軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

香りが失せたお正月

今日は仕事始め、仕事のない方はどうするのだろう?と気にかかる。
国内は就職氷河期であるにもかかわらず、日本企業の多くが外国に進出し、異国の人間を雇うらしい。自国の人材育成や愛国心は「拝金主義」の敵ではないらしい。やがてしっぺ返しを受けるだろう…


近年の正月は、門松も日の丸もほとんど目につかず、お正月の意味も失せたことを痛感する。
子供のころ、大みそかには枕元に「よそ行き」の服をたたんで寝て、元日には、


「年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
祝(いは)ふ今日(きょう)こそ たのしけれ


初日の光 明(あきら)けく
治まる御代の 今朝のそら
君がみかげに 比(たぐ)へつつ
仰ぎ見るこそ たふとけれ」
と歌ったものであった。

いまや≪紅白…≫とやらいう「歌合戦」が主流?、老いも若きも流行歌を楽しむ。

子供のころは流行歌は歌えなかった…
要するに一年の締めくくりという意識は薄れ、12月31日という日から普段通りに1月1日へと一日過ぎるだけ、季節に応じて生活のけじめをつけるという感激などどうでもよく、競って「福袋」を買い求めるのが主婦たちの正月行事になってしまった。


でも、初詣だけは省略できない。この町の鎮守様も久々に人出でにぎわった。いいことである。

我が家も、世田谷時代に元日の恒例になっていた江の島初詣を復活しようと江の島神社と児玉神社に参拝した。江の島神社は大混雑、階段の下で30分以上も待つほどだったが、嬉しかったのは若者が多かったことだ。今は≪パワースポットめぐり≫が流行だからだとか。それでもいいことに違いないだろう。

下り道にある児玉神社は社務所や道路のスポット以外の灯は消えていたが、前日の強風でテントも張れなかったそうで復旧できていなかったらしい。弁財天様は大賑わいだが、明治の英雄・児玉源太郎の方はさびしい限り、これもご時世か。しかし境内は逆に厳かだった。


2日、自宅の窓から外をのぞいていた家内が「あれ!狸が…」と素っ頓狂な声を出した。下の空き地に野良猫が集まるのだが、その中に1匹見慣れない動物がいる。なんとそれは子狸だった。猫と一緒に仲良くえさをもらっている。山の中とはいえここは東京都!なんとなく楽しくなったが、親にはぐれた彼(彼女?)はどんな生活をしているのだろうか?


狸もホームレス…「われと来て遊べや親のない狸…」。やがて鳴き声も「にゃ〜」になるのでは?


3日、靖国神社に参拝した。午後3時だったが行列は続いていた。国民がこれほど参拝するのに日本国の閣僚は参拝を拒否する…。どこかおかしい。完全に国民の心を読み違えている。
今日、伊勢神宮へ、笑顔で手を振りながら行った首相がいたが、ご神域を何と心得る! 天罰が下ること間違いなかろう。

屋台も大賑わいだったが、なぜかロシア料理が出ている。領土を不法に占領している国の「ピロシキ」なんて正月から食ってもまずかろうに…
部下からの年賀状の添え書きに「日本最大の島は佐渡と教えているそうです。正しくは択捉ですよね」とあった。支離滅裂な日本人は懐が広い民族なのだ!
それとも今年は「ピロシキ」ではなく「ロシアを食ってやる!」つもりなのかもしれない。そうであってほしいが…


靖国も若いカップルが目立ち、ちゃんと2拝2拍手1拝していた若者が多かったから、なんとなく楽しくなった。手を引かれて幼子たちが手を合わせる姿は美しい。邪気がないからである。
こうして子供のころから手を合わせる習慣が身についていると、大人になっても何の抵抗もなく神社仏閣に手を合わせることができるようになる。大人たちの「教えざるの罪」なのだが、きっと現閣僚たちの親は「無神論者」だったのだろう…。それとも異宗教の“敵性国人”だったのかもしれない。お気の毒に。


時代は変わるものだから、変化は仕方ないが、変化させてはならないものもこの世にはある。伝統行事はその一つである。
年々、香りが失せていくお正月だが、高校の大先輩からいただいた年賀状に目が留まった。
夫人が「中学1年生の時に書いた随筆『年頭の意』が偶然見つかったので、謹んで紹介します」とあったから、私もここにご紹介して、仕事始めのごあいさつに代えさせていただくことにしたい。