軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

英霊の声を聞け

8月15日を明日に控え、極端に「反対行動」をとっているメディアが浮き彫りになってきた、国民は冷静に見分けなければならない。それにしても、昨日のNHKの「中曽根元首相に聞く」は意味深長な番組だった。
司会者も制限時間内でかなり突っ込んでいたから面白かった。(もう少し突っ込んでほしかったのだが)
元首相の発言を聞いていて、靖国をめぐる根本問題には何一つ「回答」になっていないように感じたが、その根底に横たわる「何か」は十分に感じ取ることができた。それは「小泉首相の参拝阻止」という意気込み?である。
何でそこまで・・・と思うのだが、振り返ってみれば、元首相に「引導」を渡したのが小泉首相本人であり、確か息子さんも小泉改革の目玉である「郵政改革法案審議」で、失脚?したことを思い出した。同氏にとっては小泉首相は「目の上の何とやら」であることは間違いなかろう。しかも、折角男を上げた「首相公式参拝」の道を、中国の親友の進退を慮って「中止した」。今になって考えれば、悔やんでも余りある生涯の誤判断であったろう。それがここまで混乱を招く原因になったことが浮き彫りにされてしまった上、今回小泉首相が参拝することによって払拭されると、ますます彼の影は薄くなる。それは何としても阻止しなければならない・・・。なんとなく、そんな個人的感情が優先しているように感じられたのだが、杞憂であってほしい。
聞くところによると、富田元長官とは海軍時代の同期生?(短現)だそうだ。名簿を見ていないから確認はしていないが、鳩山威一郎氏もそうだという・・・

今朝もTBSを中心に、靖国問題を大きく報じていて、過去の戦史記録映画をなえ混ぜて、国民は「A級戦犯」の犠牲者、という図式を強調していた。悪かったのは「A級戦犯・戦争指導者」であって、一兵卒は犠牲者である」という図式。しかし、戦後、生き残ったものたち(とりわけ戦後生まれのものたちが)が、如何に「ご託宣」を並べようとも、あの、国家危急存亡に際して、国のために敢然と戦死していった英霊たちの声を代弁することにはならない。彼らの真意をたしかめることができるのは、唯一「霊能者」以外にはなかろう。
確実なのは「彼ら英霊たちには、スタジオに出てきて、生の意見を言う場がないこと。年老いたご両親・親族が他界すれば、墓を守ってくれる人が≪絶滅≫すること」である。これはこの世に生を受けたものとして、後ろ髪を引かれる思いではないのか?
少なくとも、未婚のままで戦場に散った英霊たちは、子孫から≪お参り≫もしてもらえないのである。
お盆のときに帰るところがないのである。だからそれに代わって、生き残った国民が彼らを、いわば≪墓守≫として顕彰し続ける、それが日本の文化伝統であり、そのシンボルが靖国神社だと私は確信しているのである。そうであるならば、彼らに「出征」を命じた国の最高指導者の地位にあるものは、東条首相一人に責任を負わせることなく、自ら英霊たちの「供養」をする義務がある。その原点を忘れて、かっての敵国から「戦犯呼ばわり」されて腰が引けるようでは、日本国の指導者としての資格はない。
現役時代、戦闘機で訓練しつつ、万一「戦死」した場合、国家は遺族にどんな対応をしてくれるのだろうか?とふと考えたことがあった。しかし、戦後の自衛隊は、そんな事例はないから、「参考」にするのは「靖国問題」であった。しかしこの有様、我々がソ連と戦って、不運にも「日本海の藻屑」と消えた後、政府は何の手立てもしてくれないことは「十分に証明」されているではないか!
死に損であることは目に見えていたが、それでも誰かがやらねばならないことだと信じて訓練に励んできた。

生き残った我々は、英霊の声を謙虚に聞くことが第一にやるべきことであって、昔の敵国からの意見だけを尊重するのは日本人として「アンフェアー」というものであり、国籍を問われても仕方がなかろう。
いずれにせよ、その審判はまもなく下る、と思っている。


≪ブログがあけられなくなっていて、聊か混乱した。電話で「やられたのじゃないですか?」といわれたが、私はそんな大物じゃない。サーバーか何かの不具合じゃないかと思うのだが、ローテクパイロットなので、うまく解除できず弱った。この日記も、その点でうまく発信できるかどうか不明だが・・・≫