軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

有事に備えるということ

有事、それは自衛官にとっては外国からの侵略のことだが、政治家にとっては天変地異も含めた“有事”をいう。あらゆる災難から国民を守る、最低限の備えをすることが政治家の務めだろう。
一般的にそれを「国家安全保障政策」といい「防衛政策」と言ってもよかろうが、戦後60年間、憲法9条を守る○○などにみられるような他力本願で終始してきた。しかし、今眼前に起きていることが「現実」なのである。
国民に納税の義務を命じている政府は、その国民に還元することなく、危機を利用して自分たちだけが生き延びようとしているかのように見える。


小さな所帯の空自ではあるが、日本の空を守るため、何と言われようとも黙々とそれに備えてきた。その処方は戦争にも災害にも、いわば「有事」に適用できる。
1、敵の可能行動及び採用公算の順位を見積もり、「侵攻の公算」「侵攻の時期」「敵の可能行動」「採用公算の順位」を見積もる。
2、わが任務達成に重大な影響を及ぼす敵の可能行動を見積もり、「敵の可能攻撃範囲」「予想侵入方向」「攻撃所要兵力」を見積もって≪結論≫を出す。

こうして導かれるのが「敵の侵攻様相」となり、それに基づく「われの対処能力」をはじき出す。そして得られた「問題点」、例えば通信能力であるとか、基地防空能力、弾薬貯蔵量などに対して速やかに補備是正して、わが作戦方針を立案する。

もちろんそこには「われの損害見積もり」も出す。
このようないわば「ウォーゲーム」を幕僚と共に繰り返している組織が「自衛隊」であるから、相手が「敵」であろうと「天災」であろうと、行動基準はほぼ確定している。だが、残念なことにこのような「危機管理研究」は、警察、海保など、一部の実力組織以外は全く等閑視されてきた。


国民を預かる政治家たちは、万一の事態に備えて真剣に[ウォーゲーム]をすべきなのであるが、戦後の日本は、国防を米国に任せた「商人国家」「軍事抜き」だから発想さえ浮かばない。このような有事対処研究は、原発にも、堤防建設にも適用できたであろう。少なくとも『発想法』だけでも役立ったに違いない。


M9・0の地震は起きないと誰が断言できる? 20〜30mの大津波は起きないと誰が明言できる?
「前例のないものは認めない主義」の硬直した手法と旧態依然とした予算の制約が多くの犠牲者を生んできた。
もちろん、ミッドウエー作戦前の図上演習で、自己に有利な判定をした帝国海軍の例もあるが、「希望的観測」はゲームではかなり排除されるから、これを誤らせるのは「人的ミス」が大半である。


最近の政治家たちは、連日メディアのライトを浴びてTV出演することに意欲的になり、ちょっとした集会でも顔を出しては名前を売ろうと躍起になっている。

今やそれでは追いつかなくなってとうとう「本物のタレント」、知名度だけの「有名人」たちが、不慣れな政治に手を突っ込み、永田町に集まる結果になった。その結果がこの“ザマ”である。
戦後民主主義制度下における『選挙』たるものが、いかに衆愚政治化を助長したか、議員とは名ばかりの「タレントまがい」を集め、彼らの「就職」にしか過ぎない現象を生み出したことか!
選挙で落選するということはすなわち「失職=リストラ」だから、彼らにとっては政策論争よりも、票集めに狂奔する軽佻浮薄な風潮を作る結果を招いた。政治の堕落である。


その結果が今「福島原発対処」で如実に表れているのだが、有権者の何人が気が付いているだろうか?
今国民は、大震災という不幸な現実を前にして、3万余の同胞を失って初めて、政治とは名ばかりの「お遊びごっこ」が、自ら天に唾する行為だったことに気が付いたのである。

治にいて一人乱を忘れなかった自衛隊員、警察官、消防士らが国民の前に出て感謝されることは当たり前の現象なのだが、今までの「腐敗した平和」の中にあっては、隠忍自重するだけであった。もちろん、戦争や災害はないに越したことはない。1000年に一度とはいえ、今回のような大震災が起きることは科学的にも“予言”されていたのである。何の根拠あって誰がそれを無視したのか?

憲法第9条」を守りさえすれば平和が保たれるかのような、非現実派の楽観主義?が災いして、有事に備えた対策は一切とられなかった結果、それに幾倍する出費と犠牲を強要されてしまったといえよう。人知の愚かさを嘆くばかりである。


しかし、震災後すでに半月、嘆いてばかりはおられない。原発対処はしばし継続されるにしても、寒冷地方の復興は急がねばならぬ。敗戦の廃墟から立ち上がった日本である。今度こそ、想定されるあらゆる危機に対応できる「集落」を建設しなければならぬ。

幸い、わが国には高度な技術を持った建設業が控えている。「箱モノ建設」と揶揄されて“日陰者扱い”されてきたが、いよいよ彼らの出番である。今度は政治家に献金する必要もなかろう。地域の青壮年たちを採用・動員して、最新技術を駆使して、被災地に「22世紀に誇れる桃源郷」を復興しようではないか。


