軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

年頭所感

 東京地方は、穏やかな新年を迎えたが、日本海側や北国は寒波で大変だったようだ。
 年末から年明けにかけて、原稿4本を書き上げ、合間に年賀状1000通を書き、元旦からは届いた賀状整理をしていたが、パソコンに打ち込んである名簿を整理中に、一部分離しようと考えて取り出したOBの名簿を消去してしまい、100名ほどの名まえが消失したため、昨晩遅くまでかかって再記入、便利な機械も使いようでは『全く不便』であることを体験した。
 最も、賀状の宛名書きが間に合わない!と見て、同期の分は「印刷」にしたのだが、これまた上下さかさまだったり、裏表を間違えたりで、全く礼を失したまま送付した。年は取りたくないものである!この場を借りてお詫びする次第。
 
 頂いた賀状を見ていると、防衛省関係者からの昨年の“反省”には考えさせられるものが多く、とりわけ「自分の人生を30年以上も過ごした官庁が、未だに3流だったことが情けない」との先輩の添え書きは身につまされた。その上「悪貨が良貨を駆逐した」ことがばれたのだから、何をかいわんやである。人生にはパソコンのような「バックアップ」ボタンはない…
 自衛官の大半は「情けない…」「肩身が狭い」という自信喪失派から、「銃殺に処すべし」という怒り心頭派まであり、高級役人の中には「あの時処分しておけば」とか、「のさばらした責任を感じる」などというものもあって、いかに「塀の中の世界?」が「まぁまぁ、なぁなぁ」の世界であったかが伺える。その昔、ある下士官の退官の挨拶状に「居心地良さからさようなら、です」というのがあったが、「娑婆の厳しさ」を味わった者の述懐だろう。
 まだ高級官僚OBの中に「責任を感じる」と云う方がいるだけ良い方で、年金消失や薬害肝炎などをはびこらせた関係官庁のOBの年賀状には、反省の弁が書かれていたのだろうか?と気にかかる。
 私的には、転居したため再送された賀状もあって少々混乱していたが、転送されてきた賀状送付手順にそれぞれ個性が出ていて面白い。
 中には「電話で済ます」とわざわざ挨拶された方も多く、それも決まって「守屋事件」が入るから、つい長電話。
 そんな中、3日夜には“関係者”が亡くなった!との一報が届き、翌日もマスコミ関係者が「自殺か?他殺か?」などと気になる電話をしてきた。
 しかし「天網恢恢疎にして漏らさず」という感想が一番適当だったのではないか?
 物故者も目立った。70通以上もの喪中の知らせがあったが、その他、旧軍関係者のなかには「会を解散した」とか、特攻隊の御遺族の中には、御高齢で「介護施設」に入られた方、OBの中には「年賀を終了させていただく」との通知などなど、当たり前のことだとはいえ、人生を感じるものも目立った。毎年賀状を読むと、人は年老いて「必ず死ぬ」ことを実感させられる。
 嬉しかったことは、御近所に居られた大先輩との連絡が取れて、「私もついに介護施設に入った。暇だから君と昔話がしたい。是非話に来てくれ」という留守電まであった。優に90歳を過ぎておられるが、記憶力抜群、若くして独り身になられた方が目立つのに、この年まで夫婦御一緒というのがまことに嬉しく、「お幸せですね」と言うと、御夫人は軽い認知症だそうで「わしがばあさんを介護している」と矍鑠としておられる。いつも思うのだが、若いときに身体と精神力を鍛え上げられた旧軍人には長生きの方が多い。若い青年達に「飽食でメタボ…」が目立つ世の中、文科省厚労省はその原因を研究してみる必要があるのではないか?「鉄は熱いうちに打て」という。
 この大先輩には機会をとらえて旧軍時代の体験談や、自衛隊時代のお話を伺いたいと思っている。
 昨年、何度か電車内で座席を譲られ恐縮したことがあったが、考えてみると私も今年で69歳、そろそろ人生の締めくくりを始める年頃だと改めて思い知らされた。
 
 2008年危機を迎え、年明け早々から「不安定の弧」内では混乱が起きている。パキスタンもどうなるか。アフリカのケニアでも暴動が起きている。世界各地では「選挙」の年。米国大統領選挙も過熱し始めた。日本も総選挙がらみの話題で持ちきり、しかし何よりも今週末の12日の台湾立法院議員選挙がその幕開けとなる。3月の台湾総統選挙、5月の就任式、同じくロシアの大統領選挙結果は? 7月の洞爺湖サミット、8月の北京オリンピック朝鮮半島独立記念日?、11月の米国大統領選挙へと続く。この間に天変地異など何があってもおかしくはない。今まで我が国だけは無縁?であった「テロ」も、サミットを契機に国内に侵入することだってありうる。
 そこで、殺人事件や事故多発で、年末年始をゆっくり静養できなかった警察や公安関係者には、機会をとらえてじっくり静養してもらい、国家多難な時期をうまく回避してもらいたいものである。
 勿論、自衛官各位にも持ち場をしっかり固めて欲しいものだが「護衛艦=しらね」が炎上して「廃艦予定?」だという。昭和55年、就役間もない「しらね」を含む海自艦艇群を、鹿島灘沖に迎え撃った、ファントム飛行隊長時代を思い出す。


当時はヘリ搭載型の新鋭艦だった!
 昨年は整備会社の不注意でF−2が1機おしゃかになった。陸自からも中国人に秘の情報が漏洩したとかで、3軍横並び?で不祥事が続いたが、ゴランでもクエートでも、仲間たちが踏ん張っていることを忘れないで欲しいと思う。
 今年は年明け早々、雑誌などに寄稿させられたが、月内には福岡で講演することになっている。会の主催団体の副会長が中学時代の同窓生だが、高校の剣道部を中心にした同窓生もそれを知って特別参加する、と言うので、後で「講演の評価が恐ろしい!」と聊か緊張!している。
 今日はチャンネル桜「防人の道:今日の自衛隊」の年初めで、井上キャスターと恒例の防衛漫談をするが、内容はそのときの雰囲気次第。
 明日からブログ再開、読者の皆様、今年もどうぞよろしく!