軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

“文民”こそ文民統制を学べ!

 今朝の産経「正論」欄に、佐瀬昌盛防大名誉教授が「文民統制に政治の自戒が不可欠」だと論じている。陸自連隊長の発言が、最高指揮官の発言を「揶揄しているという誤解を招くようなものであった」とする処罰理由の政府見解が苦心の作であるとし、昨年11月のオバマ大統領に対する鳩山総理の発言の「軽率さについては衆目は一致する」と書いた。

 そして「この軽率発言なかりせば、連隊長の問題もまたあろうはずがない。この因果関係は誰も否定できない。他面、問題箇所を含まずとも立派な訓辞は出来る。だから、文民統制の原則に照らして、政府が連隊長発言を聞き流すわけにはいかないことも明白である」とする。
 その上で佐瀬教授は「1、自衛官は言論面で節欲が必要。たとえ国民の9割が考え、かつ公言していても、自衛官であるが故に表明を断念すべき事柄がある。2、文民統制の主体である政治の側がその重い責任を名実両面で肝に銘ずべきこと」とし、「私の経験は狭いが、第1の点は自衛官にはよく理解できるところ、と確信する。第2の点を政治が、また国民がよく理解しているか、かなり疑問だ」と書いた。


 確かに“政治的に微妙な発言”については、意図的に回避すればその場は収まり、事も起きないから処罰されることもない。文民も役人も一安心である。その点を理解しているからこそ「節欲」した自衛官は出世する。メディアは残念だろうが・・・

 しかし、事は政治に無関係でも、メディアとつるんで事を大げさにして「自衛官の言論を弾圧しようとする」傾向は今まで否定できなかった。私が広報室長時代に起きた、増岡鼎東方総監の隊員の体力不足発言に対する加藤長官がとった処置や、些か心苦しいが、整備不良のJAL機が御巣鷹山に墜落して、一部のメディアがこぞって自衛隊を非難した時、自ら降りかかる火の粉を払うのは当然だと思った私がそれに「反論」した時がそうであった。
「節欲」が強い上司から私は「強硬に指導」され、危うく北海道のミサイル部隊に飛ばされるところだった。しかし捨てる神あれば拾う神あり、時の方面隊司令官の判断で津軽海峡を渡らずに済み、かろうじてパイロットとして飛び続けることが出来たが、“文民”と役人を意識して私に「節欲」させようとした上司はトップに昇進した。
 未だに「ファントムがJAL機を撃墜した」などという荒唐無稽な流言飛語が飛び交っているが、政治家も役人も、知る限りのOBもそれを公的に否定したという事は聞かない。未だに皆「節欲」しているのであろう。

 一昨年暮れ、“文民”ではない役人の手にかかって「強制排除」された空幕長がいたことも記憶に新しい。そしてこの3月5日の統幕学校卒業式に「彼が出席するなら僕ちゃんは出ない!」と“高官たち”は駄々をこね、“意を察した”後輩の統幕学校長が「節欲」からかどうかは知らないが電話で田母神先輩に欠席を要請した。


 佐瀬教授は「問題は、文民統制の『実』にある。その『実』とは政治による軍事の誤りなき航路指導だ。戦後日本では漠然と文は善、かつ賢で、武は暴、かつ蒙だと見られている。ならば文民統制は先験的に善なのか。否だ。文も暴、また蒙であり得る。民主主義国家では文民統制の代替策がないまでのことだ」とし、スターリン毛沢東はじめトウ小平ヒトラーなど「文民統制が無謬ではなく大災厄を呼んだ例」を挙げて解説しているがまったく同感である。
 あえて付け加えるとすれば、武もまた武を自覚すべきであり、武人たるべき自衛官が、制服を着ただけの「役人」であれば現状打破はありえないだろう。


 私は今、大東亜戦争の真実を求めて、満州事変、日米開戦の経緯を調べているが、今も昔も少しも変わってはいないことを教えられている。それは文に潜む『暴』と陰湿な『恨』、そして責任転嫁。当時も「文は善、軍は暴」との意識は強かった様に思う。

