軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「有事の備えは万全なのか」

 今朝の産経は「主張」欄に表記のような論を書いた。青森県深浦漁港に“たどり着いた”北朝鮮からの脱出者家族を取り上げたものである。彼らの「身元や動機、脱出経路の特定などは重要」だというのは当然だが、「同時に、水際の監視体制に問題はなかったのかどうか。更には、脱北者に対する日本としての基本的な取り扱い、対応措置などについても法整備を含めて再点検し、不備については早急に対策を講じる必要があろう」と書いたが、それもまた当然過ぎるくらい当然な事柄である。そして最後に「水際の監視にも課題を残した。小型船は事前捕捉が難しいとはいえ、やすやすと接近を許したのは問題だ。工作船だったら、それでは済むまい。沿岸警備体制の再検討も迫られよう」と結んだが、「沿岸警備」を担当している海上保安庁の実態を調べれば、もっと突っ込んだ論説が書けたはずである。
 産経は、3日の記事でも「海保・小型船対策急務に」として、「工作船事件を背景に、海保は厳重な監視体制を敷いてきたはず。国際的なテロの脅威の高まりもあり、原発石油備蓄基地、米軍施設では、沖合いに巡視船を常駐させるなど水際でのテロ対策も近年強化されたが、小型船はこれを潜り抜け、港にたどり着いた」として、海上保安庁の小型船舶に対する対策は「急務だ」としたが、海上保安白書を見るまでもなく、総員約1万2千名の組織で、島国日本のこの長大な海岸線を十分警戒できると思っているのであろうか?「対策が急務」であることは良く分かる。しかし、それを実行する手段がどうなっているかを併記しなければ、空念仏に過ぎまい。
 既に30年以上も前から、この国の海岸線は「スカスカ」であり、多くの日本人が北朝鮮に拉致されていった。今回の事件は、その「ルート?」を、北朝鮮国民が“惰眠を貪る日本国民”に、さらけ出してくれたようなものではないか。
 海上保安庁の任務は、侵入してくる「小型船舶」の監視だけではない。密漁の監視、麻薬流入ルートの遮断、海難救助などなど、任務は極めて多いが、それに対処する人員は極めて少ないのである。その上「テロの警戒監視、原発石油備蓄基地、米軍施設の巡視行動」が加わっているのだから、海上保安官には身体がいくつあっても足りないことになる。
 先日、大西中将はなぜ特攻隊を編成しなければならなかったか、について一文を書いたが、そこに私は、米国との戦に突入しながら、肝心要の「パイロット養成数」を増加することなく、平時編成のままの養成数であったことがその原因の最たるものであった、と書いた。
 昭和17年8月に米国から交換船で帰国した寺井義守海軍中佐は、実態を知って驚き、直ちに100名前後の養成数を一挙に3000名にする案を提出したのだが、海軍省内で孤立し、漸く大佐クラスの課長達を説得出来たときには、昭和17年度予算に間に合わなかった。
 一年遅れの昭和18年度予算が、第13期海軍予備学生から適用されることになったのだが、戦局は逼迫してきており、悠長な訓練は出来なかったから、通常2年の訓練期間を1年に短縮した「促成栽培」で戦地へ送り出さねばならなかった。空中戦闘訓練も受けていない彼らに出来ることは特攻しかなかったのである。大西中将はそれを自分の責任として「心を鬼にして」実行し、終戦と同時に自刃した。
「特攻隊の英霊に日す。善く戦ひたり深謝す・・・」という彼の遺言は、その無念を余すところなく伝えていると私は感じている。そして「之でよし、百万年の仮寝かな」「すがすがし、暴風のあとに 月清し」と辞世の句を詠んで自刃した。8月15日夜、大西長官の挙動がおかしい、自刃する!と感じた寺井中佐ら幕僚達数人は、南平台にあった次長官舎を尋ねて様子を伺ったのだが、浴衣がけで談笑する大西次長の姿と、久しぶりに奥様手作りの酒肴で酒を飲んだ彼らは、昔話で盛り上がり、「全くその気配を感じなかった」ので、安心して官舎を辞去したという。
 翌早朝「次長自刃」の報に接した寺井は、地団太踏んで悔しがったが、そのとき、昨夜遅く辞去する時に、大西中将は自ら玄関先の門まで出て来て「寺井、頼んだぞ」と言って握手した。こんなことは滅多になかったことだったのだが、「久しぶりの酒でいい気分になっていて、それが別れの挨拶だと気がつかなかった!」と寺井は悔やんだ。
 その後寺井は脳梗塞で体が動かなくなるまで、8月15日の世田谷観音(特攻観音)へのお参りを欠かさなかった。「3000人増強案を速やかに通すため、強引に上司らを説き伏せるべきだったが、自分は中佐幕僚、その上先輩の中には、米国帰りの私を“米国寄りだ”としてよく思っていない者がいて、とうとう1年遅れの実施になった。後一年早く実施できていれば、彼らにもう少しまともな戦いをさせてやることが出来たのに、全く申し訳ない」というのが寺井の口癖だった。
 この国の悪い癖は「危険が身近にならなければ、全く誰も行動しない」という点にある。いや、「身近に迫っても、自分だけは何とかなるだろう」とて、他人任せにするところにある。
 海上保安庁の定員を「一挙に10倍にすべし!」と私は昨年のチャンネル桜の討論会で言ったことがあるが、今も昔も変わらない体質に、寺井の苦労を痛感したものである。
 今回の事件を通じて、日本国民は、僅か12000人の職員だけで、島国日本のすべての海岸線で「小型船舶監視」が徹底できると、本気でお考えか?
 今話題の「年金問題」は、確かに国家的な「振り込み詐欺まがい」の“事件”である。この問題は、当時の関係者に遡って原因究明と「責任の所在」を明確にさせる必要があるのは当然だが、25万人の気の毒な“被害者”救済に本気で取り組むことなく、自分の責任を他人に擦り付けて“逃れようとする”見苦しい政治家や官僚達の姿に国民は怒っているのである。つまり、拉致された自国民を「本気で救おう」という気が全く感じられない政治家達の「無責任さ」と共通する“事件性”を、国民は身に染みて感じているのである。特に野党の無責任さは許しがたい。
 産経が指摘した「海上保安庁の小型船舶対策」を、実効有らしめるためには、直ちに「我が国の沿岸警備対策」を強化する施策を建てて即実行することであろう。
 沿岸警備に海上自衛隊を活用すべきであり、漁民の情報活動を重視すべきである。何よりも、住民(国民)に危機意識を高めさせ、身の回りの不審な事案に関心を向けさせることが大事である。それが徹底していたら、拉致事件など起きなかったであろう。
 北朝鮮の内情は「不透明?」であり、何時何が起きるか分からない。小型船での脱出に「このルートが一般化し、日本への脱出が多発することはない」と警察関係者が語ったそうだが、朝鮮戦争時の難民の実態はどうであったか?南ベトナム崩壊後、「ボートピープル」が我が国周辺までたどり着いた事実をお忘れか?
 裕福で、物質的に豊かな近代生活を楽しんでいるわが国民に、死ぬか生きるかの選択を迫られている悲惨な国民の心情は理解できまい。しかも、JR車内で女性が暴行されていても、全く無関心で助けようともしない乗客がいるという“異様な”現状では、私の“雄たけび”も、“ごまめの歯軋り!”と揶揄されるのが落ちかもしれないが・・・