軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

資料から:朝日への反撃!

昨日は「NHKのやらせ」を伝える資料を掲載したが、今日はそれに対するNHKの反撃ぶりを紹介しよう。

昨日の産経が「NBCでも”やらせ放送”」と日本ばかりではなく、米国もそうだと言うことを報じたことを紹介したが、同じ面にNHKが「朝日のスクープに反撃か?」と報じていた。再掲する。

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それを伝えたのが平成5(1993)年2月19日付の次の読売新聞である。

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ある意味でTV報道は一過性があるが、新聞はそうはいかないから影響力が強いと言える。

この手の記事は、朝日だけではなくどの社にも共通しているが、とりわけ「自衛隊が関連する事故」はほとんど”誤報”だらけだと言っても過言ではない。

長年、当事者として記事を分析してきたが、ほとんど記者が「自衛隊=悪」という思い込みで書いていると証明できる。

恐らく戦後教育の”成果”なのだろうが、私はそんな”悪意ある”文章に接して「他の関連記事も信用ならない」と比較分析してきた。

雫石事故やなだしお事故などはその典型だ。私はその一つとして「自衛隊の犯罪=雫石事件の真相(青林堂」にその実態を書いたから興味ある方はお読みいただきたい。そんな”誤報”の結果、真剣に国防の任に着いていた仲間が罪人とされ、悲嘆の内に癌でこの世を去っていった。

内容が内容だっただけに原稿を見た出版社は尻込みし、青林堂が「空自の名誉のために」と上梓してくれたものだ。

帯に元防衛庁官房長だった佐々淳行氏が「自衛隊機操縦者は無罪である」と書いてくれた。当時から判っていたのだ。

これで仲間であった隈1尉の無念を、一部だけだとはいえ晴らせたと感じて一安心したものだ。

更にここでは記事が裁判に大きな影響力を与えることも証明されている。尤も軍事に関しては、いかな裁判官だとはいえ、全くのど素人だから当然なのだが。

 

平成5(1993)年2月14日の産経新聞[オピニオンアップ」欄に、池本薫論説委員がこう書いている。

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雫石やなだしお事件当時は、この様な冷静な判断力はメディアには作用しなかった。あたご事件になって、ようやく海難審判が正しい判断をしたが、今はどうだろうか?

 

もう一つ、2月8日の産経「正論」を掲載しよう。

「報道の優先順位を間違うな」と題する放送教育センター所長・加藤秀俊氏の、テレビの狂態をいさめる文である。

 

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しかし、NHKをはじめとしてメディア各社にその反省は未だに見られていないのではないか?

それは何故か?

たとえばNHKに反撃された朝日の社説を見ればよくわかる。この問題がまだ収まってはいない3月20日の社説である。

内容は「やらせ問題」ではなく、韓国との外交問題だから、別件だと思っているのかもしれないが、社説はその会社のスタンスを示し、すべてに通じるものである。

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ここでは韓国に対する「日本の道義心」を批判しているが、その鉄面皮ぶりには言葉もない。

肝心な朝日の道義心はどうなのだ?

これではいくら識者が諌めても、馬の耳に念仏の域を出まい。

 

これは今年の3月17日付産経新聞の「新聞に喝!」欄である。

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神戸大学大学院法学部の蓑原俊洋教授は国際報道に関する問題で、「日本の諸新聞の国際報道では個別の出来事は理解できても、大局的な見地に立って全体的な流れと意義をつかむのは難しい」と書いた。

その理由は「大国としての意識の希薄さ」としたが、私には情報に接触する、最先端の「センサー」である記者個人の意識の低さにあるのではないかと思う。

尤もそれは、そんな記事をもとにして政府を追及している今の我が政治家の方が、更に”劣化”しているように思えるのだが・・・