軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ロイヤルヨット・ブリタニア号

体調を崩したと書いたところ、多くの読者からお見舞いをいただき恐縮している。また、同期や後輩たちからも、メールなどをいただき、ご心配をおかけしたことを謝りたい。順調に回復しているのでどうぞご心配なく!
今日は「静養?」していたら、旧陸軍の大先輩方が発行しておられる「偕行」9月号が届いた。多くの先輩方が、戦争体験談や随想を書いておられるのだが、私も請われて沖縄時代の思い出を書いたのである。退官直前に、エリザベス女王陛下のお召し船『ブリタニア号』が、那覇港に寄港したときの、現場自衛隊員たちとの交流の思い出であるが、少し長くなるので2回に分けて転載したい。


ブリタニア号・・・最後の航海(その1)

 平成九年二月の初め、在日英国大使館から海軍武官が来て、六月に英王室ヨット「ブリタニア号」が那覇港に寄航するのでよろしく、と挨拶された。
 イギリス王室ヨット「ブリタニア号」は、「ヨット」とはいえ、建造後四三年たった五七六九トンもある豪華客船で、乗組員はトニー・モロウ艦長(海軍准将)以下、特別に選ばれた二三〇人である。今回は、歴史的な行事である香港返還に合わせてアジアを歴訪し、日本にも寄港するもので、東京、神戸、大阪港を親善訪問した後、沖縄の那覇港で「休養」し、目的地香港を訪問するのだという。これが「ブリタニア号」にとっての「最後の航海」になり、帰国後は「スクラップ」にするか、それとも軍艦「三笠」のような記念艦として保存するのかは、英国議会で検討中だという。
ところで、「ブリタニア号」(以下「ロイヤルヨット」という)に関して、我々日本人は決して忘れてはならない事がある。
 それは一九八六年一月十三日、南イエメンで内乱が起きて三八人の邦人がイエメン国内に取り残されたとき、五名の邦人がブリタニア号で対岸のジプチへ脱出し、さらに残りの三三名についても、二十三日の深夜から二十四日未明にかけて、英、仏、ソの船舶でジプチへ脱出したという経緯があることである。日本政府は十七日に「退避勧告」を出したのだが、情けないことに、退避させる「実力手段」を保有していなかったのである。
私は、折角の機会だから、そのお礼の意味をも込めて、日英両国海軍(勿論日本側は空自、陸自も参加するが)の友好親善を図るべく、スポーツの交歓試合や、第二次世界大戦の生々しい戦跡めぐりをはじめ、「両軍間」の交流計画を立案した。
ところが、「恩を仇で返す」様な事態が発生したのである。五月十九日に英国大使館から入った緊急電話によると、「ロイヤルヨット」の、那覇港における当初の停泊バースは、那覇軍港第四バースという、警備体制が完備した米海軍の専用バースだったのだが、北朝鮮情勢が緊迫したあおりで使えなくなった。そこで英国大使館は、沖縄県に停泊埠頭を申請したが、「那覇(安謝)新港」という、一般的な貨物(コンテナ)埠頭を指定されたので、「ロイヤルヨット」である事を理由に厳重な警備を依頼したそうだが、その「必要を認めず」として断られたらしい。そこで、沖縄方面の防衛を担当する私に、ロイヤルヨットの那覇港停泊期間中の警備を依頼してきたのである。しかし、ご承知のとおり、国内警備の担当は警察であり、沖縄県警がそう回答した以上、私にとるべき手段はない。英国大使館の怒りは最もであったが、全般情勢判断と沖縄県民の温和さから、私には特別警戒をとる事無く、万一の事態にだけ備えて対処する事が適当だと判断された。
ちなみに「南西航空混成団司令」と言う職は、沖縄に所在する陸海空三自衛隊に対して、人事権などの区処権はないが、代表して沖縄県知事、米軍司令官と各種連絡調整に当たる「自衛隊沖縄連絡調整官」をも兼ねているので、三自衛隊挙げて対処することにした。私は、英国海軍武官のN大佐に引き受ける事を約束し、部隊には各警務隊のジープで新港周辺の定期巡回と、万一に備えた警備要員の確保を指示し、むしろ親善行事に万全を尽くすよう指導したのだが、警務隊員は日ごろの「息抜き?」をも兼ねて毎日港まで「ドライブ」し、埠頭でセーラーたちと「交歓」したようである。
 六月十七日、皮肉にも七月一日付けで私の退官が公表された当日、ロイヤルヨットは那覇港に入港して接岸した。正午前に表敬に訪れたモロウ艦長と武官一行は、停泊中の三日間の警備と親善行事に感謝したから、私は「一九八六年の邦人救出の恩返しである」と述べると、艦長一行は深く感動してくれたのであった。
 引き続いて艦上での昼食会に招待されたが、自衛隊各指揮官はじめ、米・海兵隊指揮官達も同席した。私が先頭で乗艦、舷門で歓迎の笛がなる。ユニオンジャックに敬意を表して乗艦すると、デッキでモロウ艦長がペンを差し出して記帳するように言う。分厚いアルバム帳のようなサイン簿には、後で気がついたのだが、ビクトリア女王など、ブリタニア号に乗艦したVIPのサインがあり、歴史的に貴重なものだったから、日本人として毛筆、せめて「筆ペン」で記帳するべきだった・・・と反省したが遅かった。
会食後、船内を案内されたが、「ロイヤルヨット」だけあって収蔵庫はまさに「宝の山」であった。また、建造後四三年たっているにも拘らず、旧式なクリーニング機械に至るまでピカピカに磨き上げられ見事に機能している。乗組員のプライドの高さをそこに見た。
 その夜は艦上レセプションが開かれ賑わったが、太田沖縄県知事の姿は見えなかった。