軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

教えざるの罪

 昨日の6月1日で転居一周年を迎えた。昨年は色々あって大変だったが、漸く新天地に根付くことが出来た。一時、体調を崩して体重が5Kg減り、血圧が異常に低下したことがあったが、本来の健康体を取り戻しつつある。若いときにパイロットを目指して特訓した甲斐があったと感謝している。
 書斎の整理は不十分だが、それは貴重な資料が次々に出てくるので、ついそれに気を奪われるからでもある。これから落ち着いて「晴耕雨読」生活を確立したいと思っている。

 ところで、映画「君のためにこそ・・・」の感想を書いた昨日のブログに4件のコメントが寄せられていたが、私とほぼ同じ感想であったことに逆に驚いている。特に「飛燕」氏のコメント、「現在の若者でも訓練すれば大東亜戦争当時の凛々しい大和男児の姿を再現できる」という感想に同感した。
「男達の大和」撮影でも、旧軍関係者が“今時の若者”を相手に演技指導をしたとき、これで物になるのか?と心配したそうだが、一週間もたつと、昔の自分達と変わらない動きをするので感動した、と語っていたが、その昔、山本五十六大将も「今時の若者などと申すまじく候」と高橋三吉大将への手紙に書いた。
 私の34年間の航空自衛隊生活でも、常にそれを感じてきた。中には「凛々しい?」かどうか分からない若者もいたのは確かだが、それでも目的を的確に示せば、指図しなくとも黙々と任務を遂行する隊員が多かった。
 今も雑誌「丸」に私の体験談を連載しているが、305飛行隊長時代に特に感動することが多かった。例えば、夜間兵装変換訓練中に、圧力に耐えかねた直径10cmほどの穴のパッキンが壊れて蓋が飛び、ドロップタンクの燃料が猛烈に噴出したことがあった。エンジンを切れば圧力が減り噴出は止まるのだが、夜間でもあり騒音がひどいため指示が届かずパイロットはエンジンを切らない。燃料はどんどん噴出してランプ地区に流出している。火災の恐れがあるので私は消防車を呼び、現場に駆けつけたのだが、突然噴出が止まったので翼の下を見ると、一人の2曹が噴出しているタンクの穴に自分の右腕を突っ込んで、2の腕で噴出を止めたのである。勿論彼は全身燃料まみれだったが、医務室に見舞うと、「隊長、ビールでなかったのが残念です」と元気に笑った。
 空中戦大会を控えたある日曜日に、飛行隊に出かけて格納庫を覗くと、私の愛機に一生懸命「ワックス」を塗っている機付長がいた。床には10缶ほどの車用のワックスの缶が置いてあり、「少しでも機体表面を滑らかにして、超音速飛行時の空気抵抗を減らす」ために、「自費で買ってきたワックス」を塗っていたのであった。
 こんな責任感溢れる隊員達に支えられた私は実に幸せだったと今でも痛感しているのだが、それがあの映画の最後のシーンと重なったのである。
 退官後、東京に戻ると、都心には「なよなよした」若者達がたむろしていた。こんな連中を守るために命を懸けてきたのか・・・と情けなく感じたのは事実だが、「飛燕」氏が言うとおり彼らは「教えられていないだけ」なのである。我々「大人たち」の「教えざるの罪」がいかにこの国をだめにしてきたか、を痛感したのであった。

 今、この国の政治は大きな曲がり角に来ていると思う。連日報道される国会の様子を見ていると、旧態依然とした体制にどっぷりと漬かって何ら反省していない「旧タイプの政治家達」と、21世紀を見つめ、今までの「無為無策政治体制」を脱却しようとしている「新しい若手政治家達」との軋轢が表面化しているのだと思う。これら「旧タイプの政治家達」の「教えざるの罪」は、拉致事件未解決に象徴されるように実に罪深い。
 漸く小泉首相が、この腐りきった体制を破る第一歩を踏み出したのであり、安倍首相には、それを推進する任務があるのだと思っている。戦後60年にも及ぶ腐った体制改革が、そう簡単に出来る筈はない。土台からやり直す必要がある。今やバブルに浮かれ、やるべきことをやらずに来た政治の「ツケ」が噴出しているのである。
 安倍首相には、その腐った「穴」に自ら腕を突っ込んで、今までの流れを止める覚悟がなければならない。彼を批判するマスコミは、いつもの通り、販売部数と視聴率向上にしか興味はないのである。
「断じて行えば鬼神もこれを避く」という。支持率などというマスコミが作った作為的な指標に惑わされることなく、「美しい日本作り」のために敢然として「特攻精神」を発揮してほしいものである。