軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

航空戦力強化を!

 14日の産経新聞やばいぞ日本」は、国産開発戦闘機・F−2問題を取り上げた。「F−2は総額3700億円以上を投じ、米国の戦闘機F−16を土台に日本の誇る先端技術を取り込んだ『日米共同開発』の産物だ。1990年代、対地・対艦用の次期支援戦闘機(FSX)として設計されたが、対艦ミサイル4基を搭載すると主翼が大きく振動する欠陥が直らない。支援戦闘機としては失格でも、爆弾を積まなければ自由自在に舞うことは出来るとの理由で迎撃戦闘機として航空自衛隊三沢基地などに配備されている。しかし、『F−2は韓国のF-15Kに劣る。竹島の制空権は失った』と空の勇者達は嘆く。2004年当時、石破茂防衛庁長官は『国民に説明できないものは買わない』と調達打ち切りを言明した。防衛省は当初予定141機だった総調達計画数を最終的に94機まで削減し、今年度を最後に購入は終了する。だが、今なお『失敗』を認めない」と書く。
 竹島争奪戦で、韓国空軍に負けるとは思わないが、この問題の根底には、敗戦によって航空機産業がすべて閉鎖され、研究開発はおろか、装備も一切厳禁された空白の10年が影響しているのである。
 つまり、レシプロ時代から、ジェット時代への大きな転換期に、全く航空技術に関する研究が差し止められたのだから、戦勝国であった欧米の“目を見張るような進歩”を、我が国の研究者達は指を銜えて見ていなければなかったのである。世界を相手にあれほどの戦いを演じた立役者達は、戦後は一転して社会の片隅に追いやられ、技術者たちは代わりに「鍋釜造り」で糊口をしのいだのである。
 朝鮮戦争が始まり、警察予備隊を「作らされ」て、時代遅れのレシプロ機や、T-33、F−86というジェット機を与えられ、漸く航空産業は勢いを取り戻したが、国産化は遠い夢であった。
 しかし、技術者達の願いがかなって、やがてT-1ジェット練習機の国産に成功し、T-2超音速高等練習機を成功させたが、まだまだ世界の趨勢に追いつくほどではなかった。その極め付きは「ジェットエンジン」にあった。
 地道な研究努力が実って、それなりのエンジン製作技術は手に入れたものの、世界、特に米国の技術の進歩は、格差を広げこそすれ、追いつけるものではなかった。そこでそれを十分承知の上で我研究者達は「F−2」の開発に取り組んだのだが、いかんせん、T-2(F−1)開発から期間が経過しすぎていたため、技術力の継承が絶たれていた。F−1開発に意欲的に取り組んだ技術者達のほとんどが、既に“管理職”に昇進していて現場を離れていたのである。技術の継続性が絶たれることはこの種開発にとっては致命傷である。しかもFSX計画では、技術者達が熱望していた「純国産計画」が、“政治的混乱”によって「米国との共同開発」になったこと、及び「支援」戦闘機としての運用状況を熟知することなく、新素材の開発が主目的になったことが、今日の生産中止につながった要因だったと私は思っている。要は、国家にこの種研究を持続させようという「強固な意志」がなかったのである。
 行き当たりばったりで、政争の具にされたF−2開発は哀れであった。しかし、F−2を与えられた現場の努力は見事であった。徐々にではあったが、要撃戦闘機としての使用に耐えるところまでこぎつけ、いまや本来の射爆撃機能の試験に入っている。(写真:軍事研究誌8月号から)
 己の私的欲求を満たすため利権争いを最優先させ、国防の何たるかを弁えない政治家が跋扈すると、この種計画は成功しない。後進国家に「無意味な?」ODAをばら撒く余裕があったら、その何分の一かの予算を国内航空産業の研究開発費に継続して当てていれば、優秀な技術者はいずれ世界的レベルの戦闘機を完成させたことであろう。
 1988年11月29日に「FS−X共同開発に関する日米政府間の交換公文」が取り決められたが、この前後の政府首脳の名を思い出してみるがよい。防衛庁長官だけでも、1982年11月:谷川長官。1983年12月:栗原長官。1984年11月:加藤長官。1986年7月:栗原長官。1987年11月:瓦長官。1988年8月:田沢長官。1989年6月:山崎長官。同年8月:松本長官。1990年2月:石川長官。同年12月:池田長官。1991年11月:宮下長官。1992年12月:中山長官。1993年12月:愛知長官。1994年4月:神田長官。同年6月:玉沢長官。1995年8月:衛藤長官。1996年1月:臼井長官。同年11月:久間長官・・・と14年間に17人も交代しているのである。
 その間内部部局も各幕僚監部も、交代行事と状況説明(報告)、部隊視察業務に追い回され、全うな防衛計画推進に集中できなかった。つまり、“チンドン屋”的行事に追いまくられていたのである。儀仗隊と音楽隊、それに“草刈とパレード行事”は上手くなっただろうが、肝心要の戦力増強に手抜かりが生じても止むを得なかった状況であった。
 今朝の産経新聞一面には「F−22導入難航」「旧型F4使用延長」「防衛省検討」「情報漏洩が影響」と出た。どこまでこの国の軍事的状況は、世界情勢の緊迫化から取り残され「役立たず」状態に陥っていくのだろうか?それも肝心要な「危機迫るとき」に! 軍事力軽視の付けが今ほど露わになったときはない。「しっかりせよ。防衛省自衛隊!」という声が高まるのも止むを得ないと思う。しかし、第一線の隊員達は気の毒に過ぎる。「竹やり」を与えられて「勝て!」と命令されるのだから・・・。士気が落ちるのも理解できるが、旧式機で「特攻して散華」していった多くの青年たち同様、「負けること」は彼らの「名誉」が許すまい。
 何時の時代においても、結局今までの政治の「不作為」のツケは現場に押し付けられるのであって、21世紀になっても「ガダルカナルニューギニア」の悲劇から一歩も脱却できないのが日本人の宿命なのかもしれない。
 しかし、考えようによっては、我愛機であったF−4が、まだまだ使われるということは、いざ鎌倉!の時は再び「キーボード」を操縦桿に持ち替える事が可能なわけだから、私も機会を見ては「体力練成」を始めようと思う。
 ただ、隊長時代に「前席」で5〜6Gに耐えつつ格闘戦をやった私も(写真)、「昔取った杵柄」というわけにいかないのが悔しい限りである。既にOBになっている多くのファントムライダー達はこの記事を読んでどう思っていることだろうか?
 明日は午後2時から、学士会館ポーツマスネットワーク主催の「リレートーク」に出場することになっている。出演者は外交評論家:加瀬英明氏「2007年は名誉を守る戦いの年」。拓大教授:遠藤浩一氏「安倍総理は保守派無党派層を無視できない」。ジャーナリスト:西村幸裕氏「ワシントンポスト広告の顛末」。日本保守主義研究会代表:岩田温氏「従軍慰安婦問題に事挙げする」。私の受け持ちは「自衛隊の苦節と無念」と題して約20分間だが、さて、何とも複雑な思いである・・・。