軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

航空事故絶滅は可能か?

毎年、8月12日になると、JAL123便の墜落事故関連ニュースが大きな話題になる。11日の産経新聞は「『緻密』米検事驚く捜査も…全員不起訴 元県警幹部『今でも悔しい』」との見出しで、元県警幹部の談話を乗せた。
先日のNHK特集もそうだったが、未だになぜ救出が遅れたのか?という課題の追求に熱心で、なぜ事故が起きたのか?という根本を追求する番組は少ない。
事故直後には「自衛隊機がミサイルで撃墜した!」というトンデモ記事を書いた週刊誌も出たが、さすがに今ではそんな荒唐無稽な記事を書く者はいないようだ。
雫石や、なだしお事件など、なんでも自衛隊のミスに結び付ければ売れると思っていた時代はやっと終わったようだが、それにしてもメディア側の反省が少ないのが気にかかる。マ、いつものことだが…


今回の記事は、どうして責任の追求が中止させられたのか?についての解説はないものの、何か大きな力が陰で働いたことだけは推定できる。産経を読んでいない読者のために、記事を掲げておこう。


≪昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故で、最後まで捜査を担当した群馬県警の元警視正、石川和雄さん(63)が取材に応じ、「(日航関係者らの)不起訴処分は今でも悔しい」と心境を語った。「遺族と一緒に闘っている気持ち」で続けた捜査は、米国の検事が「非常に緻密」と驚くほどだったという。
 日航機は60年8月12日に墜落。県警は63年12月、米ボーイング社作業員が機体の圧力隔壁の修理でミスをし、日航などが十分な検査をしなかったとして業務上過失致死傷の疑いでボーイング日航運輸省(当時)の計20人を書類送検した。石川さんは事故後間もなく特別捜査本部の専従となった。群馬県に空港はなく、空の事故などなじみがない。捜査は「なぜ飛行機は飛ぶのか」を知ることから始まった。
 犠牲者520人の命を思い「強いプレッシャーを感じながら捜査した」。連日、渋滞の首都高速を抜け、片道約3時間掛けて羽田空港に通う。「ボーイングの技術は絶対。検査は形式的であるのが常識」と答える日航の担当者ら。「こんなに無責任な状態で飛んでいたのか」と驚いた。
 事故から約2年半後、県警幹部が訪米。米検事に捜査内容を説明し、警察としてボーイング作業員の聴取を要請した。同行した関係者によると、米検事は墜落現場の尾根に散らばる機体の残骸の場所を丁寧に記録した捜査結果を見て「非常に緻密。米国で同じようにできるだろうか」と感心していたという。
 書類送検後、特捜本部は解散、石川さんは検察当局の問い合わせに応じる部署に残った。結局、米国は刑事責任に対する考え方が違い、ボーイング作業員の聴取は実現しないまま。石川さんは「刑事免責して嘱託尋問し、結果を生かして国内関係者だけでも起訴してほしい」と願ったが、地検は全員を不起訴にした。「捜査には自信がある。被害者の無念を晴らせるのは自分たちしかいないとの覚悟だった」と石川さん。
「全国の警察官も同じような気持ちで日々、仕事をしてほしい」と思いを後輩に託した≫

さてこの記事でわかることは、日米の事故調査にかかわるスタンスの違いだが、これは米側が事故防止の観点から、率直な関係者の調書を取るために、司法取引でミスを犯した人物が処罰されない点にある。
事故防止が最重点なのだが、日本は違う。つまり刑法上の「責任者の追及」に主眼が置かれるから、何とかそれを逃れたいという意識が働く。つまり自己保身作用が働くから、事故の真因追求効果は期待できない。
そこでどうしても事故防止対策に反映されないから、何度でも事故は起こり得ることになる。これが事故防止を担当する事故調査機関の泣き所なのだ。

しかし、もしも嘘をついた関係者がいたとしたら、当該本人の心の葛藤は毎日が地獄であろう。


昨日夜、TBSがこの事故の再現番組を放映した。なかなか金をかけた力作で、事実にかなり忠実なところもあったが、大半は情緒に流れて事故防止の観点からの追及は力不足に感じた。
勿論、お金を払って搭乗した多くの乗客とそのご遺族にとっては、「なんでこんな目に遭ったのか!」という怒りと悔しさで感情的になるのは理解できるが、公共放送はもっと冷静深刻にとらえてしかるべきだろう。

