軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

隠ぺい体質から脱却できるか?

昨夜は、武田頼政著「ブルーインパルス:(文芸春秋)」の出版記念会に出席して、懐かしい仲間たちに会ってきた。
東京五輪で輪を描いたご本人たちと最終聖火ランナーの思い出話は会場を盛り上げた。それにしても皆さんお元気なのでうれしくなった。

≪右端が著者の武田頼政氏≫


私はブルーインパルスの偉大な“業績”は、各種の写真集などで世界的に有名だが、狭いコックピットの中での人間ドラマを、見事に描いてくれた彼に感謝している。我々“当事者”が書くと、自画自賛、事故隠し?ととられかねないから、第3者の彼が克明に記述してくれたこの本は貴重な記録だと思っている。
彼は「週刊現代」記者時代に、大相撲の八百長問題を告発したが、巨大な組織である相撲協会の圧力に屈した形で出版社が“軍門”に下っため苦労したようだが、その後真実が明るみに出たことは周知の事実である。「正義は勝つ」のだ!

≪T-4ブルーによる展示飛行≫


たまたま今日は、例の雫石事件から40周年目にあたる。“加害者に認定?”されて落ち込んでいる空自は内部では不満たらたらだが、誰も外に向かって勇気ある発言をしないから、私がこの「冤罪」を世に問う!と資料を整理してきた。しかし、大手出版社は≪この事故は古い事故で既に決着しているから(売れない?)≫と消極的だ。古いというなら≪戦争史≫の方がもっと古かろうに!

≪727型機に後方から追突されたF-86F≫


航空事故調査の目的は「事故原因を探求して、同種事故の再発を防止すること」にあるが、事故原因の追及と同時に「責任追及」が進行し、さらに「賠償問題」が複雑に絡むから、事故原因の追及は、ややもすると「あいまい」な決着にされやすい傾向がある。しかし今や、雫石事故と同じ結末か?と恐れた「あたご事件」では、事実関係が明らかになって二人の海自幹部は≪無罪≫になった。ところが事もあろうに当事者を抱える海自が「予想していなかった事態」だと慌てたという。部下が無罪になったことに慌てる組織がどこにあるか!
「なだしお事件」もそうだったが、上級者たちはトカゲのしっぽ切りで保身を図ろうとしていたのか?

情けないことに雫石事件にも似たような事例があった…。今でも部内の一部には「今更問題を掘り起こさなくてもいいじゃないか」という輩もいて、事実の隠ぺい?体質は何も中国ばかりじゃないと痛感する。


おまけに航空事故や海難事故調査は、専門知識を要求されるある種の特殊世界だから、殺人や窃盗事件のように調査にあたる「専門家」が非常に少ない。そこに「政治屋」が絡むとより一層不可解になり、事故の犠牲者は浮かばれず、ご遺族が不満を持つ。そればかりか私は≪犠牲者当人が浮かばれない≫と思っている。犠牲者の霊は、事故現場にとどまって恨み続けることになるのじゃないか?とさえ思う。


たまたま今朝の産経27面に、運輸安全委員会御巣鷹山事故に関して被害者の視点を重視した「解説書」を出版したと出ていた。いいことである。
「隔壁破壊」を図解や表でわかりやすく解説しているそうだが、もっと早く出すべきだった。この間に“反自衛隊活動家”の物書きらが、自衛隊機がジャンボ機をミサイルで撃墜したなどと、“中国政府”も驚くような内容の本を出して世論を誘導していて、防衛省はまるで「事故隠し専門」であるかのような誤解を生んでいたからである。これに防衛省が堂々と反論しないから、今でもそう信じているものさえいる。

この解説書はまだ読んでいないが、隔壁破壊過程を図解しただけでは事故原因解明には程遠いだろう。なぜ「隔壁が破壊したか」「隔壁修理ミスはどうして起きたか」「修理ミスを何故見抜けなかったか」が明らかにされない限り…

この点に福島原発事故に通じる奇妙な「あいまいさ」が感じられるのであり、触れられていないとすればまだまだ『隠ぺい体質』は完全に拭われていないと言うべきだろう。
たまたま産経の26面にJR西日本福知山線列車事故に関して、前社長に禁固3年が求刑されたと出ている。検察は「予見可能」だとしたのである。


尤も、設備上の不具合に関してはそうだろうが、当時の運転手が、なぜ減速しなかったのか、車掌がなぜそれを指導しなかったのか、というメンタルな面の探求も忘れてなるまい。


34年間の戦闘機乗り生活を通じて私は、「人事異動期に事故は起きる」という旧軍時代からのジンクスは正しいと信じている。
そして「人心の乱れ」とともに、余計な作業(送別会、歓迎会を含む)複雑な環境の継続によって、運転者、操縦者に過度の負担がかかるからだという実体験からの結論を得た。もちろん、当該者に対する「ストレス」は他にもある。疲労、人間関係、夫婦関係、家庭問題などなど、いかに人間業とは思えない技量を発揮するブルーインパルスパイロットであっても、しょせん生身の人間だからである。


7月30日、空自では[シチサンマル]と呼称するが、この日にいくら安全教育を重ねても、事故の真実が隠ぺいされたママの資料を使っていては真因はつかめまい。犠牲になった162名の霊魂は、いまだに雫石上空にとどまっているに違いない。うち2名の操縦者も前方を見張っていなかったのだから何が起きたか知らないまま成仏できないで漂っていることだろう。
航空事故に詳しいノンフィクション作家の柳田邦男氏は「遺族の歩みを見つめてきた中で見えて来たのは、亡き人に対して『あの事故の原因がはっきりしたよ。安全対策もしっかりと取られるようになったよ』と遺族が納得感を持って報告できないという事実だった。当時の事故調査は専門家に理解され、それに対応する対策を立てればよいという視野の狭いものだった」と語っている。


JAL機事故よりはるか以前に起きた雫石事故では、専門家でさえも理解できない結論を出して、その上八百屋で魚を求めるような審理が行われ、その後民事裁判で発覚した有力な証拠を、最高裁が『自判』するという、何とも奇怪な刑事裁判での判決が出され、空自は汚名をかぶったのである。

柳田氏が「事故調査への扉を大きく開き、調査報告書を分かりやすくする取り組みのモデルになる」と評価したように、今では民主党政権が隠ぺいしようとした尖閣での衝突事件の真相が「SENGOKU38」氏によって暴かれたように多様な情報公開網があるので、権力者たちによる隠蔽は不可能になりつつある。
村木局長事件での検事の不正や、東電OL殺人事件当時の証拠調査の不備など、民衆を近づけまいとするお上の権威は崩壊し始めている。もちろん法の番人の失態も…


国家機密などは当然保護されるべきだが、どれが「秘密」で、尖閣事件を記録したVTRのように、どれが「公開すべき」ものかさえ区別できない「お上」が、今までは自己保身のために“権威?”を振るって隠ぺいして来たのだとは言えまいか?
柳田氏にそこのところをお伺いしてみたいものである。
いずれにせよ、これが契機になっていい意味での『隠ぺい体質からの脱却』が望まれる。