軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ロイヤルヨット・ブリタニア号=その2


ブリタニア号・・・最後の航海(その2)』

 翌十八日は、返礼として艦長一行を招待して昼食会を開き、引き続いて親善行事に移った。当初の計画では、日英親善行事の目玉は「ラグビー」の試合だったから、隊員達は猛練習を続けてきたのだが、直前になって英国側から「サッカー」に変更されたので、サッカー部員は大慌て、「ラグビーは不利?」と判断したのか、さすがは「情報大国だ!」と、一同感心したものである。
 次の目玉は、日本武道の展示であった。私も防具をつけて剣道に参加する予定であったが時間がとれず、「いい格好」ができなかったのは残念だったが、柔道、銃剣道、空手など、若い隊員たちは喜んで参加してくれた。観戦した英国士官達は、本場で日本武道の真髄に触れて目を見張っていたが、中でも〝真剣〟で展示された「剣道型」、「銃剣道型」には、声もなかった。ところが、若い婦人自衛官が、気合一発、瓦を打ち砕いた「空手」の演技では、揃って感嘆の声を上げた。隣にいたモロウ艦長は「彼女も自衛官か?」と私に聞いたから、「陸上自衛官である。貴官の部下が変なアプローチをすると、〝瓦の様になる〟から注意したほうが良い」というと、ウインクで応えた。
 第二次世界大戦の戦史については、陸自の第一混成団に立派なジオラマが完備していて、解説も英語であったから、乗組員達にも十分に理解できたはずである。
その後、わが隊員達のガイドで、彼らはバスを連ねて南部戦跡をめぐった。
夕刻、海上自衛隊の主催で、野外バーベキューを開催した。沖縄文化をふんだんに盛り込んだ隊員達の出し物は彼らを多いに喜ばせたが、私は沖縄の民間の方々も招待していたので、会場は多いに盛り上がった。
バーベキュー終了直前、若い英国士官たちが、会場で知り合った若い女性や婦人自衛官達を「お礼に艦上にご招待したい」と私に申し出てきたから、私は「沖縄にはシンデレラタイムという制限時間がある。午後一〇時までには帰宅させよ」というと、横から艦長が「シンデレラタイムは深夜0時のはずだ」とチャチを入れる。「では特別に深夜0時まで許可するが、紳士として行動せよ」と大げさに言うと、再び艦長が「〝問題〟は十ヵ月後に発覚するだろうが、その頃はロイヤルヨットは沖縄にはいない!」といって大きくウインクしたから、周りは爆笑に包まれた。

六月二十日夕刻、ロイヤルヨットは那覇を出航した。その直前、N海軍武官が私の傍に駆け寄り「艦長がお別れを言いたいそうだから」と先導したので、一本だけ残されたタラップを駆け上ると、艦長室にモロウ准将が副官を従えて待っていた。そして私に「ブリタニア号」の水彩画をプレゼントしてくれたのである。
実は私は、初日に私を表敬してくれたモロウ艦長に、来日記念の意味を込めて、沖縄の「胡蝶蘭」を描いた水彩画の色紙をプレゼントしたのだが、艦長は色紙を「市販の品だ」と思っていたらしい。ところがN武官が私の趣味で「直筆であること」を説明したところ、艦長は大層感激し、船内に飾ってあった「ポーツマス港を出航するブリタニア号」という〝本物〟の水彩画を返礼にくれたのである。「海老で鯛を・・・」とはこのこと、私は今でもこの絵を大切に書斎に飾っている。
N大佐と共に「ロイヤルヨット」を下船した私は、埠頭に立って彼らを見送った。埠頭には、陸、海、空の各部隊から、それぞれ五十人づつの見送り要員が整列していて、その先には、南西航空音楽隊が控え、両国の行進曲などを吹奏している。
十八時三十分、汽笛を合図に船体が動き出した。ブリッジにはモロウ艦長たち、士官が並んで手を振っている。きびきびと動き回る水兵たちも、やがて整列して我々に向かって手を振り出した。音楽隊の演奏が一段と大きくなる。埠頭では海自の指揮官の号令で「帽振れ!」がかけられ、一五〇人の隊員達が一斉に帽子を振ると、ロイヤルヨット船上からも乗員達が「帽振れ」で応えている。
やがて、ゆっくりゆっくり回頭した船体は、埠頭を離れて沖合いに向かって進みだした。音楽隊は「蛍の光」を演奏している。


一九時十分、船体が見えなくなると、N海軍武官夫妻が私の傍に歩み寄って来て、独特な挙手の敬礼をすると共に、「自衛隊の心のこもった歓送迎に深甚なる感謝を申上げる」と言い、毛深い腕を差し出して握手を求めてきたが、私も責任を果たせて感無量であった。
しかもこの行事が、私の現役時代最後の公的任務となったのだからなおさらであった。
六月三十日、私は思い出多い沖縄勤務を終えて離任し、翌七月一日に防衛庁で退官申告をしたのだが、その日の夕刻にロイヤルヨット「ブリタニア号」は、香港返還行事を無事に終え、チャールズ皇太子以下、主要な英国閣僚達を乗せて、二十隻の英国艦隊の護衛を受けつつ故国・イギリスに向かった事が報じられた。
ブリタニア号も、最後の航海を終えて、今はポーツマス港の一角に「記念艦」として保存されているという。香港返還という、歴史的記念日に「三十四年間の航海」を終えて退官した私は、ブリタニア号との不思議な縁に感慨ひとしおの昨今である。
そして、一生忘れる事ができない記念品となった「ブリタニア号の額」の裏に貼り付けられた、「紋章」とその下に「H.M.YACHT  BRITANNIA」と赤い小文字が入った用紙には、モロウ艦長がお礼の言葉を書いてくれていて、それにはこうある。
「To Lt Gen Mamoru Satoh JASDF Commander HQ Southwestern Composite Division
With sincere thanks for the happy times we have spent together during BRITANNIA’s splendid visit to Okinawa

A J C Morrow
June 1997 Commodore Royal Yachts 」