軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

目から鱗!

 昨日は、史料調査会の研究会に出かけた。混雑する新宿駅に何と中国人の多いこと!
 都内のデパート案内は、日本語と中国語、それに韓国語と相場が決まっていて、放送を聴いていると、外国旅行している気がする。田舎からたまに都心に出るとこれだから気が滅入る。
 昨日の研究会は「アフガニスタンパキスタン葛藤の根源」と題して、元JETROアジア研究所主幹の深町宏樹氏が講演した。アフガニスタン地政学的特長は「山と谷」であり、海がない内陸国家であり、しかも文明の十字路、諸民族移動の十字路、諸民族の戦場、殺し合いに慣れているところだ、と実に明快だった。
 特に歴史上、18〜19世紀の「ザ・グレート・ゲームとアフガン戦争(イギリスとアフガニスタンの戦争)」の影響が大きく、冷戦時には「緩衝国家」として、大国の狭間にあり、東西双方からの対アフガン援助競争で均衡を保つ「したたかな外交」を展開していたが、1978年の「4月革命」、1979年の隣国イランのイスラーム革命、1979年のソ連軍の侵攻によって、アフガンの「緩衝国家」としての地位が崩壊したという。
 1989年にソ連軍が撤退するが、国内では内戦が続き「タリバーン(宗教)学校の学生達)」が登場、テロの温床になり、やがて「9・11」に繋がって行く。
 私も不勉強だったが、アフガンとパキスタン間の葛藤の原因は、1947年にパキスタンが独立しパシュトゥーン族が分断されたことにあり、その最大の根源は1893年に設定された「デュアランド・ライン」だというのである。
 インダス川で英領印度と国境を接していた当時のアフガンは、1939年の英国の勢力拡大でインダス川から後退させられ、時の英外務次官・デュアランドによって引かれた“新国境線(現在のライン)”で分割され、アフガンに約1300万人、「パキスタン」に約2800万人(2005年現在)が分離された。
「地図で読む現代戦争辞典(フランソワ・ジェレ著:河出書房刊)」には、「アフリカや東南アジアとは対照的に、広大なインド亜大陸は、イギリスの植民地的信託統治から平和裏に脱したように見える。だからと言って、民俗と宗教との分裂は容易に覆い隠せるものではない。一つの大きな紛争は長い期間にわたって深い根を下ろしており、1998年にインドとパキスタン核武装勢力に加わった以上、そこには著しい危険がある」とある。
 印度・パキスタン間の「カシミール紛争」の根源もここにあるのだが、中国だけはちゃっかりその一部を占領した。そして忘れてはならないことは、カシミールに接する3カ国は、みな「核装備国」だということである。
 欧州の帝国主義勢力のアジア進出が、いかに現在の世界的混乱の根源であるかを示して余りあるが、私が注目したのは、アフガンの「4月革命」で、ソ連の支援でカブール大学に入り込んだ共産分子が学生の共産化を推進し「赤く染まった」共産主義文学青年団を空軍に送り込んで空軍兵士を共産化した、という点である。
 こうして「王制打倒クーデター」を起こさせ、これを「革命」と称したが、ソ連にとってもそのあまりの急進性に手を焼かざるを得ない結果になる。そして彼ら「赤い青年と兵士達」が行った「改革」は、「大地主から土地を奪って、貧農達に与えたことだったが、その貧農達が共産化に反発した」というのである。
 つまり、学問的に頭で理解しただけの「未熟児達」が、銃で強制した「改革」の実態を「肝心要の貧農達が認めなかった」というパラドックスが面白かった。
 深町氏は「アフガンでは水が貴重だが、本で読んだ知識だけで“土地を分け与えても”乾いた痩せ地で水が伴わない。つまり、彼ら赤い文学青年団員は、農業の実態を知らない『机上の空論』を強要したから、貧農達は『大地主に支配されていた頃がよかった』と反発した」というのである。
 これと同じようなことが今のわが国でも起きつつあるのではないか?頭でっかちで、バーチャル好み、理屈はこねるが“米の花”も知らない農政官などには、是非とも田植えを体験して欲しいのだが、それはともかく、この実例は、1920年〜30年頃のコミンテルンと中国大陸の関係を彷彿とする。毛沢東も「貧農」を自己の権力争奪のための手段に使ったに過ぎなかった。文化大革命でも、未熟な紅衛兵たちは大人たちの政争に狩り出されて人生を棒に振った。
 1947年の冷戦期に「カブール大学学生の共産化」を狙ったソ連の謀略は、30年後の1978年に見事に開花したのだが、皮肉にもこれに最も危険を感じたのがソ連であり、1979年12月24日に軍を侵攻させざるを得なくなった。
 我が国も戦後「日教組」なる洗脳集団に、初等・中等教育を牛耳られ「和製共産文学青年団」が、政官界に潜入?してこの国を牛耳っているではないか!と思い当たった。そしていまや見事に?開花しているではないか!と痛感したのである。アフガンの文学青年団ほどの過激さはないようだが、それにしても本来の日本精神が骨抜きになっていることは明白である。
 たまたま今月初め、パキスタンの首都イスラマバードで起きたモスク篭城事件で、10日にパキスタン軍が強行突入してこれを制圧したが、「イスラム過激派メンバーやマドラサイスラム神学校)の学生らと見られる75人分の遺体を回収した」と今朝の産経は報じた。今度はアフガンではなくパキスタンの神学校で事件は起きた。
「真っ白な学生達」の頭を洗脳して革命に利用する勢力のやり方は今でもどこでも同じようなものだが、これが時間はかかっても一番効果があるからだろう。まず「学生」を洗脳し、次に武器を持つ集団である「空軍兵士」を洗脳して「4月革命」を達成したアフガンの例は、今回のパキスタン神学校占拠事件に通じている。
 1937年の盧溝橋事件も、中国共産党が精華大学などの学生達に「愛国心」と「反日機運」を植え付けて、国民党軍兵士の中にこれを浸透させたものだが、これも成功した例の一つである。
 洋の東西を問わず、人間の考えることには共通点がある。果たして我が国は大丈夫か?「頼りない自衛隊」とのコメントがあったが、防大はじめ「我3軍の学校内」にこの手の“魔手”が伸びてはいないか?
 大いに考えさせられた“目から鱗”の有意義な講演だった。