軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「男たちの大和」

20日付の中国共産党機関紙、人民日報は、戦艦大和に乗り込んだ青年達の姿を描いた日本映画『男たちの大和』について『登場人物の情ばかりを強調し、当時の日本政府中枢の国民に対する絶対権力の本質を覆い隠している』と批判する中国人の日本研究者の論文を掲載した。同映画は日本国内では戦争と平和をテーマにした作品と評されているが、論文は、映画が大和の乗組員らを『被害者』扱いするばかりで、日本政府の『加害者』ぶりを描写していないと指摘した」
 今朝の産経新聞7面に掲載された北京発の共同電である。
 論文を書いた「中国の日本研究者」が誰であるかは知らないが、少なくとも60年前の日本人の心境を理解出来るとは思われない。この映画は「国運をかけた」戦争の一面を描いたものである。中国は「大陸で日本軍に大敗した」恨みを今でも引きずっていて、機会あるごとに「被害者の気持ちが加害者にわかるはずがない」と日本人に「訴える」が、「被害者と加害者」に区分けして物事を考えるのは、「資本家とプロレタリア」という、今では古くなった共産主義理論に何時までも囚われているからだろう。
是非、40年前に国内紛争で、二千万人以上の同胞を虐殺した悲劇「文化大革命」を扱った映画を製作し、政治闘争に利用された「被害者」と当時の中国政府の「加害者ぶり」を公平に描いて貰いたい。「日本の中国研究者」がどう論評するか見ものである。
ところで、一昨日、私も「・・・大和」を見た。今更ながら、60数年前に、この様な巨大戦艦をよくも建造したものだ、と改めて感嘆した。今、海上自衛隊が「旗艦」として保有し、東シナ海を遊弋させていたら、つまらない「紛争」なんぞ起きていなかったに違いない、と残念に思ったものである。
友人達の評の中には、「解説口調の台詞が目立った」「意図的に靖国を避けているのはA新聞が協賛しているからだろう」等というものが多かったが、私は率直に「いい映画だ」と思った。平日の夕方からではあったが、150人程度の観客で、その大半は私と同じか上の年配者、その他は若い青年男女が多かった。入場待ちの間、若い3人連れの女性が「亡国のイージス」に関する軍事的関心度が高い会話をしていたから、思わず「婦人自衛官か?」と振り返って顔を見たのだが、女子大生?達であった。
前の時間の上映が終わり、観客が出てくると、殆どが「ウルルン状態」、目を泣き腫らしている老婦人も多かった。
私はそうなるまいと「突っ張って」いたのだが、脇で家内が泣き、前の女性が泣きだしたので、ポケットからハンカチを取り出して身構えたのだが、堪える事が出来なくなった。
年はとりたくない、涙腺まで緩んだか!と思ったのだが、今も昔も若者達の「純情さ」に変わりはない、と現役時代の諸々の思い出と真摯な部下達の姿が重なったからである。
特に敗戦後、主人公が親友の実家を訪ね、母親に「報告」したとき、残された母親から「おめおめと自分だけ帰ってこられたものだ・・・」と非難めいた事を言われた時、土下座して「ごめんなさい・・・」と謝るシーンには溢れる涙をどうすることも出来なかった。
母親だって決して悪意で言ったわけではなくやり場のない気持ちがそういう形で噴出したのだろう。
飛行群司令時代、私は航空事故で24歳の将来ある部下を失ったのだが、格納庫の片隅でご両親に遺品を御渡しする際、殴られてもかまわないと覚悟を決めて、ご両親に「五体満足でお返しできず誠に申し訳ございません」と謝罪したところ、ご両親はばらばらに千切れた衣服などをさすりながら、息子の名前を呼びつつ嗚咽された。その時、うつむいていた私の両目から瀧のようにコンクリートの床に流れ落ちる涙の量に「驚いていた」のであったが、やがて「ご遺体との対面」時間になったので告げると、「どうせ何も残ってはいないのでしょうから結構です」といわれた。棺桶には5・7Kgの肉片が制服に包まれて入れてあるだけである。しかし、葬送式の骨壷の中には医務官が、回収された中から苦労して集めた遺髪が入れてある事を告げると、絞り出すような声で「有難うございます」と逆にお礼を言われ、整備補給群司令と共に体が硬直した事を覚えている。まさかご遺族から「御礼」を言われるとは思ってもいなかったからである。
編隊長だったK3佐の姿は見るに耐えなかった。医務室での仮通夜では一晩中線香とロウソクの火を絶やすまいと、骨壷の前に俯いて座って身じろぎもしなかった。そんな体験がスクリーンに重なったのである。

映画に出演した「現代の若者」達が、旧軍の体験者達から「速成教育」を受けて、これほどの演技が出来るのだから、「敗戦のショック」と「東京裁判史観」で自信を失った大人たちの「教えザルの罪」が如何に大きいかを痛感した。
確かに「靖国・・・」は意図的?に避けられていたのだろう。「阿吽の呼吸」「目は口ほどにものを言う」のが日本文化の一面だが、教えられていない状況を、彼女達のような戦後教育を受けた若者が想像できるはずはない。あの程度の台詞は現代っ子には必要だと思う。
日本の戦争映画にしては珍しく「右にも左にも」偏らないように配慮して、努めて公平に作られた映画だったと思う。主役の船頭・仲代達也と少年の演技が光っていた。
戦艦大和・最後の乗組員の遺言(八杉康夫著)WAC出版」も同時に読んだが淡々としていて良かった。英訳して米国で販売したらいいだろうと思う。同時にこの映画も「英語の字幕」をつけて、アメリカで公開したら、アメリカ人はあの戦争に対する当時の日本人の心情を理解してくれるのではなかろうか?
何よりも当時あれほどの技術力を集約した巨大な戦艦大和を日本人が建造していた事を、現代のアメリカ人たちに知ってもらうことは無意味ではあるまい。ややもすると同盟国である「現代日本」は、臆病な「軍事小国」であると印象付けられているようだから、現状打破に効果があるかもしれない。
少なくとも「人民日報」のような、次元の低い論評はしないだろうと思われるのだが。