軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ある軍人の述懐

 最近特にご高齢な方々との交流が盛んになり、私ごとき退官10年の空自OBが、いかに青二才であるかを思い知らされている。旧陸軍特務機関員として大陸情報を手がけていた門脇翁は93歳でまだ“現役”である。
 先月は、雑誌「正論」を読まれたある大先輩から呼び出されお会いしたがこの方は88歳で矍鑠としておられた。
 先日は96歳になる家内の叔父で、元陸軍仙台幼年学校教官にお会いしてきたが、若干シナプスの接続が不良なときがあったが、戦時中の記憶は鮮やかだった。
 昨日は、私が尊敬している陸士48期・陸大57期卒の高橋正二元航空少佐から「最近の新聞報道で疑問に思うこと」という6月22日の講演記録が届いた。
「私は毎朝の新聞到着を待ちわび、大体隅から隅まで、約一時間半(それ以上)かけて読み、世の中の勉強をするのを楽しみにしている。だが、時々『おやッ』と思うことがある。今日はその『おやッ』と思った最近の出来事について、重要な事柄3項目に絞って申し上げてみたい」という前置きの講話概要であるがご紹介しておきたいと思う。

1、元侍従長たちの私的日記公開 
 これは故富田朝彦宮内庁長官、故小倉庫次元侍従、故占部亮吾元侍従など3氏がそれぞれ『昭和天皇私的肉声(昭和史の超一級資料)としてデカデカと公開』されたものについての異議だが、御親拝ご中止の理由は昭和50年8月15日の三木首相の靖国参拝時に、記者団の執拗な質問に『私的参拝』と答えたことに端を発し、昭和天皇のご参拝にまで声が広がったため、内閣法制局長官がこれに言及、昭和天皇は、これ以上政治的に波及する事を避けるため中止されたもので、いわゆるA級戦犯が合祀されたのは3年後の昭和53年10月であると解説したあと、次のことを明らかにせよ!と質疑してある。
ア、記事の出所(漏洩):家族、宮内庁、記者、その他
イ、漏洩の取引条件、密約など
ウ、いずれにしても宮内庁は無関係とは申されない筈、しからばそのような取り締まり規則、処置を明らかに
エ、関係新聞社の考え

2、中曽根元首相の『昭和の日を切る』(産経新聞・4月25日)の内容に異議あり
「大いに啓発され感銘深く拝読したが、次の点はどうしても納得できない」として、中曽根氏の「日本が独立を回復する直前の昭和二十七年一月、私は衆院予算委員会昭和天皇の御退位問題を吉田首相にただしたことがある。南原繁東大総長や、木戸幸一内大臣らが昭和天皇の退位論を唱えており、私は退位論に結末を付けようと思った。そこで『天皇のご退位は自由なご意志のまま行われるべきである。もし、自らご退位遊ばされることになれば、(戦後)遺族その他に多大の感銘を与え、天皇制を各個不抜のものに護持するゆえんのものと説くものが居るがどうか』と質問した。吉田首相は『国民が心から敬愛している天皇陛下が退位というようなことがあれば、国の安定を害することであります。これを希望するを申すがごとき者は、私は非国民と思うのであります』と答弁した。首相になって、昭和天皇は退位されなくて本当によかった、としみじみ思った」との部分について、次の疑問が呈されている。
「当時の記録によれば、中曽根氏自らの意見とし、南原東大総長や木戸幸一内大臣などの名前を出さずに昭和二七・一・二一国会予算委員会の席上、吉田首相に向かって『・・・新憲法では人間天皇におなりになったのであるから我々と同様、過去の戦争に対する苦悩と責任をお感じになっておられると思う。その束縛と責任とは、国際義務を履行するための道義的責任と、第二には、戦争及び終戦の悲劇と混乱を最小限に喰い止めて国家の秩序回復と民生の安定のため『退位』されるのが国民に対する責任である。・・・天皇がご退位されるならば、天皇制の若返らせる所以のものである。政府の見解は如何』と。何たる不敬態度。
 これに対して吉田首相の答弁は、『この問題は軽々しく論ずるべきではない。今日、立派に日本再建の門出に当たり、日本国民の象徴である陛下のご退位ということであれば、これ以上国民の安定を害することはない。これを希望するものは私は『非国民』とおもうのであります。新日本建設に当たり、あくまで陛下のご在位あってこそ出来るのであって、若しなければ、これ以上の不幸はない』。
 右のごとく中曽根委員を『非国民』呼ばわりし、天皇の御在位を断言したのである。また、国会質問において中曽根氏は、『天皇を再び神棚の上にあげるような政策を行ってはならない。イギリスにおける王室と国民の関係のような麗しい人情味を持った関係にしなければ、新しい知識の開けた近代においては、天皇制は永続しない』とまで言っている。スキャンダルの多い英王室を、今でも模範とすべしと思っていられるかどうか承りたいものである。
 今ここで、なぜ南原元東大総長や木戸内大臣の名前を出したのか、これは先人に対する非礼、自己弁護、毀誉褒貶、これに過ぎるものなしと思うものである」