その中で、実際に修理にあたったボーイング社の技術者にたどり着いていたが、彼は米国人だから情緒的なことは一切感じていない。淡々と修理ミスだったことを強調するから、日本人には不快に感じられたことだろう。
そう、彼が言ったとおり、人間にミスはつきものであり、飛行機も重力の原則には従わざるを得ないからだ。
問題は産経の、群馬県警の石川和雄元警視正が感じた「悔しさ」の大本である。雫石事件でも、突如最高裁が自判して、空自教官は有罪になったが、それにしても気の毒だ?と思ったかどうか知らないが、執行猶予を付けてバランスを取った。第一、当時の裁判官や弁護士の中には「自衛隊は軍隊じゃないから、民間優先なのだ」と一方的に決めつけていた者もいたという。
既に事故直後から判決は見えていたようなものだった。


JAL機事故はTBSでも報じられたように、隔壁修理ミスだったことは自明だろう。問題はどうして修理ミスが起きたかだが、誰もそこは追及していない。ただ単に、職工(技術者?)の技能不足だったのか?
仮にそうだったとしても、どうしてそれが見抜けなかったのか?40人もの技術者がいっしょくたになって作業したはずはないから、現場ではそこそこの人数が働いていたのだろう。とすればあくまでも発注者であるJALの監督官も現場にいたはずである。なぜ彼が気が付かなかったのか?
隔壁修理など大修理をやったことがないからか?ボーイング社の方もそんな“中途半端な修理”何ぞやったはずがなかったろう。合理主義の国である。
日本人のような「匠の技」で修理しなくとも、パッケージごと交換して済ませるのが彼らの手法だ。
仮に乗用車のダイナモが不調になったら、昔はダイナモを外して修理し、取り付けていたものだ。今、そんな悠長なことをしているところはあるまい。ただちにダイナモ交換である。これをモジュール整備方式ともいう。

隔壁についても同様な思想であり、尻もち事故で隔壁を破壊するようなパイロットが多ければ、ボーイング社も各地に技術者を派遣するか予備の隔壁を各地に保管させる体制を取っていたことだろう。
隔壁なんてそうそう破損することがなければ、定期点検は別にして修理技術はその程度だったろうし、不備があれば一体成型方式だから丸丸交換していたに違いない。そのあたりの修理要請をJALはどう考えて要求したのか?
多分、最も費用が少なく、かつ修理期間が短い方式で早く機体を通常運行させて利益を挙げたかったに違いない。

≪B-747の隔壁構造=航空実用事典から≫


そういう意識が、仮に社内に働いていたとすれば、現場での修理が軽視されかねず、「修理完了」と報告されたら、いち早く列線に戻すべき作用が働いたとしてもおかしくはない。
つまり、修理完成点検上の何らかのミスである。それを見逃して上司に完成報告すれば、上司はメクラ版を押し、運航のための飛行再開のために監督官庁の許可を受ける方を急ぐから、同様な意識が働く可能性はあろう。そして監督官庁もただちにハンコを押す…。これは机上の動作だけだろうか?それとも実機を点検して修理状況を確認するのだろうか?

列線に復帰した機体は、修理直後は何事もなく飛行していただろうが、やがて不具合が生じ始める。隔壁周辺の強度不足によって、機体振動が発生し、後部トイレのドアの扉などの開閉がままならなくなるなどという…


航空機の特徴は地上にある時は全荷重が脚を通じて地球にかかっているが、飛行中は空中に浮いているので揚力が支えている。特に戦闘機のようなタフな設計ではない輸送機、特に民航機はお客を快適に運ぶために地上と同じ与圧がかけられているから、キャビンにかかる外向きの圧力が高度1万 mの機内では0.8気圧程度に保たれているが、外気温度はマイナス50℃、外気圧は地上の20%以下であり、運航を繰り返すごとに機体(キャビン)にかかる繰り返し応力による金属疲労が起きて継ぎ目などの弱い部分に亀裂が入ることがある。

