軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

統幕長、指揮をとれ!

12000人以上が犠牲になり、40万人が避難生活を余儀なくされている今はまさに「有事」である。非常事態宣言もしない菅内閣は、愚かさゆえに職を辞した連中を復活させ、小手先だけの対処に汲々としている。仙谷「暴力装置官房長官を「副長官」に据えて、深夜認証式を行うという。この有事に天皇の御宸襟を煩わせる不謹慎。いつまで「学芸会気分」でいるのか!


≪これがこの内閣の実力=週刊誌から≫


原発では決死の覚悟で自衛官、警察官、原発職員らが奮闘し、効果は別にしても作戦続行可能だとして準備しているのに、小田原評定している対策本部から指示なしだという。
だから昨日書いたように現場の判断で「独断専行」すべきなのである。
支援物資も、今まで自衛隊とは無関係な各所ばらばらに集積されたため配布遅れが生じているといい、今朝から、大型支援物資は自衛隊駐屯地に集積され一括輸送するという。
決定が遅かったのは、今まで自衛隊を忌避し、軍事音痴な計画を立てて事終われり、としてきた平和ボケのせいである。
ニッチもサッチもいかなくなってから「支援要請」されても、自衛隊といえどもスーパーマンではないから阪神淡路大震災の時のように動きはとれない。
この時は更に兵庫県の「反自衛隊意識」が大きく作用し、助かる人も助けられなかった。その点特筆すべきは東京都で、石原都知事の強力な指導力で、自衛隊の能力活用手順が定まり整斉と動くようになっており共同訓練もしている。


御巣鷹山事故でも自衛隊は自主的に活動を開始したが、公的機関、特にJALの対応は実に遅かった。その後驚いたことにメディアの意図的な「反自衛隊報道」で、国民は事故を起こしたJALではなく救援した自衛隊を非難した。
自衛隊は「雫石」「なだしお」「あたご」と事件の度に「いわれなき非難」を浴び続けてきたが、隊員たちの「国のために死ぬ決意」は踏まれても踏まれても立ち上がる麦の苗のように変わらなかった。


現役時代、私は「君は国のために死ねるか」という課題を与えたものだが、回答は「こんなだらしない首相や指揮官のもとでは死にたくない」とは言うものの、「親のため、妻子のため、友人のためであれば、死にたくはないがそうなった場合には死ぬ覚悟ができている」「自分の死後、政府が『国のために死んだ』と言おうが言うまいが自分には関係ない」と書いた。
中には「親のため、友人のため、妻のため」と書いた3佐がいたから、「貴様は夫婦げんかしているのか?」と言うと周囲は大笑いになった。
何処の部隊でも部下たちの健全さに涙が出たものである。

≪命を大切にする自衛隊=メールから≫

自衛隊を「暴力装置」といった仙谷副長官は、頭を丸めて現地に赴き土下座すべきだろう。それともヘリに乗って「陣頭指揮」が好きな首相とともに上空から水を撒くか?

尤も現地の若い隊員たちから「邪魔ですからどいてください」と言われるのがオチだろう。
「己の無能を国民の血で贖う政府」、こんな頼りにならない「指揮官」に隊員はついてはいかないだろう。表面は別にして。


原発被害阻止作戦」は準軍事作戦である。菅氏が東工大で何を習ったか知らないが、今最優先で求められているのは冷却であり被害防止である。これを軍事用語では≪被害極限≫という。たとえ1個小隊が犠牲になっても、連隊主力は生き残り反撃に転じる。今行われているのはまさにそれである。
おそらく集結しているヘリのパイロットたちは、2度目3度目に参加すると手を挙げているに違いない。特攻隊員のように…。
もちろん総数が少ないこともあろうが個人の意欲がそれに勝っているのである。
御巣鷹山の現場でも、ドクターストップになった隊員が活動現場に復帰したいと泣いて医者に訴えた。補給物資を届けた補給隊員も現場活動に参加したいと訴えるので「貴様の任務は物資運搬である」と隊長が引き留めた例がある。


ガダルカナル沖で撃墜された海軍パイロットたちが漂流して島にたどり着き、陸軍野戦病院に収容され、残りわずかな「乾麺」を渡され食べていると、暗闇の中に異様な気配を感じる。目を凝らすと飢えた陸軍兵士たちがじっと見つめているというのである。
「今晩夜襲をかける」という情報を聞いた栄養失調で関節が曲がらなくなった陸兵が起き上がり「自分も参加させてください」と軍医に迫ったが、軍医が「貴様の任務は体力回復することだ」と体を押すと枯れ木が倒れるように倒れ、翌朝冷たくなっていたという。そんな地獄の様相を生還した海軍操縦者たちが「陸軍の精強さを目の当たりにした」と泣いて語ってくれた事を思い出す。
そんな話を知る私にとっては、霞目部隊に限らず全国の部隊で志願者が続出しているだろうと想像している。


今や、精神状態不安定な“首脳部”の指示を待っていたのでは勝機を失する恐れがある。近衛首相辞職のあと東條陸相に組閣の大命が下ったような臨時救国内閣を樹立するのが好ましいが≪戦後民主主義≫にはそれは望めない。これがこの制度の欠陥なのだが、しかしその昔、栗栖大先輩が「有事には超法規で戦う以外にない」と発言し首を切られた例がある。「独断」は今では「超法規」と言い換えられよう。

≪黙とうするのも演出か?産経から≫

≪この不謹慎な外務政務官日刊ゲンダイから≫


今や軍事的素養のないシビリアンにいちいち作戦内容を説明している暇はない。指示系統だけを生かし、軍事作戦全般を統幕長が掌握して、現場職員の専門意見を聞きつつ、警察などと連携して冷却作戦を続行すべきだろう。
この有事に一度罷免された仙谷官房長官が副長官に復活したり、こんな外務政務官がいる内閣である。事は一刻を争う。
統幕長よ、一元指揮をとれ!