 ブログサイズの関係で読みにくいことは承知で佐瀬論文を貼り付けるから、是非ご一読いただきたいと思う。


 ところでその裏面(8面)に、懐かしい写真が出ていた。『体験的日米同盟<考>』欄の古森論文である。米国の核持込には異常なくらい熱心な日本の論調に対する体験論だが、「日本の領海や近海を核兵器を装備して、我が物顔に航行するソ連の艦艇には、なにも触れないのだ」と云う指摘は鋭いが、いくらそう指摘しても、その手の「確固たる反米論者」に聞く耳はないというのが実態だろう。


 それはさておき、このバックファイアーを監視するファントムの写真が私には懐かしい。
 当時広報室長だった私は日本周辺に飛来しているソ連機の「赤い星を茶の間へ!」とスクランブル写真を積極的に公開しようとしたのだが、なぜか部内には「情報収集上」秘密だとする傾向が強く、公開は一部制限されていた。
 しかも、われわれパイロットが夜昼となく苦労して撮影してきた写真には、「敵の姿」はあっても、味方の姿は写っていないから、国民はわれわれの苦労を知ることは出来なかったのである。
 ところがたまたま私が西部方面隊の幕僚だった頃に発生した「ソ連機の対馬海峡大量通過事態」をNHKが特番にしたいと申し込んできたので、それに大いに協力することにした。
 しかしTVは広報室が提供するスチール写真ではなく動画を求める。技術担当者が何とかコンピューターグラフィック化しようとしたが、実際に上空で目撃したことがないから臨場感がない画像になってしまう。
 そこで西空時代に実施して成功したように、千歳基地スクランブル待機につくファントム2番機の後席に8ミリビデオカメラを持ち込み、監視する編隊長機も合わせて撮影させることにしたのだが、これが大当たり!つぎつぎに貴重な動画の撮影に成功した。

 ところがこの画像をNHK特番だけに提供すると他社が抗議することは明白である。是非とも正規に記者会見を開いて一般公開する必要がある。そこで前代未聞のビデオ記者会見を開いたのだが、今度はTV各社は喜んだものの新聞社がクレームをつけてきた。こちらはスチール写真“専門”だからである。
 そこで各社はVTRからスチール写真を撮って掲載したのだが、それがこの写真である。“原画”は、当時話題になったNHK特集「スクランブル!<今日本の空で何が>」に収録されている。


 ついでだから古森記者の記事を裏づけしておこう。当時日本周辺に飛来していたソ連機の公開写真だが、胴体や翼に懸架されているのはAS-6空対地ミサイルであり、核・通常弾頭装備可能なものである。勿論写真のものは<ダミー弾(模擬訓練弾)>だと分析されたが、このように彼らはいつでも日本本土を核攻撃できる技量を当時身につけていたのであったが、政府はじめ誰も抗議はしなかった!ソ連の核には無言、米国には未だに大騒ぎ!この姿勢こそ「片手落ち」ではないか?




 そんな苦労を人知れずしてきているわれわれ自衛官だから、現場で隊員を預かる連隊長が「節欲」出来なかったのではないか?と私は彼に同情している。
 当時広報室長だった私も、物言わず「節欲」していたら、確かにF−15部隊に栄転し、肩の桜が増えていたかも知れなかったが、しかし私にはそうすることが果たして国民のためになるのかどうか疑問だった。そして一部メディアのでたらめな自衛隊非難記事は、現場で苦労した隊員の名誉を傷つけるばかりか、国民の自衛隊に対する判断を誤らせると考え、防衛庁始まって以来の制服自衛官の「反論」となったのであった。
 勿論「届出をした上」だったし内容もあからさまな政府批判でもなかったのだが、この時は某社記者が上司を“脅迫”したため?役所ではなく上司の“節欲”で書かれた「訂正文」という苦心の作だった・・・。つまり「文民統制」という便利な言葉を悪用すれば、制服組に対する「難癖」はどうにでもつけられるという証明である。
 

 とまれそんな“怖いソ連”には無言で、民主的な同盟国に嫌がらせをしていたのが当時のメディアであり左翼であったが、今は弱体化?したソ連から強大化した中国に軌道修正して阿っているだけ、つまり彼らは「やくざに弱い」だけなのである。そんな“怖い国”と「友愛の海」を築こうとしている政府・民主党も同類である。
 そしてその支持率は日増しに低下しているというが、それは国民が健全になりつつある証拠である。とりわけ実力者に対する批判が相次いでいるが、今日は紙数がなくなったので面白い雑誌の紹介に留めておきたい。
 

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