軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

3・11体験記=其の4

昨日は兵法研究会の講演で靖国会館に行った。初夏のような暖かさで、境内は人出が多かったが、すれ違った3人の老婦人方が、「(英霊方は)今の世を見てきっと恨んでいるはずよ」と語らっていたのが妙に気になった。

今回は、私の個人的なパイロット体験談を語ったのだが、日曜なのに多くの方が聞いてくださり恐縮した。
今日の夜はまた、チャンネル桜の『ニコニコ動画』に呼ばれ、生放送で防衛についての意見交換に参加することになった。


さて今日は3・11から2周年である。届いた「警察官の本分(山野肆朗著:総和社)」で、石巻署員の生々しい体験談を読み、松島基地司令時代に密接な関係にあった当時の伊藤署長らとの交流を思い出しつつ、土地勘のある私としては署員らの活動ぶりが目に浮かび深く感動した。


さて、今日も元部下の体験記を紹介するが、彼もいよいよ東松島市の災害現場に飛び込んでいろいろな体験をすることになる。


【3・11体験記=其の4】


12 再び再び「一光」店員登場
 昼を過ぎてもラジオは絶望的な現状を伝えていたが、「東北自動車道道は緊急車両を除き全面通行止めとなっています。」といっているのが記憶に残った。
あと数Kmで滝沢インターチェンジなのにと、私は何を見るでもない焦点の定まらない目をして聞いていた。携帯電話を何度となく操作するがあれから発信、着信、送信、受信いずれもできなかった。バッテリーの残量も残り少なくなってきた。電力が回復しなければ充電はできなく、ただの置物になってしまう。大切に使わなければ。
 そう思いながら「一光」の事務所を見ると、店員がひっきりなしに携帯電話で話をしている。身振り手振りを加えているところをみると通じている様子で、他社の携帯電話は通じるのか?と思いつつもバッテリーがなくなったら他社でも同じだから大切に使えばいいのに、なんて余計なことを考えていた。


 地震から24時間が経とうとした14時を過ぎた頃店員が駆け寄ってきた。「あと何キロ走れます?」と唐突に聞く。エンプティー状態になってしばらく経つので残6リットル位だと思う旨伝えると「1リットル最低10キロ走ったとしても60キロは走れます。今から案内しますから付いてきて下さい。いろんなところに電話してガソリンを入れてくれるところが見つかりました。」
 事務所内でひっきりなしに電話していたのは私のためであった。バッテリーを大切に使えばいいのになんて考えていたことを大いに恥じた。ガソリンスタンドの営業終了を示すロープだけでは国道を走る車が止まり中を伺う。そんなことが何度もあるので給油はできないことを如実に表すため出入り口に店員の車やドーザーなどをバリケード的に一列に並べていたが、そのうちの1台のトラックを引っ張り出し、抜けた空間を調整するためその他の車両を少しずつ調整している。


13 一路山道へ
 トラックの荷台に携行缶を放り込み店員は「付いてきてください。」といって走り始める。方向は南方向、逆方向でないことに感謝した。久しぶりに走り出した感覚に喜びと安堵感に包まれ、流れる風景がものすごく新鮮であった。
滝沢から国道を若干離れた方向の西側に進路を取る。盛岡市内をバイパスするのか?と思いながらトラックの後を追走する。
「盛岡インター左折」の標識を直進し、さらに走行して盛岡南インター左折の標識も直進する。
相変わらず町に人工的な明かりはまったくない。更に走り続けもう1時間近く走っている。本当にガス欠になったらクラクションをならして店員に教えようか、などと腹案を持つがその先はどうする?などと考えているうち町並みはすっかり消え雪一面の農村地帯になっていた。
紫波インター左折」を更に直進する。店員を信じてここまで付いてきたが本当に大丈夫か、と疑念がわき上がる。もうすでに40km以上走っている。当初の計算ではあと20kmまで走れない、と思ったら今度はいきなり右に曲がる。その道はセンターラインがなく車がすれ違うのがやっとである。
更に坂道を登る。絶対にガソリンスタンドはない。道を間違ったか、からかわれているかと怯えに似た腹立たしさがこみ上げてきた。すると目の前が突然開けた。
そこには山道にはそぐわないクリーム色の大きな建物、大きくはないが舗装された駐車場もある。そばにガソリンスタンドの看板もある。店員はトラックを駐車場に止め降りて私の車に近寄ってきた。
「ここは紫波のサービスエリアです。ここは非常用発電機が備わってますからガソリンを汲み上げることができるんです。高速道路は緊急車両しか通れませんから一般道を来ました。なんとか保ちましたね。この車褒めてやらないと。」


