軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

モルガン・スタンレーで思い出すこと・・・

 秋分の日の昨日、国旗を掲げたのはやはり我が家だけだった。しかし、山を越えた隣の住宅街(300世帯以上?)に国旗を掲げた2軒の住宅を発見して嬉しくなった。若夫婦ではなく、ご老人夫婦が多いこの一帯だが、国旗が少ないのはなぜだろう?というと、家内が「お年寄りだから面倒くさいのでは?」と言ったのでがっかりした。私は体が動かなくなるまで国旗を掲げるつもりである!

 尻すぼみだった総裁選は、予想通り麻生氏が自民党総裁に選ばれた。出来レースだったにせよ、少なくとも陽気なところが救われる。前任者は「陰気」を通り越して「妖気」漂っていたから・・・。今日の首班指名以降に期待しよう。


 昨日の産経2面に、モルガン・スタンレーに三菱UFJ銀行が9000億円出資するという記事が出ていた。TVなどでは野村ホールディングスがリーマンのアジア部門を買収することもあって、過去のバブルの反省をこめて“警戒”する評論家もいたが、今更「懲りない面々」ではなかろうと日本の金融機関を信じたいものである。

 ところで今日は、「モルガン」という名前で思い出したことがあったので書いておきたい。今日ここに書く「モルガン」さんが、産経に出ていた証券会社と関係があるかどうかは分からないのだが、日米開戦直前の話である。

 当時、在ワシントン日本大使館付海軍武官補佐官であった寺井義守少佐(当時)の記録を整理していて発見したものだが、そこにはこうある。

「1941年11月ごろになると、日米交渉も暗礁に乗り上げたような状況になり、日米間には陰鬱な空気が漂っていた。在米外交官も、他国に転出するものが増えつつあった。私ども武官室でも、開戦の場合は南米方面に行って、情報活動を出来るだけ継続するよう定められており、私もその心組みでそれとなくスペイン語の練習を始めたような状況であった。
 当時武官の情報関係用機密費は7、80万ドルはあったと思う。それで開戦となれば、米側に抑留される事態をも慮って、なるべくこれを分散しようということになった。
 たまたまニューヨークの副領事の平沢和重2等書記官は、南米(アルゼンチンだったと思う)に赴任することになり、11月末、ニューヨークを船で出発するこちになった。そこでとりあえず機密費のうち5万ドルを赴任国の海軍武官に託送することとなり、外交文書封筒に封入してニューヨークまで私が出向いて平沢氏に渡した。
 平沢氏から、南米は初めてで不案内なので同地関係の地図が欲しいと頼まれていたこともあったので、海軍武官室には適当なものがなかったので有り合わせの米州関係の海図があったのでこれも一緒に手渡した。
 平沢氏の乗船がニューヨークを発ってから数日して日米戦争が始まった。平沢氏の船はバーミューダに回航され、平沢氏一行は徹底的に調べられた。例の5万ドルは外交封筒から取り出して、平沢氏や家族などに分散して所持していたが、これも徹底的に取り調べられて全部没収されてしまった。
 ところで先に同氏に渡した海図は武官室で使っていたもので、誰かが米海軍の演習をプロットしていたのでこれが彼らの嫌疑の対象となり、平沢氏が5万ドルで日本海軍の依頼を受けて何かサボタージュでも計画していたのではないか?と執拗に取り調べられたそうである。平沢夫人は船中でお産をするなど、彼はなかなか苦労をしたらしい。
(抑留された)我々がワームスプリングのグリーンプライヤホテルに移った後、平沢氏一行もバミューダから我々に合流した。
 彼の話によると「託送した金5万ドルは全部没収された上、持参の海図に意味不明な注記があったので、何かサボタージュの計画があったのではないかと厳しく追求された」由である。
 数日すると、FBIのモルガンという人が私を訪れ、海図の記事の由来を執拗に尋ねた。私はもとより知らぬことなので「知らぬ」と答えたが、彼はなかなか止めてくれない。ついに私は外交官特権を持ち出して尋問に応じるわけにはいかない旨を主張したところ、彼もその後は私に対する尋問をあきらめたようであった」
 Wikipediaの「モルガン・スタンレー」によると、「商号中の『モルガン』とは、1933年に成立したグラス・スティーガル法により旧JPモルガン投資銀行部門がモルガン・スタンレーとして分離独立させられた際、モルガン・スタンレー側へ移り同社の共同創設者の1人となった従業員ヘンリー・スタージス・モルガンに由来する。この従業員は、旧JPモルガンの創設者であるジョン・ピアポント・モルガンの孫である 」とある。
 ジョン・ピアポント・モルガンは、1837年4月17日にコネチカット州ハートフォード生まれた投資・銀行家、1913年3月31日にローマで没とある。
 そして、彼はエジソン・ジェネラルエレクトロニック社とトンプソン・ヒューストンエレクトロニック社を合併させ、G・Eをつくり、ユナイテッド・スティール社を設立するために数社の製鉄企業を合併させた功労者だという。つまり軍事産業界の功労者だと言っても過言ではあるまい。
 これだけでは単なる「モルガン」探しなのだが、戦後Y委員会の幹事として海上自衛隊創設に携わった寺井元少佐のところへ、そのモルガン氏が尋ねてきたという部分が気にかかるのである。
終戦後、彼(モルガン氏)はFBIを辞めて弁護士となり、私を頼って某商社の社長とともに来日して、防衛庁へ売り込みをはかったが成功しなかった。私は一夕、彼のために会食を催したが彼はあくまで私が当時何かを企んでいたように思っていた」

 いずれにせよこれは、開戦前、戦時中、戦後の秘話の一つだが、当時没収された莫大な海軍機密費の行方は不明であり、何と無くミステリー小説のネタになりそうで、これらの「点と点」が繋がることを期待しているのだが、Wikipediaでも関連情報は「編集中」になっている・・・

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