軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

3・11,2周年

今週は月曜日から外国メディアの取材とチャンネル桜恒例の「防衛漫談」、昨日は水島氏司会の下、一色正春(元海保)、伊藤祐靖(元海自)、鍛冶俊樹(軍事ジャーナリスト)、柏原竜一(情報史研究家)、平松茂雄(元防研室長)、鳴霞(月刊「中国」編集長)が参加した「日本よ、今…闘論!倒論!討論!2013=東アジアで戦争がおこる!!」に呼ばれた。
私は切り出しに、5日の産経新聞が報じた、岡田元副総理が、中国艦艇と対峙する海自艦艇に対して、昨年の10月3日に「過度な配慮」をしたことが、中国艦艇のレーダー照射事件の背景にあることを指摘し、岡田元副総理を追求すべし!と発言したのだが、今朝の産経新聞はこの件について安倍総理と“バトル”したと伝えている。しかし、岡田氏の発言は歯切れが悪い。中国情報に詳しい鳴霞女史が「岡田氏の妻は中国の大学に留学した方で、極めて中国と緊密な方だ」と教えてくれたから、“夫たる副総理”が日本よりも中国に味方するはずだ、と理解した。
9日(土)にスカパー!217ch(20時〜23時)、インターネット放送「So-TV」で放映される。


ところで、日一日と春めいてきて、草花の芽が噴出してきた。ウッドデッキの補修とペンキ塗りも終わり、暖かい日差しと、我が家育ちのキジバト一家の来訪を待つだけだが、その隙をついて「友好国」の中国からは黄砂に混じったPM2・5が大量に届き始めた。
福岡や熊本だけでなく、関東一円も高濃度だったというから、発生元と親密な関係にある岡田元副総理には「やめるように」説得してほしいと思う。
そのためにいくら技術や資金を提供しても、党幹部の懐に入るだけ、PM2・5の削減には効果がないことは明白だから、事あるごとに厳重に抗議するのがいいだろう。
海自艦艇には15キロ以内に近づくな、と指示したのだから、PM2・5にも「日本に近づくな!」と岡田さんだったら指示できるのじゃないか?
今や一介の議員だが、肩書抜きの「個人資格で」どうぞ!


さて、忘れかけている3・11被災地特集をメディアが報じているが、あれから2年になるものの、現地はほとんど復興していない。3年余の民主党政権の罪は重いと言わざるを得ない。

そこで改めて忘れないためにも、私の部下がその後送ってくれた≪体験記≫があるので、皆さんにご紹介しておこうと思う。


彼はまだ現役の自衛官、私が三沢基地の飛行群司令時代の部下で当時3等空曹であった。
その後実家に近い松島基地勤務になったが、現在は家族を東松島市に残して、再び三沢で単身赴任をしている航空機整備特技の上級空曹である。
昨年3月に、この体験を忘れまいと綴った文章が私に送られてきたのだが、現役だから公表するのを控えていた。
その後問い合わせたところ、彼の上司も彼自身も、お役にたつのなら構いません、というので、2周年目になる今、非常に印象的なので、何回かに分けて公開しようと思った次第。ただし彼の実名は控えておくことにしたい。
彼が直接体験した事項だから生々しいが、そんな中にも自衛官らしい「ユーモア」が混ざっていて、震災直後の彼の率直な気持ちが伝わってくると思う。


「3・11体験記=其の1」
1 平成23年3月11日
 23年度の飛行時間も先が見え、年度末の休暇についても案が固まりつつあった。23年度最後の異動者も新天地での住居も決まり新しい年度を迎える準備が着々と進んでいた。
 異動者の送別会が基地周辺のホテルで行われる予定だったから、飛行訓練と平行して余興の練習にも熱が入っているようであった。
また、今日は私の甥の誕生日、専門学校を卒業し福島にエンジニアとして就職している甥にさらなる活躍を期待するお祝いメールも送ったごく普通の金曜日だった。


