軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

敗者の美学

 今朝の産経6面「次代への名言」には考えさせられる。「誇り高く、高貴だった彼がかくも変わり果てたことには、同情するほかなかった」という英国の外交官、アーネスト・サトウの言葉である。
 彼とは「第15代将軍・徳川慶喜」であるが、薩長と戦火を交えた英国が、戦後薩長と親密になったわけは「将軍の家臣たちがその弱腰と二枚舌の故に嫌悪の情をおこさせた」一方で、薩長に誠実さと、日本を変えようとする意志を感じたからだというのである。

 しかし辛らつなサトウは鳥羽・伏見の戦いであえて恭順の道を選んだ慶喜に「敗者の美学」を見たようで、「幕府は外国からの軍事支援とそれに伴う多大な流血によって独裁を続ける道を選ばなかった。それだけの愛国心を持っていたことは日本にとって、誠に喜ぶべきことであった」と続けているのだが、確かにわが国の為政者達が、国難に際して「外国の軍事支援」を軽々に取り入れなかったことは評価されるべきものであったろう。

 大東亜戦争終結後に日米安保を結んだのは、敗戦直後の丸裸状態時に、米国の軍事力を活用して赤化防止策をとった賢明な決断だったと思うが、その後はいかにも“マンネリ”にうち過ぎた。
「将軍と家臣たちの弱腰」、つまり戦後60余年に及ぶ「安逸を貪る戦後指導者達の姿勢」に国民は「嫌悪の情」を感じてきたのである。しかし彼らは気がつかなかった・・・

 そしてついに“大政奉還”寸前に至ったのだが、さて、新政府は「外国人勢力の支援」を期待しているようで、徳川慶喜の決断とは程遠いところが非常に気になるところである。
 日の丸を切り裂いて愧じない異常な組織が『愛国心を持っている』とは思えない。総選挙後に国民がサトウのように「まことに喜ぶべきことであった」と納得することが出来るかどうか・・・


 7面には、昨日に続いて野中広務氏が「国会では、地方の方がよほど真面目だと驚きました。(国会)議員は自分の質問時間しか来ない。同じ質問が出るが、大臣や局長は始めて立派な質問をされた顔で『ご指摘の通り』とか言います。せめて私は座り続けようと決めました」
小選挙区制になってもっとひどうなった。新幹線で1時間半ほどの議員は帰ってしまう。対立候補は選挙区中を走っているから負けんようやるというのが表れている。最重要法案も、趣旨説明に入ると150人近くがざっと立ち上がり、(会議場に)いなくなる。非常に悲しい状況ですね」これは職場放棄ではないのか?税金の無駄遣いであろう!


 昭和50年、外務省に出向した私は『核拡散防止条約批准問題』を抱えていたから、連日局長のお供をして外務委員会に通ったが、審議はまさにこの状況であった。NHK・TVの撮影時間だけ出席する議員、カメラのライトがつくと、カメラに向かって得意げなジェスチャーをする議員、ライトが消えると大臣や局長の答弁なんぞ一切気にも留めず隣の議員と私語する議員、委員会開会前後には、与野党議員がこそこそと耳打ちし、へらへら笑って席に着く。
 そんな不真面目な“選良たち”の実態に、操縦カン一本槍だった私はあきれてものが言えないものだった。
 中には質問時間は30分だから、何か適当にQ&Aを書いてきてくれ、と官僚に頼みに来る議員も居て、軍縮室としては『化学兵器問題』を質問させ、これに局長が答えるという『パーフェクト討議』をしたものである。

 これが当時の国会の実情で、若く真面目に国益を考えている官僚たちは悲憤慷慨、金銭をばら撒いて票を買う“ローカルボス”に国は任せておれぬ。自ら大学で勉学し、外交で苦労しているわれわれがこの国の行く末に責任を持つべき!とこの時から官僚たちが『国会議員』に進出する気配が濃厚になった、と私は感じている。
 しかし、交わった「朱」色は尋常ではなかったから皆“朱色”に染まってしまった・・・


 7面上の曽野綾子女史の『透明な歳月の光』には、「ある党首が現状の日本を『国民を見捨てた政治』とテレビで言っていた」が、どこに「国民を見捨てた証拠」があるというのか。
「老人で飢え死にした人を見たこともない。それでも国民を見捨てたとその党首は言うのである。こういう不正確な言辞はいけないことだろう」
 首相がカップめんの値段を知らなかったからといって騒ぐ女性がいるが「総理は知っているが、この女性や私が知らないことの方がはるかに多いのだ。政治の大局さえ押さえていれば、カップめんの正確な値段くらい知らなくても大したことはないのが、総理というものだ」
「子供ではないのだから自分中心ではなく、むしろ自分を社会と世界の一隅に静かに位置させ、その上で正確なデータで論議をしないと、無意味な煽動に踊らされることになる」と警告しているが全く同感である。


 ところで、読者から『あまり悲観しすぎる』と御心配いただいたが、私の心配は、戦後体制から立ち上がるべきチャンスを次々と失ったままで60年余、徐々に地盤沈下していっている我が国の将来を心配しているのである。

 政権交代をしようがしまいが、この国の進化が極めて遅れていっているように思えてならないからであり、いつまでもこんな『蛇の生殺し』状態では、国民自身が耐えられなくなるのではないか?と気になるからである。
 もちろん、この国に移住してきて、近代的な環境下を楽しもうという『異民族』にとっては快感だろうが、そんな生き様と文化が異なる異民族と同居するのはいやになったからといっても“気軽に”海外に移住できない高齢者日本人にはたまったものではなかろう。


 総選挙後には10月の『中国建国60周年』、来年は5月から注目の『上海万博』が控えている。軍事情勢は語るまでもなく緊張しているし、朝鮮半島の南北間も動き出している。
 30年以上経っても拉致被害者一人奪還できず、自分自身の生活確保のために、選挙に落ちて『リストラ』されまいと懸命な、ある意味哀れな候補者達の姿を見ていると、どこかイソップ物語を連想する。

 前進し続けている周辺諸国に反して、わが国だけは『後ろへ後ろへと”前進”』し続けているが、やがて関東大震災からの予知周期(既に4年経過しているが)がめぐってくるだろう。
 いつ地殻変動が起きてもおかしくない、と警告され続けているのにこの体たらくである。第2の『阪神淡路大震災』が予想されているのに『備えなくして憂いばかり』・・・


 そんな最中、私は明日から70歳の仲間入りする。60歳代最後の今日も「備えなければ憂いだけだ!」と警鐘を鳴らし続けたい。4年後のある日、このブログに「備えなかったから、かくの如し!」というタイトルで現状批判文を書かずにすむように・・・

一八六八年 終りの始まり―アーネスト・サトウの夢と現実

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