ついでに長年“日陰者”であった自衛隊員たちの男らしい生きざまをジャーナリストの桜林美佐君がレポートしてくれているので、少し長くなるが紹介しておきたい。

=================

一体どこから来るのか、
自衛隊員の半端ではない使命感 2011年03月22日(Tue)   桜林美佐


「自分が行きます!」
全ての隊員が口を揃えた。福島第一原発に放水をするため、陸上自衛隊のへリコプター「CH–47」が出動することになった時のことだ。
「任せろ、これくらい大したことはないさ」「今、無理しなくてどうする」
被曝覚悟の作戦にもかかわらず、そんな声があちこちから聞こえてくる。
原発では、3月14日に3号機で放水作業中に水素爆発が起き、4名のけが人も出た。その中には、中央特殊武器防護隊長もいた。事故に遭った隊員は後送されるのが通常だが、隊長は下がることを強く拒んだという。
「あの、温和なアイツがそんなことを… 」同期の幹部自衛官が絶句した。とても、そんな無理をするタイプに見えなかったが、何が彼にそう言わせたのだろうか。


車座になって涙を流す隊員たち
原発への放水作業だけではない、被災現場での救援でも厳しい状況は同様だ。氷点下の気温の中で作業を続けるが、燃料を使うわけにはいかないと、暖をとることもない。持っていた隊員用の携帯糧食を、迷うことなく被災者に渡す隊員ばかりだという。
空腹の中で作業を終え、ド口ド口になった戦闘服を脱ぎ、翌日、またその同じ服を着て出ていく。それは「昨日の記憶を背負いながら行く」ことでもある。
目を瞑ると、目の当たりにした遺体の残像が浮かんでくる。それは阪神・淡路大震災の時も同じだった。
当時、若かった隊員が、現在は曹長などリーダーになっており、その経験からか、誰が命令したわけでもなく、夜は5〜6人の作業部隊が車座になるのだという。
つらかった光景、ひどく悲しかったことなど、黙々 と作業をし続けたその日の全てのことを出して吐き出し、そして泣く。やがて、明日も任務を精一杯やろうと誓い合って、一日を終えるのである。
東北の隊員は、全国から派遣されている部隊を気遣い、申し訳ないという気持ちと、自分は、一層頑張らねばならないという思いがある。しかし、彼らは被災者でもある。家族や肉親を失っていたり、今なお、愛する人が行方不明となっている隊員も多い。
遺体を発見した時に「自分の家族では」という思いが頭をよぎっても、任務に私情は挟めない


「今、行かなければ一生、後悔する。」
救援活動の中心となる隊員は、19歳から25歳くらいの若者ばかりである。中には地元で知られる「ワル」だったり、不良グループのリーダーをしていたような隊員もいる。それを40〜50代の、いわば「オヤジ」たちベテランが支えている。
「人生経験も未熟で感受性豊かな世代が、人の生き死にを目の前にして、まして肉親の所在も分からないままなのに、感情を抑え続けて、心が折れないはずがありません。彼らは制服を脱げば普通の若者です。気持ちを打ち明ける時間をつくることは、大事なんです」
収容した全ての遺体に手を合わせ、遺体安置所まで運ぶことが自衛隊の任務だ。彼らは安置所に入り、自分の家族を探すことはできない。入口で、運び込んだ遺体の冥福を祈り、また現場に戻っていく。
また、多くの隊員が妻や子を残して出動している。残された家族はさぞかいし心細いだろうが、「この国難に弱音は吐けない」と、気丈に家を守っている。


自衛官の死亡・行方不明者は計3名。
空自・松島基地の隊員1名が死亡し、陸自多賀城駐屯地(第22普通科連隊)所属の陸曹の死亡が確認された。
行方不明の隊員もいる。最後まで避難誘導し、津波に飲み込まれるのを住民が見ている。
仲間や家族の死に直面しても、今日も活動は続いている。すでに生存可能な時期を過ぎ遺体を安置所に運ぶことが続くが、担架なども不足しているため、おぶって運んでいるという。
予備自衛官も投入されることになった。「今、行かなければ一生、後悔する」と言う息子に親は「家のことは私たちがなんとかするから」と言って送り出したという話も聞いた。
阪神・淡路大震災を経験した自衛官は言う。「日頃、いろいろと問題を起こすヤツもいますが、国難にあたってはすさまじい使命感でやっています。かつて、この国を守るために特攻隊で散華したのも若者たちでしたが、今、被災地で活動している彼らに重なります。彼らと同じ制服を着ていることを誇りに思います」


初めて敬語でメールを送ってきた娘

地震発生以来、東京・市ケ谷防衛省では、陸海空の自衛官が戦闘服姿になり、臨戦態勢でそれぞれの任務に当たっている。多くが一度も帰宅していない。
労をねぎらうと「現場はもっと大変ですから」と言い、すぐにでも現場に行き、共に活動したいと口を揃える。
19階建ての庁舎では、節電のために皆さんが階段を上り下りする姿が目立つ。慌しくすれ違った叩き上げのべテラン自衛官が、ふと立ち止まり、振り返って言った。
「そういえば、娘から初めて敬語でメールが来ましたよ」とちょっと恥ずかしそうに言った。
その内容は、「日本に生まれ、自衛官の娘に生まれて良かったです。お父さんを誇りに思います」とのことであった。
「明日から、現場に行ってきますよ」。そう言って、すぐに階段を駆け上がっていった。
復興に向けて、自衛隊の戦いはまだまだ続く。
=============

軍事学入門

軍事学入門

有事に備える―元グリーンベレーの実戦的提言

有事に備える―元グリーンベレーの実戦的提言