14 念願のガソリン補給
 駐車場はサービスエリアで働く従業員用のものであり、従ってここから車でサービスエリア内には進入できない。店員はトラックの荷台から20リットルの携行缶をもってガソリンスタンドへ小走りで進んでいく。直線距離にしても100mはあるだろうか。私はただ見ているだけである。しばらくすると単純計算でも20kgはある携行缶を持った店員がこちらに向かってくる。
体を左に湾曲させ右手に携行缶を持ち、吐く息が煙のように短い周期であがる。持ち手を右に替え左に替えこちらに向かう店員を見ると20リットルのガソリンを1万円で買ってもいいと思った。
あまりのありがたさに涙が出る。何か手伝うことはと考えたとき、やっと燃料キャップが開いてないことに気付き、運転席に廻りまた燃料キャップに廻りとうろうろしているうちに店員はすでに到着し、携行缶にノズルを装着し補給できる体勢になっていた。
 携行缶のエア抜きのバルブの音がシューとする分確実にガソリンは入っていることが実感できた。
「20リットルあれば十分にここから自宅付近までは帰れます、本当にありがとうございます」と礼を言うと「こんなときはガソリンも腹も一杯じゃないとダメだ」と言ってくれた。そのとき紫波サービスエリア内ガソリンスタンドの店員が別の携行缶を持って息を切らせて後にいるのに気が付いた。更に20リットル追加してくれたのである。まさに命の「ガソリン」である。


15 娘さんはきっと無事だよ
 ガソリンはほぼ満タン。この状態に感動して放心していると店員が「ちょっと付いてきて」といって売店の方に歩き出した。売店の電気は消え自動ドアも動かなかったが非常用発電機でお湯を沸かし、かけ蕎麦を作っていた。
「警察のためにとりあえず作っているんだって」といって蕎麦をごちそうしてくれた。1日ちょっとの間だけの断食だったが、暖かい食べ物にものすごい懐かしさを覚えた。
売店を出るとき更に非常食用であろう2個入りのおにぎりのパックを2つもらってくれた。そして「娘さんはきっと無事だよ。腹減ってたらかわいそうだからこれでも食べさせてやって」と言ってくれた…

 車にもどりガソリン代の支払をしようと思い店員に金額を尋ねた。限りあるバッテリーの携帯電話でこの場所を調べてくれ、さらにここまで連れてきてくれた。店員は今来た道をまた戻らなければならない。その燃料代も含めて携行缶1缶で1万円計2万円でもやすいと思った。出発するときにとりあえず持ったヘソクリで十分にまかなえると私は準備していた。
すると店員は「125円の50リットルで丁度5000円です。」と言う。いままでのご迷惑とここまでの案内代トラックの燃料代も含めて、と少しでも多く取ってもらおうとお願いしたが、「私はガソリンしか売ってませんから」といって一向に受け取ろうとはしなかった。「さあもう出発しないと、さっきの道まっすぐに南下すれば平泉の4号線に出るから」とむしろ私がせかされて出発した。
ありがたくて、ありがたくて涙が出てきて前が見えなくなり途中何度も道ばたに停車して涙をぬぐった…。


16 被災地進入
 国道4号線に入るまでは特に道路の陥没箇所もなく順調に走行できた。信号は一つとして機能しているものはなかったが、交通量の絶対数が少なく、横道から入る車の方が十分に注意して進入するため特に危険な状況はなかった。
平泉から4号線に入って南下を続けると橋桁と道路に段差があったり、歩道が波打っているところが目立ってきた。
宮城県に入ってからは更に顕著になる。金成からは、4号線から南東に向きを変えて県道にはいると、歩道からマンホールが突きだしていたり、路肩が崩れていたりするところが目立ってきた。
佐沼の町にはいると崩れた家も出てきた。震源地に近くなってきた感じがしてきた。道路は所々段差があったりひび割れがあるが特に走行に支障はなかった。


 交通量が少なく信号で止まることなく普段より順調に走行していたが、国道108号線にぶつかるT字路手前で突然に渋滞となった。まったく流れていないわけでもないが1分間に車1台程度の進み具合である。車のラジオからは緊急地震速報の警報音が鳴る。
今まで何度も鳴っていたが走行中なので体感することはなかった、この状態でははっきりと体感することができる。
やっとT字路に到達する。T字路ではあるが実際は国道108号線を横切って車1台が通れる位の路地がある十字路である。この路地を通ると自宅までの裏道になっているので直進することを決意する。
信号機は機能していないが国道側が1台通過すると私が待っている側の車を1台入れてくれる。中には絶対に入れてやらない、と道を譲らない車もあったが許容の範囲である。


 やっと私の番になって直進する。結構ポピュラーな裏道であるのに誰も通らないことに不安があった。よく考えるとこの道の先には、10m位の農業用水路を渡たる橋を通らなければならない。その橋は古く小さく欄干もない。もしかしてあの橋が落ちて渡れなくなっているのではないかと不安がよぎる。
 戻るかどうか考えているうちにその橋の直前まで来てしまった。18時を過ぎてだいぶ暗くなりライトに照らし出された橋は壊れている様子ではなかった。
ほんの何秒であったろうか、渡るか渡るまいか「ONとOFF」を頭の中で何度も繰り返したが、意を決して渡ることにする。
10m足らずの長さの橋を車のクリープ現象でゆっくりと渡り始める。少しでも軽くなるようにハンドルを持って立ち上がるようにして腰を浮かせる。こんなことやっても絶対重量は変化しないのは分かっているが何となくそんな格好になる。
橋の落下による強い衝撃が来てもいいように心の準備をしながら、大丈夫かな?と思ったときにはもう渡り終わっていた。
その先も土手が崩れていて車がやっと通れるようなところが何箇所かあったがとりあえず東松島市の境界線を越えることができた。(続く)

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