早いもので今日から12月。今日の産経新聞には面白い記事が多かったので、北京会議はお休みして、思いつくまま感想を書いておきたい。
1、「アーミテージ氏側にコンサル料」(1面)
例の貿易専門商社「山田洋行」の米国邦人が、アーミテージ元国務副長官を側近の会社に、過去7年間で総額100万ドルあまりをコンサルタント料として支払っていたそうだが、馬鹿なことをするものだ。諜報活動の基本は敵の組織を弱体化することにある。“味方”に金を注ぎ込むよりも、敵に贈って味方につければよかったものを・・・。元専務・宮崎氏は、入社前の3年間、元スイス駐在海軍武官・藤村氏が経営する軍需会社に務めていて、「藤村さんから旧軍の諜報組織のノウハウを教わった」と豪語していたそうだが、本来知日派のアーミテージ氏に100万ドル注ぎ込むよりも、嫌日派を篭絡する方に使ったほうが効果的だったのに。これじゃやはり「上積みした“不当な”利益を個人目的で使用した」といわれても仕方あるまい。彼は諜報組織の何を学んだのだろうか?
2、「朝青龍謝罪改心か否か」(1面)
モンゴルから日本に戻った横綱・朝青龍のニュースはテレビでもトップ扱い。何がそんなに重要なんだろう?「綱の品格」を強調する向きが多いが、彼はれっきとしたモンゴル人。日本文化や「綱の品格」なんぞに関心があるはずはない。強くて勝つことが第一、強い力士が育たないので、落ち目の相撲協会が「ヒーロー」として“輸入”した看板に過ぎないのではないか?
「綱の品格」云々するのならば、それに反した以上「破門」にすべきであろう。それさえしり込みしていて「綱の品格」とは滑稽である。
最も「破門」という言葉さえ今では死語になっているようだから、日本文化の先行きも知れているが。“外人”に日本文化を強調し強制するのならば、日本人の子供の教育を一からやり直し、日本人自身に「古来の文化伝統」を育てて相撲界を立て直すのが先であろう。
モンゴルにはない?日本独特の「綱の品格」などを強調され、強要される朝青龍が気の毒に思える。
3、「化学兵器引き渡し」「中国で遺棄」覆す文書(2面)
数年前からこの文書が存在することは明らかにされていた。大東亜戦争終結後、各地で「終戦の儀式」が執り行われ、「降伏調印式」がそれぞれの相手と取り交わされたのはわかっていたはずであった。負けてはいなかった大陸でも、支那派遣軍総司令官・岡村寧次将軍と国民党軍の何王欽上将との間で調印式が行われたのをはじめ、各地で調印式が行われ、勝っていた軍隊が負けていた軍隊に武装解除されたのであった。
(「昭和の戦争記念館・第二巻=大東亜戦争と被占領時代」展転社刊から)
ソ連が国際法を無視して殴りこんできた樺太でさえも、第88師団将兵は、大本営の命令によって抵抗を止め、8月27日に調印し武装解除され、帰国させると騙されてシベリアに送られた。
(同上)
そんなことは我が国の歴史的事実として国の機関が当然知っておくべきなのに、「中国で遺棄したことを覆す文書」が「防衛研究所に保管されていた」と云うのだから無責任も甚だしい。「保管」ではなく「放置」されていたと言うべきであろう。一ジャーナリストの水間氏が、熱心に調査研究していて、国は“傍観?”しているようだが、外務省は徹底的にこれを調査して結果を公表すべきである。防衛省と山田洋行だけが、国民の血税をどぶに捨てているように報道されているが、国家機関全体がたるんでいるのである。防衛省・防衛研究所はこの問題が生起したとき、間髪をいれず、外務省に証拠文書を提示して、政府が間違いを起こさない様にすべきであった。今後は責任を持ってこの問題を解決するよう、全力を尽くしてもらいたいと思う。
最も、この問題にも山田洋行なみの「利権」が絡んでいるようだから、“遺棄化学兵器”から「毒ガス」が吹き出して大混乱に陥るかもしれないが・・・
4、「米空母、台湾海峡通過」(7面)