≪B-747の機体構造=航空実用事典から≫


その昔、英国の最新鋭ジェット旅客機として登場したBOACのコメットが空中分解して謎の墜落事故を起こしたが、それは客室が四角い構造だったため、客室窓の角に応力が集中して亀裂が生じたことが判明した。それ以降ジェット旅客機のキャビン構造は真円に近いものとなっているはずだ。
我々のような空中戦を基本とする戦闘機のりは、コックピットだけは与圧されているが、被弾したり脱出した場合に備えて、なるべく飛行高度に近い程度の「差圧」が設定されている。その分身体に相当な負担がかかっているのだが、若い間はそれも一つの優越感だったし公務災害にも認定されてはいない!


30分に及ぶ地獄のフライト間のクルーの努力や、乗客の悲嘆は想像を絶するが、その初期段階で機長と地上の会社とで何が話し合われたのかは不明である。後部で「爆発?」「後部ドア脱落か?」などと認識していた機長の報告を聞いた会社の整備担当者らは、その翌日には後部隔壁落下現場周辺に集結していたことを、カメラマンがヘリから撮影していた。つなぎの背中にはっきりと鶴のマークが写った写真を私も見ている。
ところがカメラマンが帰路に撮影した時には、彼らはレインコートを羽織っていたから、マークは写っていなかった…。
警察、消防、自衛隊が懸命に遭難者捜索中に・・・である。多分、整備関係者は機長からの報告で「もしや?」と感じていたからに違いない、と私は当時推察していた。


「なぜ救援が遅れたのか?」という追求は先日のNHKや今回のTBSの報道で、おぼろげながら国民は理解したことだろう。
それよりも問題は、なぜこんな事故が起きたのか!という観点から物を見ないと、真に事故再発は防げないということである。この事故で追及されねばならないのは「なぜ救難活動が遅れたのか」ということよりも、なぜ「隔壁破壊という悲劇が起きたのか?修理ミスに誰も気が付かなかったのか?」という点だろう。
航空安全管理隊司令を体験した私は、多くの事故調査から、人間の知識の限界もさることながら、今回、群馬県警の石川和雄元警視正が感じた疑問を“それなりに”感じることが多かったから、今日は昔を思い出して当時の状況を整理してみた。


産経は石川警視の記事の後に「事故機展示の前で整備士ら安全講習」と題する次のような記事を載せている。
日航ジャンボ機墜落事故から12日で30年となるのを前に、同社グループの整備士ら約100人が10日、事故機の残骸や乗客の遺品などを展示する羽田空港日航安全啓発センターで安全講習を受け、事故の原因や経緯を学んだ。
 冒頭、事故後に回収された垂直尾翼の展示の前で黙祷。機体整備を担当するグループ会社「JALエンジニアリング」(東京)の赤坂祐二社長が「この事故に終わりはない。過去のものにせず、一人一人のこれからの作業に重ね合わせて考えてほしい」と述べた。
さらに整備士訓練部門の担当者が、当時のニュース映像を交えながら、事故原因となった圧力隔壁の修理ミスや墜落までの過程をスクリーンで説明した。
参加した整備士の佐藤友美さん(24)は「自分の仕事がお客さまの命に深く関わっていると改めて感じた」と話した。中野篤さん(29)は「事故のことを常に頭の片隅に置きながら日々の業務を遂行したい」と表情を引き締めていた≫
教育効果はあると思うが、ただただ情緒的な感想にふけるのではなく、多くの命を預かる航空会社の一員としてしっかりとその使命を自覚してほしいと思う。

10日に、佐藤信博・JAL副社長は「安全なくして企業活動成り立たない」という趣旨の言葉を述べている。その通りである。それも高額なお金を「徴収」しているのだから、決して乗客から「三途の川の渡河代金」を取ってはならないのである。


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反日マスコミを撃つ特集号である。私も反自衛隊記事をご紹介しておいた。こんな記事が世の中に平気で出されるのだから、自衛隊員はたまったものじゃないが…よく我慢していると感心する。さて私が沖縄時代に書き上げた短編小説「ストレンジャー」も完結した。若者代表のあびゅうきょ氏らしくアレンジされて、沖縄の文化などがなえ混ぜられ、なかなか面白い展開だった。

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