軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

不吉な自民総裁選

「敵前逃亡」と書いたら多くの賛否両論が寄せられた。どれも納得だが、通常軍事作戦においては「戦闘中や、戦場での戦闘待機中に部隊から逃げ出すこと」で「脱走と異なる点は『目の前に戦うべき敵部隊が存在する』状態での逃亡行為であること」で、ただの「脱走」よりも罪が重い。
「軍人は戦うことが仕事なので、敵前逃亡は任務の放棄と同じ意味を持つのである。また一人が逃げ出すと他の兵士も戦意を喪失してしまい、部隊が総崩れになってしまう危険がある」と軍事辞典(ミリダス)にはある。
 34年間、戦闘機乗りとして「見敵必殺」精神を叩き込まれてきた私には、今回の現象は正にそう見えたから書いたのだが、軍事学を教えられていない現代日本人には、安倍氏に対する期待があまりにも大きかっただけに、贔屓の引き倒し的な「同情論」が目立つのも止むを得ない事かも知れない。勿論私も「憲法改正」を堂々と掲げて総理に就任したから、心から期待し応援して来たし、安倍氏個人に対する同情も評価もいささかも変わってはいない。
 ただ、今回の辞任劇をつたない私の軍事的体験から見れば、最高指揮官が「作戦計画」を全軍に布告し、自ら陣頭に立って戦うと訓示して士気を鼓舞した直後に、勇躍戦闘配置についた部隊を置いて突如「指揮権を放棄」したように見えたから、これじゃ部隊は戦えないと落胆したのである。
 繰り返すが、安倍氏“個人”に対する好き嫌いの問題ではなく、国家指導者たる「総理大臣」の挙動として批判したのである。
 更にこの国の「危機管理」という局面からも、今回の騒動を冷静に見て欲しい。首相が3,4日入院と決まった時点でも、与謝野官房長官が「首相の入院に伴い首相臨時代理を置くかどうかについて『内閣法の規定は、首相に事故のあるとき、あるいは首相が欠けたときとなっている。現在の状況は合致しない』と否定した(産経)」という。
 つまり、首相は辞意を表明して病気入院したが、その代理は任命しない、というのであり、今現在の自衛隊の最高指揮権は誰にあるのか!という点がぼけているではないか。
 法律上は「入院中の安倍氏」にあるが、実質的な「自衛隊の指揮権」は内閣の大臣中誰にあるのか?勿論防衛大臣は直接指揮権を有するが、それだけで今まで甲高く叫び続けてきた「シビリアンコントロール」は厳守されているといえるのか?仮に今、どこからかミサイルが打ち込まれた場合、誰がどのように判断して、どんな手段で直ちに「命令」を出すのか?
 勿論、全国各地の自衛隊の部隊は粛々と任務を遂行するし、今もその配置にあるのは当然だが、国家的判断を要する事態が発生したとき、どのような手段がとられるのか?国民には理解困難ではないか?

 昨日は、多くの友人から今回の件についての感想を聞かれたが、私が逆に「政治評論家」にこの件を聞いても的確な回答は得られなかった。「後任者は?」「特措法は?」「辞任の真相は別にあるのでは?」などと、正に興味本位の関心しか伺えなかったが、元自衛官としては、一朝有事の事態発生時の指揮権の空白ほど恐ろしいものはないから心配しているのである。
 テレビは、今回の辞任に関す国民の「感想」を特集していたが、誰一人としてこれを問題にしたものはいないし、まるで「永田町・ワイドショウ」的他人事感覚が支配している。そこまで政治が“嫌悪”されているのだといえばそれまでだが、コメントにあったように、これが今の日本人の政治感覚なのだろう。正に「天に唾して恥じない」状態である。こんな状態では一人安倍氏が踏ん張ってみても、所詮無理だったのであり、安倍氏が脱却しようと図った「戦後レジーム」が如何に強固に浸透しているかという、冷酷な現実を浮かび上がらせた“事件”だったといえる。
 肝心要の自民党内部でも安倍総理を支えることよりも、「権謀術数」「下克上」「“その後”を見据えた洞ヶ峠」に終始していたのであり、それは単に政治の劣化というよりも、如何にこの国が「諜報・工作」に篭絡されているかということの証明ではないか。
 今回の安倍総理入院報道を見て、安倍氏側近達が、どうしてもっと早期に「最高指揮官に静養を求め」その回復を促さなかったのか?不思議でならない。過酷なスケジュールで病気にしようとした「敵の回し者」が側近中に潜んでいたとは考えたくないが・・・。首相が不在では、国会運営が困難なことはよく分かるが、さればとて、健康状態が不安定な「最高指揮官」に、ライフルを持たせて前線に立たせる事のほうがいかに危険なことかぐらい分かりそうなものである。つまりこれは、一種の政治的「クーデター」だったのであり、それほどこの国の政治が「麻痺」している証明でもあろう。
「国民不在の政治」といわれて久しいが、ここに来て一気に噴出した。しかも私が最も恐れていた「2008年危機」の直前に、である。