香港への寄港を中国政府から拒否された空母・キティホーク戦闘群が横須賀への帰投の途中、台湾海峡を通過したという。通過目的について、別の海軍当局者は「天候による判断だと思う」とジョーク?を言ったようだが、寄港拒否に対する「報復」であることは当然だろう。
私の退官記念日である99年7月1日に香港が返還されたが、この日行事を終了した英国要人は、ブリタニア号に乗って香港を離れた。しかしその周辺海上には、英国海軍の総力?に近い大艦隊が待機していて、強力な示威行動を取りつつ帰国したのであった。
キティホークは中国政府の寄港許可が予定までに伝えられなかったので、待機していた香港水域を離れて帰途に着いたが、22日に中国政府が寄港許可を出しても進路を変更しなかったところがいい。日本政府だったら、刺激しないように「戻って寄港せよ」と指示していたに違いない。
軍事は政治の延長だと認識できていないのは、インド洋から艦艇を引き上げた日本国だけのようである・・・
5、「大江健三郎の“特権”」(21面)
「断」の欄に、ジャーナリスト・呉智英さんが、大江健三郎著「沖縄ノート」(岩波新書)を読んで驚いた、と次のように書いている。
「第9章に集団自決を強制した(と大江が断じている)元守備隊長は一九七〇年春、慰霊祭に出席すべく沖縄に赴いた。それは『二十五年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会』であった」とあり、この用語はいつから「解禁」になったのか?。「虐殺を屠殺になぞらえようものなら許すべからざる差別表現として部落解放同盟と屠殺労組の苛烈な糾弾が展開されたことは言論人なら誰知らぬものはない」として、「一九八二年の俳優座のプレヒト原作『屠殺場の聖ヨハンナ』は改題してもなお激しい糾弾にあい上演は困難を極めた。これについて部落解放同盟などは『だれだれの作品だから差別はないと“神格化”したものの考え方を一掃したい』と言明した」ことを挙げている。
自分に都合がよい作家の発言は容認して、都合が悪いとシャカリキに糾弾する、こんな所業が差別でなくてなんであろう?呉氏は岩波書店や部落解放同盟に『説明』を要求しているが、回答はあるまい。卑怯者は自分に都合が悪いものには「黙秘」するからである。ついでに私のPCでは「とさつ」と打っても「塗擦」としか出ないのだが、これもおかしくはないか?
世の中、いい加減なことが多すぎる!
6、「薬害肝炎最終報告」(30面)
薬害肝炎問題を調査した厚労省の報告書に、患者への告知を「配慮があってしかるべきだった」としながらも「責任はない」と判断したことで、薬害肝炎原告団は激しく批判している。
社会保険庁のズサンな年金記録処理問題も、今回の防衛省の収賄問題も、国の機関が犯したミスで犠牲者が出ても国の機関、担当者が何ら「責任」を取らないところが不思議でならない。
以前、HIV問題では、当時の厚生省の役人と製薬会社の癒着振りが問題になり、ジャーナリストの桜井女史が徹底追及したことがあったが、その無責任なことにあきれてものが言えなかった。
「職員を処分するには法律上の根拠が必要」だそうだが、「本来は国民の生命や健康を守るべき薬事法が、官僚の対面を守ると言う皮肉な結果に終わった」「患者に思いを致すべきと言う批判を、組織として重く受け止めるべきだ」と最終報告は批判したそうだが、被害者はそれでどうなるのだろう?「そこには薬害エイズの教訓を生かせていない厚労省の体質が浮かび上がってくる」と鎌田記者は締めくくっているが、それだけで終わらせてはなるまい。
「行政の全ての不作為が問われていて、国民の不信感は頂点まで高まりつつある」「こんなことがいつまでも『放置』されていれば、まさに『放置国家』、昔だったら『一揆』が起きても不思議ではない」と書くべきではなかったか?
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