軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

何かがおかしい…

今日は私が所属する史料調査会で、茅原郁生・拓大名誉教授の「中国の現状と海洋進出」という講話を聴いてきた。天候不良な中、元海兵出身の、日本の将来を危惧するご高齢者を中心に、熱心な質疑応答が行われた。

先輩方との雑談で、政治も教育も報道も、そして裁判も、どうしてもついていけない、理解に苦しむ事が多すぎる、という点で一致した。
正直、最近の世情を見ていて、私の方がおかしいのではないか?と危惧していたので、意見が一致したので少しは救われた思いがした。


尖閣VTR流出事件では、当該保安官は逮捕されないと決まったようだが当たり前である。犯罪者たる中国人“船長”は釈放されて「無罪」どころか、国では英雄、勲章をもらったという。
わが国では、体を張って犯人を逮捕した海上保安官仲間が、自分の政府からいかにも「余計なことをしてくれた」とばかりに締め付けられている。現場の実情を任務遂行のために学んでいた彼に「守秘義務違反」で行政罰が与えられるという。硬直した役所の対応ぶりというよりも“ゲシュタボ首脳”の横車に海保が振り回されている構図だろう。
しかし、知る権利に応えてくれた彼に国民は皆同感し賛同している。わかっていないのは“SENGOKU”大臣だけじゃないか、という点でも一致したが、海保は「口頭注意」くらいで済まさないとやがて来るだろう政権交代後に悪しき前例を残すことになるだろう。次期政権は彼を“表彰”するかもしれない…


次に理解に苦しむのが、16日に横浜地裁で開かれた、男性二人を殺害した事件の裁判である。
強盗殺人罪など9つの罪に問われた住所不定、無職の池田博之被告(32)の裁判員裁判で、「執拗で残虐、非人間的行為で情状酌量の余地はない」として死刑が宣告されたのは当たり前だと思っていたが、なんと、朝山裁判長が判決言い渡しの後、「いかなる刑にも服すると言っていたが、裁判所としては控訴することを勧める」と異例の言葉を添えた、というのである。
 

池田被告の殺害方法は、「マージャン店経営の男性(当時28)の命乞いを無視して生きたまま電動のこぎりで首を切断した」もので、「想像しうる殺害方法の中で最も残虐。被害者の恐怖や肉体的苦痛は想像を絶する」と非難したにもかかわらず、裁判長は前記のような「説諭」をしたのである。


判決文や記事によるとこの程度の表現だが、この殺害場面をCGなどで再現したら裁判長はどんな表情をするのだろう?
いずれ地上波TVのドラマなどで「再現場面」が放映されるのだろうが、その時は朝山裁判長にはじっくりとみてほしいと思う。

それでも彼に「控訴を勧める」というのであれば、彼の神経は正常とは言い難いのではないか?と感じる。いや、現実に彼は「自分が下した判決」に「文句をつけなさい」と言っているのだから、単に判決に自信がないというにとどまらず、殺人“幇助”に近い行為をしていると考えるべきだろう。


毎度のことだが、識者が所見を述べている(産経)。
河合幹雄桐蔭横浜大教授は「…控訴を勧めたのは、判決に対する裁判員の心理負担への配慮とも考えられる…」とし、奥村丈二・中央大法科大学院教授は「…裁判長が控訴を勧めるというのは異例だ。…裁判員の判断を尊重するなら被告に語る必要はなかった…」とし、川上拓一・早大教授は「…裁判員裁判でも死刑判決が出る可能性はあり、裁判員裁判の直面せざるを得ないハードルを一つ乗り越えたといえる。…裁判員の方々には、お疲れ様といいたい」と語っている。


今回の裁判についての所見だから、記事にすればこうならざるを得ないのだろうが、私には「殺された被害者はもとより、被害者の親族はどうすればいいのか?」と絶句してしまう。

裁判なんて所詮法律家の「ゲームの一つ」に過ぎず、今の裁判官なんぞ、素人に手伝ってもらわなければ判断できない程度の「小役人」ではないのか?と疑いたくなる。それとも責任軽減か?


雫石事件の判決文を読めば読むほど、いかに「軍事航空」の素人だとはいえ、言葉の遊び、仰々しい法律用語の羅列に過ぎず、自ら判断するというよりも、事故調書の内容も理解不十分なまま、もっともらしい≪判決≫を下しているが、空中勤務者であった私に取っては「異様な世界」に感じられて仕方がなかった。


産経の25面には「極刑…裁判員苦悩の決断」「何回も涙流した」「裁判長と同じ。控訴してほしい」などの文字が躍っているが、何のために裁判に参加しているのか!と怒鳴りつけたくなる。判断の根拠は≪社会正義≫ではないのか?社会悪を排除するための判断を迫られている、それが仕事だろうに、いかにも「一人の人間として、死刑判決を下すのに苦悩した」かのような、“言い訳がましい言い訳”は不必要だろう。

参加を命ぜられて「裁判ゲーム」に没頭するのはいいが、殺人者の陰に、殺害されて“欠席裁判”を余儀なくされた「被害者」と裁判官や裁判員以上に「苦悩し、涙を流し、死刑にしてほしい、仇をとってほしいと叫んでいる被害者家族」がいることを忘れてもらっては困る。


メディアもメディアである。池田被告の「転落人生」など、犯人を“擁護するかのような”奇妙な記事を読者は求めていない。
それよりも、被害者家族の憤りを取材して、闇に潜む“人殺し予備軍”を抑止することこそ使命じゃないのか!といいたい。


いやはや、最近のニュースを見ていると、何かがおかしいと思えてならない。どうも私の頭の方がどうかしているように思えてならないのだが、どちらが狂っているのか…知りたいものである。

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