3、阪神・淡路大震災当時の兵庫県知事に対する旭日大綬章に対して異議あり
「当時の兵庫県知事・貝原俊民氏に対し、今回叙勲に当たり筆頭に旭日大綬章受賞とあり、何故か?
『大震災からの復興に尽力した』からとの理由とあったが、果たしてそうか?
 平成七年の阪神・淡路大震災発生時、貝原俊民兵庫県知事(当時)は、公用車の迎えに来るのに2時間も待って県庁に赴き、自衛隊出動要請も更に2時間後(しかも要請者は一係長)。更に後日仄聞するところによると、その際米軍から難民救済、物資提供のためと称して駆逐艦(?)一隻を差し向けてくれるとの厚意を断り、この間に約200名に及ぶ人命を瓦礫の中などで失っているではないか。・・・斯くのごとき知事に対し、春の叙勲に当たり、旭日大綬章の筆頭に受賞されるとは。」

4、おわりに
「・・・最後に為政者、マスコミなどの方々に警告しておきたいことがある。
 一方においてはスパイ防止法の制定を急げと叫んでおりながら、一方における報道関係では、敵対彼らの最も渇望“垂涎の的”となっている情報が惜しみなく流されておるではないか。今般の海上自衛隊のイージス間情報の漏洩事件や、陸上自衛隊の各種情報漏れなどは残念ですが、それ以前に当方の手の内を明かす情報が公然と流されているではないか。報道が国民に知らす責任と、国民の知る権利とかで当然であろうことはわかるが、一般国民にそれほど詳細な情報を知らす必要があるだろうか。・・・
 以上、私が旧軍人、特に情報参謀として生き残りの一人として特に感じて居り、警告しておきたいことである」


 老いてますます盛ん!大正生まれの特に旧軍人方は、依然として“青年将校”の気概を保持しておられるのに脱帽!である。富田メモや中曽根発言などについては、報道する側がよく裏を取るべき基本であることを警告しておられると思う。中曽根発言については産経は「議事録」を確認すべきであった。

 貝原兵庫県知事(当時)の叙勲には、私も思わず声を出して笑ってしまった。評価基準が私とはあまりにも違いすぎたからである。高橋先輩はやんわり?と批判しているが、関西で講演した後、ある参加者が私に「地震発生時に公用車がどこにお迎えに行ったと思うか?」と尋ねられ返答に窮していると、「有名な有馬温泉にご宿泊中だった」と聞いた。運転手は渋滞する中、そこまでお迎えに向かったのだろうが、知事の御宿泊先を知っている者が局限されていたようで「これじゃとても犠牲者は浮かばれない」と怒りが渦巻いていた。しかし、その後“反省して?”「復興に尽力」されたことが評価され、最高位の叙勲となったらしい!
 
 ところで今朝届いた月刊誌「テーミス」には、93年から95年まで(細川、羽田、村山政権)公安調査庁長官を務めた緒方氏は、オーム事件に破防法適用を叫んだ“強硬派”だったという。それに対立していたのが朝鮮総連側の代理人・土屋弁護士で、彼を絡ませてRCCを説得できると考えたという。
「緒方氏は若いときから酒とマージャンが好きでよくやっていたが、役所を辞めて満井氏(今回の事件のキーマン不動産社長)とタッグを組むようになって再び“悪い虫”が目を覚ましたようだ。二人で韓国や上海によく遊びに行っていたこともある」というから、その背景は深い。緒方氏73歳、満井氏73歳、土屋氏84歳・・・まさか既に高位の叙勲を受けているのでは?と気になるが、94歳を越えてもなお信念に生きて居る門脇翁、高橋少佐のような方々の「つめの垢」を煎じて飲ませたいものである。

 今夕も講演会に出かける。私の話など大したことはないが、『温故知新』、会場で多くの方々とお知り合いになれることが、私にとっては『宝の山』である。