軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

恥ずかしい国に住んでないか

 8日の産経「正論」欄に、表記の題で古田博司・筑波大大学院教授が書いているのだが深く考えさせられた。
「もういいかげんに覚悟を決めたらどうだろうか。中国には海を奪われ、油田をかすめ取られ、毒食を送りこまれて知らぬ顔の半兵衛を決めこれ、国連で常に妨害され、韓国には島を占領され、野球のWBCのマウンドに太極旗を立てて侮辱され、ミサイルを発射され、これら特定アジアからそろって偽史まで強要されている。そのような恥ずかしい国に住んでいくという覚悟を、もう決めた方がよいのではないか」という書き出しなのだが、“海の向こうの三種一様の国”という表現がまた面白い。

「日本軍と戦わずしてアメリカに解放してもらった国(韓国)、少しゲリラ戦をしたが大負けに負けてソ連の傀儡にしてもらった国(北朝鮮)、別の人たちが日本軍と戦っている間に山で英気を養い、戦後、前に戦っていた人々を追い出して独立した国(中国)。これらは日本に戦勝したという偽史なしには国民の物語が作れない国々であり、これからも絶えず日本と戦っていると国民にアピールするために、日本の主権を侵し、侵略をし続けることであろう」というのだが、「日本が敗れてからは、それらの遺産を活用した韓国は栄え、払拭して社会主義を始めた中国や北朝鮮は、あるいは遅れ、あるいは衰えていったのであろう」と言うに至っては実に明快で的確な表現である。


 古田教授は「時代は変わって、いまや世界は四つの国家群に分けることが出来る」とし、「進歩主義は幻想となり、静的に四群が並存するだけの世界」には「資本主義も民主主義もできる国」「資本主義はできるが民主主義ができない国」「資本主義も民主主義もできない国」「何もできない国」の4種が存在し、「後の3つは大体独裁国であるから、いかに人間存在が独裁好きかということがよくわかると思う。独裁国家は民主主義を排除するために、陰に陽に協力し合う」と書いたが全く同感である。
 そして「資本主義はできるが民主主義ができない国々がテロ国家を番犬のように使い、影響力を世界に拡大しようとする戦略は、かっては社会主義で貧乏だった大国が、昔の野望を実現できるようになったということだけなのかもしれない」と締めくくったが、世界の現状を言い当てて妙だと思う。


 ところで「テーミス」5月号の「日本警世」欄に、「トルコの好意を無にした日本を貶める国辱市長」という題で、高山正之氏が、新潟県柏崎市の「社会主義系市長」会田洋市長の国際的非礼を取り上げている。
 90年代半ばに新潟県柏崎市がオープンしたテーマパーク「トルコ文化村」に、トルコ政府から送られたトルコ建国の父、ケマル・アタチュルクの記念像が、野晒しにされているというのである。

 当初はテーマパークの広場の中心に、高さ5メートルのケマル像が堂々と飾られていたのだが、バブル崩壊で不況になり赤字倒産、「心配したトルコ大使館は在日トルコ企業の出資も含めた支援を、柏崎市の会田洋市長に伝えた」が、「社民党系の会田市長は再三のトルコ大使館からの申し出に返事もせず、ブルボン(支援を申し出た製菓会社)の計画にも関心は払わない。あげくに、地元のラブホテル業者にテーマパークを払い下げてしまった」という。
 トルコといえば、ロシアを倒した日本を尊敬し、明治23年に紀州沖で遭難したエルトゥール号の乗員たちを、村人たちが命がけで救ったことを忘れずに感謝している国である。
 1980年9月におきたイラン・イラク戦争で、「イランに在留する外国人が自国の救援機で脱出する中、日航共産党系乗員組合が運行を拒否、自衛隊機の出動は社会党が反対して日本人だけがテヘランに取り残された」時、「昔、勇気をくれた日本人のために」と、トルコが救援機を差し出してくれたおかげで200人を越える日本人が脱出できたのだったが、120年も前の1890年の恩を忘れないトルコに比べて、わずか30年前の恩を忘れている日本人がいることが情けない。

「トルコ大使館は会田市長の『日本人とは思えぬ品位のない行為』を怒り、『せめて寄贈したケマルの像を、和歌山にある串本のエルトゥール号記念館に移して欲しい』と文書で伝えた。しかし彼は『売っちまったものに市は口を出せない』と突っぱねたという。こんな男が市長として選ばれたことに慄然とする」と高山氏は書いているがあきれてものも言えない。会田市長がテーマパークをラブホテル業者に払い下げた経緯は不明だが、「会田市長は全共闘の出身で、心情は社民党と同じ。テヘランへの自衛隊機派遣を潰して日本が国の恥をさらしたのを社民党は手を打って喜んだ。それと同じにトルコが怒り、日本の評判が落ちるのはむしろ彼は望んでいるようにすら思える。かくてラブホテル業者の所有となった施設は荒れ放題。ケマル・アタチュルクの像は台座から外され、青いビニールシートにくるまれたまま野晒しにされて今に至っている」という。
「日本の評判が落ちる」のを「むしろ望んでいる」ように見える会田市長はおそらく日本人ではあるまいと思う。だから平然と日本が「世界に恥をさらす」のを喜ぶのであろう。


「正論」欄に古田博司・筑波大大学院教授は、恥も勇気も忘れた日本人は「そのような恥ずかしい国に住んでいくという覚悟を、もう決めた方がよいのではないか」と書いたが、いち早く、柏崎市民は「覚悟を決めて会田市長を指導者に選んだ」に違いない!
 豚インフルエンザが蔓延しないように、政府は必死に“戦って”いるが、同時に高山氏が指摘したような国際的非礼も蔓延しないように十分配慮して欲しいものである。
 1980年9月に、トルコが救援機を差し出してくれたおかげでイランから無事に脱出した200人を越える日本人たちが今どうしているか知らないが、この事実を知ったらどうするだろうか?200人全員が会田市長のような“全共闘”出身者ではないと思うのだが・・・

 とまれ、私は、こんな恥ずかしい国に住んでいることを『情けなく、恥ずかしく』は思ったが、そんな中で生活していく覚悟は絶対にできない一人である。

ケマル・パシャ伝 (新潮選書)

ケマル・パシャ伝 (新潮選書)

親日の国トルコ 歴史の国トルコ

親日の国トルコ 歴史の国トルコ

トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争

トルコ狂乱 オスマン帝国崩壊とアタテュルクの戦争

世界が愛した日本

世界が愛した日本