軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

私も兵士です!

 三沢基地から、毎月基地新聞「みさわ」が送られてくる。米軍、三沢市民との交流が伺えて嬉しい限りだが、今月号の「コラム」にI飛行隊長が表記の一文を書いていた。イラクで重傷を負ってイラク軍に捕まったリンチ上等兵を、米海兵隊員が突入して救助した際の言葉である。「我々は君を救出に来た米国の兵士だ」と告げた海兵隊員に対して、彼女も「私も兵士です(I am a soldier,too)」と答えたエピソードをあげ、「極限の恐怖と苦痛の中で、この若者(リンチ上等兵)が自身を表した『兵士』という言葉が心に残りました。どのような状況でも自分が何のためにあるのかを忘れてはいけないと、この言葉から教えられました。戦時・平時の別、階級や年齢の違いはあっても、私達はみな自衛隊員です。私達が任務を全うすることで、日本の安全が保たれます。雪の中を昼夜警備に就く隊員、発進前の戦闘機の下で這うように点検する隊員、真冬に野外炊飯した温食を差し出す隊員、身の回りを見渡すだけで多くの若い隊員が任務を日々全うしていることに気付きます。 同時に弱い存在である私達は時に規律に反し、罰を受けます。そんな私たちが何のために在るのか、本分を見失うなと戒めているのが『私も兵士』という言葉だと感じます。私達は日本国の兵士です」
 久しぶりに私も若返って、ファントム飛行隊長時代を思い出した。第一線は健全である。しっかりと国防の任務を果たして欲しいと思う。

 ところで、以前ご紹介した、マイケル・ダナム著・山際素男訳『中国はいかにチベットを侵略したか』には、現在日米間で問題になっている『従軍慰安婦』や、『南京虐殺』を考える上での新たな視点を示している様に思う。
 チベットがいかに中共軍に占領されたか、その過程をつぶさに調査した貴重な本で、『ダライ・ラマ自伝』(文芸春秋・1991)、『チベットわが祖国―ダライ・ラマ自叙伝』(中央公論・1962)と決定的に異なるのは、当事者たるダライ・ラマご自身が書かれたものでは無く、米国カンザス州生まれの作家であり、写真家である第3者のマイケル・ダナム氏が書いたことである。膨大な資料と、実際に被害にあったチベット人や援助に活躍した米国のCIA担当者などとのインタビューで構成されていて、臨場感溢れる描写がすばらしい。この書を精読すると、いかに中国兵(国民党軍も共産党軍も)が残虐で恥知らずかということが良く理解できる。つまり、この本には、南京「大虐殺」の真犯人が誰であったのか?という証拠がふんだんに記載されている。同じ「マイケル」でも、「ホンダ」と「ダナム」では大違いのようで、チベット人婦女子(尼僧、老若を問わず)に対する残虐な暴行の事実を読むと、異国民女性を「性の奴隷」扱いにするところは、まさに彼らの本性を表しているものであり、「従軍」慰安婦を、日本兵の性の奴隷だと殊更強調すること自体が、日本兵と彼らとを同列に扱うための工作行為だということがわかる。
 そのような「戦場文化?」は、彼らにとっては日常茶飯事なのであり、疑う余地の無いことなのであろう。
 1949年に大陸を統一した毛沢東は、巧言を弄しつつチベットに進出し、1952年に朝鮮戦争が一応終結すると同時に、強力な軍隊を侵入させて一気に東チベットを制圧する。そして地図(写真)のように完全に侵略した後、引き続いて1959年にかけてチベット全土を「自治区」として奪取する。

その経過はこの本に詳細に記述してあるが、原書は英語だから、是非在米日本大使館は米国政府関係者に原書を読んでもらうように努力して欲しい。勇敢なチベット“戦士”たちは、世界から完全に見放されるが、やがてCIAに理解され、その支援を受けて祖国防衛に立ち上がる。しかし、時既に遅し!。世界情勢は急激に変動し、そのハザマで見捨てられてしまう。インドのネールも、勿論イギリスも、どこの国も口ほどに援助はしてくれない。国連などは全く役に立たないが、それでも1959年6月に国際法曹委員会は「チベット問題と法の統治」と題する報告書を出して、中共が「国連ジェノサイド協定に触れるのは明白である」と述べた。そして同年秋の国連総会では「中国の甚だしい人権侵害への非難決議」が公式に採択されているのである。外務省は、当時の記録を再検討して、受身になって防戦に努めるだけではなく、堂々と当時の中共政府のチベットに対する侵略と人権に対する残虐行為を、国連文書を提示して追及して欲しいと思う。
 訳者はあとがきで「漢民族の“中華思想”を甘く見てはいけない」、「毛沢東が、チベットを支配するにはまず“仏教”と仏教指導者層を徹底的に滅ぼせといったのは脅かしではなかった。・・・6千以上あった寺院をことごとく破壊し、焼き払い、文化的遺産――・・・を抹殺し、仏教僧を血祭りにあげていった。・・・そういう状態の日本を想像してみるといい。法隆寺などを初めとする日本の神社仏閣がすべて焼き払われるか、粉々に破壊され、正倉院などの宝物一切は略奪、破壊される。仏僧たちは公衆の面前で裸にされて虐殺、少しでも反抗する信者達は子供の面前で惨殺されてゆく・・・。誇張でもなんでもない。現代チベットにおいて繰り広げられた事実が、大虐殺と文化の抹殺なのだ。チベットの不幸は、闇から闇へ葬ってゆける歴史的状況を中共に利用されたことにある。誰も知らない間のドサクサ紛れに抹殺されてしまったのだ。このような下手人たちが今も健在であることを絶対に忘れてはなるまい」と警告しているのだが、今の日本人はこの本の内容をどこまで信用出来るだろうか? 産経新聞に連載された「訒小平語録」第一部が終了した。これもあわせて読むと、かの国の実態が浮き彫りになってくる。
 しかし、いずれにせよ最後の防波堤は軍事力である。「私も兵士です!」という、自覚ある若き後輩達に期待する以外にない。