軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

胡錦濤主席、暗殺未遂事件

 今まで、何人かの友人から表記についての問い合わせがあったのだが、「事件」は昨年5月」だというので、私が転居のためばたばたしていた時期と重なり、情報が途切れたらしい。ただ、宮古水道を領海侵犯した中国の「漢級原子力潜水艦が、基地に帰還した直後に、江沢民前主席が基地を訪問して、乗員を労ったことが報道されたので、私は軍をめぐる主導権争いが激化していることは承知していた。さらに、対米核反撃論をぶち上げた劉、朱両将軍に対して、胡錦濤主席が激怒し、2人を叱責したので、あのような発言は二度としなくなるだろう、という情報も聞いていた。確かに二人はその後発言していないようである。昨年の会議で、胡錦濤主席が軍人の給料を2倍にしたと聞いたので、彼が軍の掌握に懸命だということも推察できた。そして昨年末の張海軍総司令の死去に伴う「公表の不思議」と事態は続いた。
 12月14日に海軍総司令という重要人物が北京で死去したのに何ら公表されず、17日に「海軍小報」が、「病気のため12月14日に北京で逝去した。享年63歳」と報じただけだったので、西側情報筋が問題にしていた。ところが彼の死因もなぞに包まれているという。
 解放軍海軍司令であった張定発は江沢民グループであり、04年の第4回中央委員会会議で海軍司令員に抜擢され、軍事委員会メンバーとなっている。その後、江沢民が引退すると、胡錦濤が上将(大将)に昇進させたといわれているが、昨年1月にチンタオの海軍部隊を視察中に突然意識不明となって北京に帰ったという。ロシアのスパイ殺害事件を彷彿とさせるが、彼はそのまま入院している。
 胡錦濤は後任に彼直属の呉勝利を当てたが、彼の海軍軍歴は輝かしいものだったらしいが、入院した張定発は北海艦隊司令時代に事故や事件を多発させていたらしい。 その最大のものは昨年5月の北海艦隊を胡錦濤主席が視察中におきた事件だったという。情報では、江沢民派の張上将が入院中の出来事ということになるのだが、彼は江沢民前主席から、視察中の胡錦濤が乗艦したミサイル駆逐艦を「攻撃」するように指示されていて、昨年5月1日にそれは実行されたが「未遂」に終わったという。
 胡錦濤主席が海軍の訓練視察に出向いたのは、彼の腹心が司令員になったという安心感があったと思われるのだが、攻撃を受けたミサイル駆逐艦ではかなりの被害が出て、士官を含む5人が死亡、胡錦濤主席は艦載ヘリで命からがら脱出し、情報によれば一時的にチベットに逃避したらしい。この「事件」は、ミサイル誤射事件として一部報道されたらしいが、生憎私はつかんでいなかった。
 暗殺計画は、3隻で行動する駆逐艦のうちの2隻が、「目標艦」を挟み撃ちにして攻撃し、暗殺が成功すれば関係者は「昇進」が約束されていたという。
 この事件が勃発した時は、張定発上将は入院していたことになるが、これら一切の「秘密」を抱えたまま12月に死去してしまったため、胡錦濤は悔しがっているというのだが、江沢民派は安堵したことだろう。
 この「暗殺未遂事件」については香港のメディアが報道し、一部には「ミサイル誤射事件」として報道されたというが、だらしない事にそれも私は掌握していなかった。私が知った「軍人の給料2倍施策」がいつの時点で行われ、それがどの程度効果を挙げているのか気にかかるところだが、いずれにせよ、大陸内部での「暗闘」は、かなり重症なのか、それとも安定し始めているのか?。
 今朝の産経新聞には、北京オリンピックを成功させるために、中国共産党中央宣伝部劉雲山部長が20日、21日に北京で開催された「全国対外宣伝工作会議」で、「積極的に対外宣伝と文化交流を展開し、良好な国家イメージを示そう」と「好意的世論つくりを指示」したという。
 たまたまというべきか、計画的というべきか、我が国から二階氏らが旅行業を生業にした経済人たちを引き連れて訪中しているが、どうもその宣伝工作の一端を担いでいるように見える。水面下で進行している北京派と上海閥との闘いは、丁度1920年代の大陸の状況に良く似ている。訪中団には、その辺を良く観察してきてほしいものであるが、金に目がくらんでいるだけの経済人と政治家では無理というべきだろう・・・
 いずれにせよ、この秋に予定されているという胡錦濤主席の訪日が注目される。