軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

目的はパリ・目標はフランス軍

本論に入る前に、9日ぶりに石巻の阿部寿美さん(80)と孫の任さん(16)の二人が救助された。普段「あまり話さない子…」だと父・明さんは言ったが、明さんも寡黙そうな方だ。知恵を生かして生還した二人を素直に祝いたい。

≪奇跡の生還…産経から≫


病院で父子の再開シーンを撮ろうとメディアは構えたが「絵になる風景」を撮ろうと力むから何とも不自然なものになる。
質問も「トンでいて」無口な任君は回答に苦労していた。中に「捜索隊は気が付いてくれなかったのか?」というような誘導質問があったが、救助隊のあら捜しをしているようで不快になった。

なだしお事件では入院中のマリンギャルに突撃取材して「助けて〜と叫んだが潜水艦乗組員は見ているだけだった」という記事を書き、一挙になだしお側を悪人に仕立てたし、御巣鷹山でも助かった中学生に「周辺のがれきの下でまだ声がしていた」と言わせて自衛隊を非難した過去の事例が頭をよぎったからである。

こんな大災害時、あまり“やらせ・脚色”はしない方がいいのじゃないか?視聴者は敏感に感じ取っている。いずれにせよ救助した警官たちに感謝したい。


原発も「プロたち」の懸命な努力で一歩一歩回復に向かっている。現場のがれき除去に74戦車が出動するが、国民は核戦争を想定していない我が国の実情をよく見た方がよかろう。自分たちが核を装備しなければ、相手も使わないと勝手に思い込んだ単純な軍事音痴政策が50年以上続き、原子力平和利用の象徴ともいえる原発事故で、非武装自衛官たちが“突撃する”何とも皮肉な姿を!
そういえば“国会ごっこ”で核攻撃を受けた際には「災害派遣で対処するしかない」と答弁した大臣もいた…


リビア情勢は軍事段階に入った。次の記事の上段は今朝の産経新聞、下段は25年前の昭和61(1986)年4月16日の読売新聞記事で瓜二つである。

       


歴史は繰り返す…というがこれが戦争好きな人間の性なのかもしれない。
この時の米国(レーガン大統領)は、4月5日にベルリンで起きたディスコ爆破事件の背景にカダフィがいたことをつかみ、公式にはこの作戦目的を、
1、「テロに対する報復」
2、今後のテロに対する「先制攻撃」、とした。


クラウゼヴィッツは≪作戦目標は戦争の目的、性質、交戦国の地理的関係、戦略政略上の状況≫を考慮すべきとして、「目的を誤ってはいけない。目的と目標を混同してはならない」と説き、「目的はパリ、目標はフランス軍」と例えた。
また戦争は「敵国の重心に向かい、総力を結集して突進しなければならない」とし、重心は相手が、
1、武力国家では軍隊に。
2、党派対立のために分裂している国家では首府に。
3、大国を頼みにしてる小国では、その大国に。
4、数国が同盟を結んでいる場合は、利害の集中点に。
5、民衆が蜂起している場合は、首領および世論にある、とした。


1986年にリビアを攻撃したレーガンの目標は「上記5の首領」、つまりカダフィ抹殺にあったが僅か10分の遅れで抹殺に失敗した。しかしそれ以後カダフィは米国に従順になったことは周知のとおりである。

今回も重心は5にあるようだから、作戦目標は「政権交代カダフィ除去」にあると思われる。この場合、連合国間の連携が重要だが、さて…


今回の例で、国連(正式には連合国)がいかに無力か、連合がいかに難しいかがわかろうというものである。

今回の大震災のけじめがついた後、安定した時をとらえて日本人はもう一度国際情勢の基本に「軍事が不可欠だ」ということを検討すべきである。


ついでだが、あれほど鳴り物入りで喧伝された「有事法制」、つまり武力攻撃等を受けた際に国民の生命・財産を保護することを目的として2004年に成立した「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」(通称・ 国民保護法)は役に立ったのだろうか?この法律はいわゆる「有事」を想定したものだから、今回は無視された?と考えていいものだろうか?
それとも、小泉ブームのさなかで法律3本通したことで「事終われり」としたのだろうか?と疑問に思う。
地方自治体もこれをよく勉強して「有事」にとるべき連携方策を生かしていたらと悔やまれる。各地方自治体間で普段から連携が取れていれば、立ち上がりでごたごたしないで済んだのではないか?

尤も、現政権は当時は「有事立法」に猛反対していたのだから、その意識のかけらさえもなかった…、いやあったにしてもおそらくその意識を超える「M9・0」だったからだと言い逃れるに違いない。
“有事”の今、読みが甘かったカダフィ大佐と菅さんは、内心穏やかならざる心境だろうとお察しする。


≪25年前のカダフィ大佐週刊プレイボーイ=昭和61年4月15日≫