 今回の辞任劇を世界は色々評しているが、私が三沢基地司令だった1991年1月17日に開始された湾岸戦争時の体験が忘れられない。次の漫画は、1991年1月15日付の米国の「スタンダード・エグザマイナー」という新聞に掲載された「漫画」である。重装備をした米国の青年兵士が、湾岸戦争に出陣していくところだが、その後ろに立って手を挙げている5人の男達が叫んでいるのは「BANZAI!」であり、当時米国人が表現した日本人の姿である。彼ら日本人たちは、砂漠を米軍兵士と共に歩いてきたのだが、ある一定のところ、つまりその先が「危険地帯」になると一斉に停止して、米軍兵士たちに向かって「万歳!」と叫び、中の一人が「サヨナラ アンド ビー ケアフル ウイズ アワーオイル」と叫んで、自らは危険を共にしない!
 同盟国民のそんな「声援」を受けながら、米国青年は戦場に出かけていく・・・。これほどあのときの我が国の態度を皮肉った漫画はあろうか!
 三沢基地内の米軍官舎のあちこちに「黄色いリボン」が掲げられ、出征兵士の家族には、基地の幹部夫人たちがきめ細かく面倒を見て慰めあっていた、その情景が今でも私の頭に焼きついている。

 何度でも言うが、私は一退役自衛官、それも単純な戦闘機乗りであったに過ぎない。政治・経済は全く疎いが、自衛官生活を通じて、同盟国であろうがなかろうが、軍人・家族達の真情は「人間として変わらない」と感じ、そう確信してきた。そんな「軍事的体験」から、今のこの国の混乱を見ると、情けないどころか、敵の間接侵略に“完全に”篭絡され、あと一歩で陥落しそうな危機的状況に見えて仕方がない。

 今朝の新聞は「福田氏支持広がる」と書き、「今回はいける」と読んだ福田氏が総裁選に出馬を決意したという。
2年ほど前、小泉後の日本政治を牛耳ろうと特亜諸国は必至だったが、彼らは既に「福田体制」を念頭にして動いていた。それが安倍氏に傾いたので、急ぎ戦略(工作?)を変更して、安倍対策に傾注した。在日中国大使が一ヶ月も帰国して、任地を不在にするという“椿事”があったことを覚えておいでだろうか?
 朝日、NHK問題を抱えて戦った安倍氏は、当然メディアから目の敵にされたし、「憲法9条改正阻止」を掲げる共産党も朝日と連動して陰湿で執拗な攻撃を加えてきたことは十分認識されていたことであった。
 そして一年後の今、彼らは漸く思いを遂げた?のだが、一年前の状況とは激変しつつあることに気がついていない。中国国内では、まるで「国民党と共産党」の戦いにも似た激戦が、胡錦濤主席の勝利に終わる気配が濃厚だし、朝鮮半島では、南北の「取引」が行われようとしており、それに対する“イラクで苦しむ”米国の出方は要注意である。しかも、それによっては「中朝関係」が激変する恐れもある。
 その北部に備えるロシアは、それを知ってか知らずか、政治体制強化に乗り出した。そんな中で、親中派総理が出現しても、胡錦濤政権にとってはむしろ“足手まとい”になりかねない。最も彼らはそんなことはおくびにも出さないだろうが・・・
 問題は日米同盟である。白人の人種偏見は日本人の想像を超えている。どんな嫌がらせを受けても、次の総理大臣は「投げ出してはならない!」 しかし、そんな強靭な意志を持った人物が選ばれるのかどうか?いや、存在するのかどうか・・・。政治専門の評論家のご意見を伺いたいものである。
 いずれにせよ我が国は、戦後最大の危機に直面しつつあることだけは間違いないが、テレビで「政治ショー」的感想を聞かれている国民の表情からは、全く危機感が伺えないのがさびしい限りである。もっとも、政府自体の「危機管理意識」は、冒頭に書いたような状況なのだから、当然だといえば当然なのだが。

 今日は多くのコメントなどに刺激されて、聊か長文になってしまったがお許しを。