが、その後数日して、宅急便で「賞品」である「国語大辞典」が息子宛に届いた。当時はそれが人を教育する「現場」の実態だった。
 私は、自衛隊に入隊する青少年たちも、必ずこの「関門」を潜り抜けてきている筈だから、銃を持たせる以上、厳格な教育が必要だと苦心したものである。
 そこで部下である教育課員の子供たちが、入学式や卒業式を迎えたときは遠慮無く休暇を申請して「一般教育“現場”をよく視察して来い。日教組の洗礼を受けた子供たちに、武器を貸与する以上、航空自衛隊の教育のあり方はどうあるべきか、真剣に考えて施策を出せ」と命じたものであった。

 一般的“空論”ではなく、実際に“教育現場”を見てみるが良い。少なくとも自分の子供たちがどのような環境で、どのような“教師たち”に教育されているのか、についてしっかり認識しておくことは、親の責任であり、特に父親にその責任があるように思う。仕事が忙しいことは当然だが、3者面談など、機会を捉えて“教育現場”に「父親が」顔を出す必要がある。出席者の大半が「母親」なので、教師は“嘗めている?”様に感じられたものである。
 安倍“新首相”は、教育問題に熱心なようだから、是非国民もそれに協力して、この国を根幹から立ち直らせる必要があろう。