軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

次期米大統領選に注目!

 今朝の産経新聞7面下に面白い記事が出ていた。「イラク政策めぐり副大統領の娘と火花」と言うタイトルで、ヒラリー議員が23日、「イラク駐留米軍の規模に上限を設ける自らの案を『弱腰』と批判したチェイニー副大統領の娘に反論、イラク政策をめぐり激しい火花を散らした」というものである。
「昨年5月まで国務省で中東局ナンバー2の筆頭副次官補を務めた副大統領の娘、エリザベス氏は同日付のワシントンポスト紙への寄稿で『ヒラリー氏が大統領選勝利のためなら何でもやることは疑いない。戦争に対しても同じように考えてくれることを望む』と主張。米軍部隊の戦闘能力を制限すれば『テロリストを利するだけ』として、ヒラリー氏を『ひるんでいる』と批判した。これに対し、ヒラリー氏はCNNテレビのインタビューで『彼ら(ブッシュ政権)は完全に間違っている。過去何年も過ちを犯し続けた』と反論。『より良い道があるはずで、われわれは方向転換しなければならない』と述べた」そうだが、この論争を読んで私は昔のことを思い出した。
1990年8月2日、イラクがクエートに侵攻して中東情勢は緊張、翌年1月17日、湾岸戦争が開始された。私はこのとき三沢基地司令だったから、特に米国内の動きに関心があった。わずか一ヶ月と10日でブッシュ大統領湾岸戦争勝利宣言、世界は米軍の強力さを目の当たりにしたのだが、水面下ではテロリストたちの対米報復計画が着々と進行していた。そして93年2月、ニューヨークの世界貿易センタービルが爆破され、死者6人、重軽傷者1000人以上という惨劇があったが、これが「テロ戦争」開始ののろしであった。
 94年6月14日に北朝鮮IAEAを脱退して半島危機が訪れるや、17日に急遽カーター元大統領が特使としてピョンヤンを訪れ、金日成と会談して危機を回避したことは周知のとおりである。このとき、クリントン大統領は北朝鮮から莫大な献金を受けていたといわれ、その後訪中した際には中国からも莫大な献金を受けたといわれているが多分事実だろう。奇妙なことにその直後の7月8日に金日成が死去している。10月21日に米朝『枠組み文書』に署名、一応半島危機は脱出したといわれたが、それが正しかったかどうかは、現在の6者協議に至る経過が良く示している。この年の12月にフィリピン航空機が沖縄上空で爆破される事件が起きたが、これはテロリストたちの時限爆弾装置のテストであった。その証拠に翌95年1月6日に、マニラ市内でボヤ騒ぎが起きたテロリストのアジトで「ボンジカ作戦計画」が発覚している。CIAとFBIは厳戒態勢に入ったが、不運な事に米国はクリントン大統領で、当時の日本政府は村山政権という「野合政権」だったから、米国側からの情報は大きく制限されていた。その上直後の17日に阪神淡路大震災が発生して、兵庫県知事は温泉旅行で不在、首相はテレビを見て「どうしようもない」とつぶやく状態だったのだから、国際情勢を意識するどころではなかった。
 そして3月20日に地下鉄サリン事件が発生、CIAは直ちにこの事件の情報を詳細に収集して米国内でのB・CWテロに備えた。4月19日、オクラホマシティの連邦ビルが爆破され死者168人を出す大惨事になった。96年6月25日には、サウジのダーラン近郊の米軍基地宿舎に爆弾テロがあり、死傷者247人を出している。9月27日にはアフガン反対勢力であるタリバンがカブールを制圧、ラバニ政権は崩壊した。
 97年は11月17日にエジプトの観光地で、イスラム過激派による無差別発砲事件が起き、日本人11人を含む60人が死亡した。
 98年に入ると、国際情勢は一段と緊張する。我が国は橋本政権だったが、沖縄米軍基地問題台湾総統選挙妨害のための中国のミサイル発射演習で大揺れに揺れて国際的なテロ活動なんぞ気に留める暇もなかったといえる。
 そして8月7日、ケニア、ナイロビの米国大使館に爆弾テロがあり、死傷者247人、同じくタンザニアの米国大使館でも爆弾テロがあり死者10人を出した。次いで31日には北朝鮮が日本上空を越える「テポドン発射」を実行、99年は日本周辺海上での「不審船事件」で海上警備行動が発令されるなど、国民の軍事に関する関心も何と無く高まりつつはあったが、2000年に入るや国際テロ行動は一段と激化した。
 1月3日にイエメン・アデン港内で米駆逐艦に対する爆弾テロ未遂事件が発生、米軍は厳戒態勢をとったが、にもかかわらず10月12日に同じアデン港内で給油中の米駆逐艦「コール」自爆テロがあり、死者17人、負傷者40人を出す事態になった。世界最強を自負する米海軍艦艇に対する「白昼堂々の攻撃」に、怒り心頭に発した米軍は、直ちに報復攻撃計画を作成、10月中に実行しようとしたのだが、何とこれをヒラリー氏が阻止したというのである。この「報復作戦計画」は「オクトーバー・サプライズ・オペレーション」と言う呼称で、ゴア副大統領までの決済は終わっていて、あとはクリントン大統領の「ゴーサイン」を待つだけであったらしいが、ヒラリー女史は「ゴアが有名になれば大統領選で民主党内での強力なライバルになるから」と言う理由で「夫の大統領」に強硬に反対を唱え、決済をさせなかったというから、エリザベス女史が言うように「彼女は大統領選勝利のためなら何でもやる」ことの証明だろう。しかも米国民にとって最悪だったことは、当時のクリントン大統領は若い女性との「不倫」が発覚して夫人に頭が上がらない状態だったからゴーサインに「ひるみ」決済しなかったのである。その代わりに、怒り狂う軍部との妥協の産物として「ペルシャ湾」から、トマホークミサイル100発をアフガンに打ち込んでお茶を濁したというのだが、有り得る話ではある。米国のある友人がこの例から「決して弁護士を大統領に選んではならないと言う教訓を得た」とウインクしながら語ってくれたものだが、確かに考えてみると「韓国の大統領」も、「台湾の総統」も弁護士である!。幸い我が国に弁護士総理は誕生していないから良いものの、議員の中には大勢いるから油断は出来ない!冗談はさておき、軍部の強硬な姿勢を知ったテログループは、米国に対する報復計画を急ぎ、ついに2001年9月11日に繋がってしまった。その後、FBIの調査で分かったように米中枢同時テロは、数ヶ月前から入念な予行演習が行われていて、軍資金だけでも実に20万ドルが流れていたという。
 今回のエリザベス女史とヒラリー女史との「火花記事」から、あの当時のことを思い出したのだが、ヒラリー女史の「弱腰」は、単に軍事力行使に対する弱腰だけではないように思える。中国から莫大な献金を受けているといわれるヒラリー女史が大統領になった場合、日米関係がどうなるかが推察され、我が国のとるべき手法を検討しておく必要があることを痛感した。今後のアジア情勢を考えるとき、決して「対岸の火事」では済まされまい。