2 14時46分
 職場の定位置で通常の業務をこなし、本日の宴会まであと何時間かと逆算をしていたとき、「地震かな」くらいの揺れが発生し気にもとめなかったが一気にその振幅を増し職場の建物が歪むのがはっきり分かるくらいになった。
揺れの振幅が大きく遊園地の遊具での体験からすると、水平方向に2〜3mは移動している感覚であったが、揺れは収まるどころかさらに強さを増していく。
平成15年宮城中部地震のときは直下型で振幅の小さい巨大なバイブレーターの振動のような揺れだったのに対し、今回は中型の船に乗っているような水平方向に大きく揺すられるような感じであった。
「振幅の大きな地震震源地から遠い。」の経験からとうとう宮城県沖地震が発生したかと思い揺れの最中に携帯電話から自宅(東松島市)に電話をかけた。地震発生中なので配線が混んでつながらないことはないだろう。大きな揺れの中で机にしがみつきながら電話したが、何度かの呼び出し音がしたが出る気配はない。何事もない家族の声が出てくることを祈るように待つが、呼び出し音は突然プー、プー、プーの話し中に変わりそして突然に無音となってしまったから、震源地が宮城県付近であることを認めざるを得なかった。


3 家の中がメチャクチャだよ!
職場の書庫の扉が右に行ったり左に行ったり、ドアが開いたり閉まったりしているうちに電気が2〜3回点滅し、すべてが消えた。
それでも地震は手を緩めることなく振幅を強めていく。なんて長いんだ、誰かが叫ぶ声が聞こえたがそれが自分であったことを悟るのはだいぶ時間が経ってからのことであった。
 揺れが収まってきても、いつ揺れが止まったのかは分からず、船に酔っているような感じで、地盤が揺れているのか自分が揺れているのか分からない状態であった。
とりあえず揺れが収まったと感じた時点で職場の施設点検と航空機の状況点検の指示を出した。点検異常の有無が来るまでの間、妻の携帯に「異常の有無」を問うメールを送るが「送信されませんでした」の答えが返って来るだけである。何度やっても同様で、娘や姉、甥、姪に対して送った場合も同様であった。
 状況を確認するも、完全に停電のため情報収集のためのテレビが使えず、私はラジオも携帯していない。
部下の中には器材の軽トラについているラジオを付ける者、携帯のインターネットを駆使する者、携帯のワンセグでテレビを見ようとする者、様々であったがいずれも電波環境が悪く有効でない。
そんな中同僚の旧式の携帯でワンセグが繋がった。「震源宮城県沖、最大震度震度7三陸海岸大津波警報発令」コマ送りのようなワンセグを繋ぎ合わせ、推測するとこのようなことであった。
 そんなとき偶然に繋がったのであろう。妻から1件メールを受信することができた。
件名「なし」内容「家のなかがメチャクチャだよ」


4 とりあえず出発
 平成15年宮城県中部地震、平成20年宮城内陸地震のときは松島基地で勤務していたが、いずれの場合も指揮所が立ち上がると、家に戻ることができず家族の安否確認もできないまま拘束されてしまった。
(佐藤注:自衛隊の部隊では、予想される災害派遣などに備えて、“とりあえず”隊員を拘束する事が多い事を指している)

その経験から指揮所が立ち上がる前に基地を出ないと、外出どころか自宅に戻る1泊2日の時間を取ることは不可能になる。そう考えた私は隊長に「直訴」してすぐに家族の状況を確認してきます。と有無を言わさず許可を取りつけた。
 15時30分頃内務班に帰るとテレビの上の鉢植えが落ちていた。地震では落ちないよう粘着材で耐震?にしていたのにもかかわらず無惨な形になっていた。300km以上離れた地でこれだと現地はいかばかりかと感じた。
とりあえずへそくりで貯めていた現金5万円と寝袋と携帯ラジオをもって帰省を決行する。ゲートで止められたら一巻の終わりと思い、できるだけ早く出発した。
車の燃料は半分弱でガス欠まで走り続けたとしても200km程度だろうが、どこかガソリンスタンドが開いているだろうという安易な考えをラジオで流れる「ライフラインで最も早く回復するのは電力です」という言葉に背中を押されてとりあえず南下を開始した。
高速道路は閉鎖されているだろうと思ったがとりあえず三沢ICまで行くと通行可能だったのでそのまま進入したが次のインターチェンジで強制的に下ろされてしまった。これは一応想定の範疇だったので一般道で南下を開始することにした。   (続く)




≪たまたま届いた石巻警察署の奮闘ぶりをまとめた著書。
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再び、立ち上がる! ―河北新報社、東日本大震災の記録

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