軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「連合国」が<国際連合>とは!

 今朝の産経新聞(13面)の『20世紀の今日』欄に「国連憲章調印(1945・6・26)」という写真が出ていた。いつも貴重な写真が出るのでこの欄には関心があるのだが、昨日は朝鮮戦争が取り上げられていた。
ところで、この欄の担当記者も気づいてはいないだろうから、書いておきたいのだが、「国連憲章」という日本語を英訳するとどうなるのだろうか?

 日本人は「国際連合=国連」と親しみを持って呼び、自国の安全保障までをもこの機関に託そうとしている。国防の基本方針その一に堂々と「国際連合の活動を支持し、国際間の協調を図り、世界平和の実現に期する」とされているのがその証拠である。
 ところでここでいう「国際連合」とはどこにある機関の事だろうか?ニューヨークに本部があるあの機関の事だろうか?ではそこの看板には何と書いているのだろうか?
 以前外務省に出向していて、憲章集を手元に色々仕事をしたものだが、そこには「the United Nations Charter」とはあっても、「international」または「universal」Chatterとは書かれていなかった。英語が不得手な私は「その経緯」を本職たちに聞いたのだが誰も明確には答えてくれなかった。事実、外務省発行のその手持ち憲章集には、どこにも「国際連合」とは翻訳されておらず、書き出しは「我ら“連合国”の人民は・・・」と訳されていたのである。
今朝の産経新聞の解説を見るがよい。「国連憲章調印(1945・6・26)」とあるように、第二次世界大戦終了直前に締結されたものであって、3日前の6月23日に沖縄戦が終り、追い込まれた我が国はいよいよ本土決戦を準備している時期であった。
 しかも同盟国のドイツもイタリアも既に連合国に降伏していたから、この憲章の唯一の相手は日本だったのである。
2ヵ月後、ついに降伏した我が国は、周知のような経過をたどって、連合国の占領施策下に入り、6年後の昭和26年(1951年)9月にサンフランシスコ講和会議で講和条約を締結、昭和31年(1956年)12月に国連に加盟した。
「連合国」という表現は、いつの間にかわが国内では「国際連合=国連」という名前に定着したが、世界はそうは思っていない。あくまでも『連合国』である。その証拠に「敵国条項」が依然として改正されていないではないか。かっての敵国である日本が“常任理事国”なんぞになれる筈はない、と私は悲観的である。
鳥飼玖美子氏の「歴史をかえた誤訳(新潮OH!文庫:¥581+税)」という本には大いに考えさせられる。誤訳の一例として彼女は、ポツダム宣言に対する政府の見解が、なぜ「リジェクト(拒否)」と翻訳されて打電されたか、を追及している。
「特使派遣問題が決着するまでは論評を加えないのが賢明であると判断されていたにもかかわらず、首相は記者会見においてこれを『黙殺』すると言明した。翌日の新聞は、この発言を大見出しで報道した。また、海外向け電報においては、黙殺がリジェクト――拒否と訳され、結局日本側はこれを受け入れないと理解される結果となった。鈴木貫太郎は戦後、この一事は後々にいたるまで余のまことに遺憾と思う点であると『自叙伝』に書いている。広島に原子爆弾が投下されたのはそれから一〇日もたたぬ八月六日のことであった」と書き、「『黙殺』という日本語は、はたして何という英語に訳されたのか――ignoreなのか、rejectなのか。また、訳したのは、連合国側であったのか?それとも、日本側で英訳してから打電したのか?」と実に重要な点を追及している。
第一級の通訳者である彼女は、「国家の命運がかかっているようなこれほど重大なメッセージの翻訳を一体どういう情況のもとで、誰が行ったのか。訳語を決定するまで、どの程度悩み、慎重に考えたのか」と疑問を呈し追究しているが、決定的な証拠はないものの『時事通信社五十年史』の中に、同盟通信社が翻訳して打電した、とあるのが真相らしいとしている。つまり、当時の同盟通信記者が「ignore」と英訳したのを連合国側が「reject」と解釈した、というのが真相らしいというのである。
 ポツダム宣言には「これを受諾しなければ『迅速かつ完全な壊滅あるのみ』と予告されていた」からこの『回答』が8月6日の広島への原爆投下につながった、というのである。
当時第一ホテルに泊まりこんでいた長谷川才次時事通信海外局長が、1970年ごろの国際放送番組審議会の席上で、「今ならノーコメントというところで、そういっておけば連合国側の受け取り方も違っていたかもしれない。しかし当時の日本国内ではそういう英語表現を誰も知らなかった」と語ったという。
そこで私の独断と偏見、“小説的勘繰り”で考えるならば、当時の同盟通信社の誰かと、トルーマンを取り巻くコミュニスト達が連携して、日本への原爆“投下実験”を実行するための「陰謀」だったと考えたらどうであろうか?仮にそうだったとすれば、長谷川氏が“反省”したとしても、敵国側には「reject」という用語以外翻訳されなかっただろう。
 更に勘ぐれば、広島原爆記念碑に書かれている「二度と過ちは繰り返しません」という言葉の意味も何と無く理解できるような気がしてくる。終戦近いドサクサの中で、国家の命運がかかったメッセージに対する『誤訳』の裏を知っている誰かが、犠牲者達にお詫びしたものだとすれば・・・の話であるが。
従軍慰安婦』『南京大虐殺』・・・などなど、存在しなかった問題を『黙殺』してきたツケが今払わされようとしている。鳥飼女史は「『相手にしないことにより自分の高さを保つ』という微妙な心理は日本人としては理解できる。ただし、それが外国人に伝わるかどうかは別問題である」と書いたが蓋し名言である。
それにしても、かっての“敵国連合”を、いかにも平和の機関らしく『国連』と呼ばせてきた張本人は一体誰なのだろうか?主役になれない連合国の機関に、世界第二位の多額出費を継続してすでに半世紀、これも社保庁並みに『誰も責任を取らない』無責任なシステムだと思うのは考えすぎだろうか?