軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

入院日記 第2幕「極楽篇(その7)」

 6月4日水曜日、いつもの活動が始まる。朝食はようやく3分粥となり“離乳食”を卒業した!蕩けるような米粒の感触がたまらない。味噌汁にも僅かだがサツマイモとわかめの具が入っている。お煮しめが旨い。改めて日本人たるを自覚、30〜50回咀嚼する。 勿論20回ほどで液状になるが、私の歯は航空身体検査でもいつも褒められていた天下一品なのだが、気がついたら肝心要の“咀嚼”をしていなかったから、歯の機能を果たしていなかったのである。子供の頃、食事中に母がいつも「きょろきょろしないでお行儀良くしっかり噛みなさい」と注意してくれたことを60年以上経った今、病床で思い出す!これからは、必ず50回噛むことにする。

 ラジオでサハリン(樺太)の近況が語られていた。サハリンでは10〜20%の物価高が続いていて、食糧は10〜70%の上昇、軽油は50%も上昇しているという。年金生活者の生活ぶりは、4人家族で月10000ルーブル(約4万円)。主食のパンも高値になり、市場経済で行動することに限界が来ているという。一見、原油高で好況のように見えるが、物価上昇で市民生活は苦しいというのだが、私は2001年と2003年に生まれ故郷である樺太を旅したことがある。
 2001年6月に初めて訪問したときは、午後5時にユジノサハリンスク空港に着くやマイクロバスで一路旧地名敷香に向かい、旧王子製紙の工場内の“宿舎”に泊まった。
 設備が悪く、冷たい水が出るだけだったからシャワーも浴びられず、ロシア人は良くこんなところで我慢しているな、と思ったものである。
 翌早朝、北緯50度の国境線を視察したが、未だに彼ら自身も“国境線”と呼んでいるようで、驚いたのはその帰路、途中の休憩地で会ったロシア人の言葉「なぜ自衛隊は攻めてきてくれなかったんですか?」であった。日本の支配下のほうが余程良い、というのだが、日本人は一笑に付した。
 2003年10月に再訪したときは、真岡、大泊などの慰霊の旅であったが、ガイドさんが半島出身で私と“同級生”、色々な裏話をしてくれたが、生活には苦労しているようであった。息子さんが大学を出たのに就職先がないこと、年金生活者も、共産党政権時代には“マンネリ”で支給される給料で何とかなったが、今やペレストロイカ!モスクワからの支援もなく、懸命に生活防衛中だと言った。
「一時期、あまりにも過酷な“原始時代”のような生活に、特に北方4島の島民は、島を日本に返還すべきと決議したこともあったが、その後日本人が援助してくれたので立ち消えになった」「日本政府は何をしていたんでしょうね〜」と言ったが、その後外務省幹部に尋ねたら「あれは民間が支援したことです」とこともなげに言われて驚いたのだったが・・・

 10時から点滴開始、昼食にはソーメン、八宝菜、バナナ、ヨーグルトが出た。何と無く人間らしくなった!
 隣のKさんが、迎えに来た娘さんに連れられて退院していった。実に嬉しそう、残った室員皆で「おめでとうございます。どうぞお元気で」とお別れした。
 医師が来て「佐藤さん、明日胃カメラ飲みましょう。よくなっていれば自宅から通院ということで・・・」
 何と無く気が晴れたから、点滴棒を押しながら食堂に行き、バルコニーに出て深呼吸する。軽く足腰を伸ばして「退院準備」をしていると、眼下を「健康な人たち」が通っている。窓一枚隔てて、不健康なわれわれと、健康な人たちが区別されている。しかし、本当に窓の外を歩いている人が「健康」で、内側に“隔離”されている人が「病人」なのだろうか?とフト考えた。
「現代史を支配する病人達(P・アコス:P・レンシュニック著:須加葉子訳)ちくま書房」には、F・ルーズベルトからケネディ、ジョンソン、ニクソンヒトラー周恩来毛沢東など等、現代史を支配した指導者達のほとんどが重病人であったことが描かれている。ひょっとすると、SさんとYさんが「安全なのはここと府中」だと言っていたように、実はこちら側が「健康人=安全」で、あちら側が「病人=危険」なのではないか?
 少なくとも、永田町や霞ヶ関で働いている人たちの方が、メタボや糖尿病、風疹や脳神経外科関係の患者が多いのではないか?一度検査すべきではないか?などと思ったのだが、そんな中をこちらに歩いてくる人がいる。家内である。4階のバルコニーから私に見られているとは気がつかないようで、傘を持って紙袋をさげ、何の疑いもなく私に面会に来る家内に、私は不思議なものを感じた。
 毎日Sさんの見舞いに来るお袋さんは血の繋がりがある関係だから当然だとしても、家内と私には血の繋がりはない。それがああして毎日何の疑問も抱かず?に「見舞い」に来るのはなぜか?それは、強いて言えば「世界中で一番身近な赤の他人」とでも言う関係だからか。
 部屋に戻って待っていると、私がバルコニーで何を考えていたか知らない家内は、階段を上がってきて手紙類を渡してくれる。何の不信感も抱いていない家内に、結婚とは実に不思議なものだ・・・と改めて感じる。
 午後4時で今日の点滴は終了、夕食は3分粥と豆腐の味噌汁、鯛の煮付け、ほうれん草の御浸しとデザートは梨、勿論少量なのだが、実に組み合わせがよい。
 9時以降は明日の胃カメラに備えて禁水・禁食に逆戻り。      (続く)


 洞爺湖サミットが始まるが、東京都内も検問が多く、都民生活に影響が出ていると言う。北京五輪を前にした中国内の不安定さも、ますます高じているようだが、こんな不自由さを自国民に強いてまで“体育大会”を開く必要があるのだろうか?と思ってしまう。
 社会主義国・中国も、資本主義国のいいカモになっているのじゃないか?いや、中国自身が体のいい「資本主義」に陥っているのかも知れない。
 四川大地震で子供達を失った親たちは、県外に出ることを禁じられ、幽閉されたままで不満が鬱積していると言う。貴州での少女暴行事件に端を発した騒動も、武力で鎮圧されたようだが、未だに厳戒態勢が敷かれていると言う。
 五輪会場を抱えた都市周辺では、一ヵ月後に迫った会場整備に借り出される人民の中に、強制労働・まがいに不満が高まりつつあると言うが、昨年11月に北京の会場を視察した時、付帯設備工事が遅れているので「間に合うの?」と案内してくれた中国人に聞いたら、「大丈夫、最後は“人海戦術”がありますから」と言った言葉が妙に気になる。

 ブッシュ大統領も“卒業旅行”を兼ねて開会式に出席するようだが、異常なほどのテロ警戒と持ち込む準備器材、態勢にあきれる。今回は尋常な「体育大会」ではなさそうだ。誰が一番儲けるのだろう?ひょっとしてひょっとするようなことが起きるのではないか? 国内でも、烈しい勢力争いが続いている胡錦濤政権は、これをどう乗り切るつもりだろう?お手並み拝見、で済まされないような気がするが・・・

現代史を支配する病人たち (ちくま文庫)

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