軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

3・11体験記=5

3・11,2周年の追悼式典で、天皇陛下は哀悼の意を述べられたが、とりわけ『この度の大震災に際して、厳しい環境の下、専心救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、多くのボランティア、そして原発事故の対応に当たった関係者の献身的な努力に対し、改めて深くねぎらいたく思います』というお言葉で健闘した関係者をねぎらわれたのは感動した。
続いて、「この度の津波災害において、私どもは災害に関し、日頃の避難訓練津波防災教育がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、これから育つ世代に伝えていくことが大切と思います。今後とも施設面の充実と共に、地域における過去の災害の記憶の継承、日頃からの訓練と教育などにより、今後災害の危険から少しでも多くの人々が守られることを期待しています。危険な業務に携わる人々も、この度の経験をいかし、身の安全が確保されることに工夫と訓練を重ねていくよう願っています」とのお言葉は、我田引水だが、「有事に備える」心構えの大切さを、“極楽とんぼ”化した指導者にご注意あそばされたのだと感じた。


ところがこの大災害時の首相であった菅直人元首相は11日に、米ニューヨークで開かれた東京電力福島第1原発事故関連のシンポジウムにビデオメッセージを寄せ「最悪の事態と紙一重だった。神のご加護があった」と振り返り、「原発ゼロを実現することこそ最も安全な原子力政策、エネルギー政策だ」と訴えた、という(産経)。
「菅氏は、より多くの原子炉や使用済み燃料プールが制御不能となり、首都圏を含む5千万人規模の避難が必要になる『最悪のシナリオ』があったと指摘。現実になっていれば『避難過程でも多くの犠牲者が出ただろうし、その後、日本は国としての機能を長期間にわたり十分果たせなかった』との見方を示したそうだが、無責任極まりない。
「その上で『核兵器原発はいずれも人間と共存することが極めて難しい技術』と強調。風力、太陽光、バイオマスといった再生可能エネルギーを拡大し『最終的には原発を使わない、化石燃料も必要としない』社会の実現を目指すべきだ」そうだが、自称核技術の第一人者だそうだから、大いに期待しようではないか!

こんな“極楽とんぼ”に縋りつかれるか神様は大変だろう。きっと「ご加護」ではなく「ご過誤」だったのじゃないか?


昨夜は、ニコニコ動画に開設される「国防・防人チャンネル」の開局記念生放送に呼ばれ、井上和彦氏の司会の下、水島代表のあいさつ、濱口和久・拓大客員教授、倉山満・国士舘大講師、それに女優の鳳恵弥さんのアシストで、約1時間半、忌憚のない国防関連“放談”をしてきた。

夜の10時半過ぎに終わったので、僻地に住む私は渋谷から急ぎ帰宅したが京王線は急患発生とかで遅れている。
明大前から特急に乗ったのだが、なんと千歳烏山で臨時停車、今度は先行の特急が先の踏切で事故に遭ったという。
吊革につかまって読書していたが、開放された扉から冷気が入ってきて寒い。午後0時過ぎに車掌が各車両1扉だけ開放にしたのだが保温には程遠かった…。しかしお蔭で「警察官の本文(総和社)」を読み終えた。事故現場の現場検証に時間がかかっているというアナウンスが数分おきに繰り返されたので“読書妨害”だったが…。
停車後1時間10分すぎた0時半近くに漸く運転再開になった。ところが「特急」が「各停」に格下げになったため、駅に着いたのが1時過ぎ、家内が心配して車で駅まで迎えに来てくれていたので大感謝!!


老兵は毎日がサンデーだから構わないが、乗客はほとんどがサラリーマンだから、帰宅してもほぼUターン状態で出勤になるだろう。
たった一人?の不心得者のために、多くが甚大な迷惑を被ることは許せないことだと思った。それにしても日本人は実に紳士・淑女だと痛感した。誰も一言も文句を言わず、粛々と『スマホ』を眺めていた…

昨年末にカナダから北京に戻ったKJ君だったらこうはいくまい。Kill JAP!!と大騒ぎだったことだろう。
もっとも今月初めに、彼は空気がきれいなカナダのトロントに“脱出”したようだが・・・


さて、元部下の体験記を続けよう。

「3・11体験記=5」


17 自宅周辺
 JR仙石線の踏切が遠くに見える直線道路まで進出したが、コンビニと信号機は全く機能していない。ラジオのニュースでは津波による被害が各地で起こっているという報道が頻繁になされていたが現時点ではその光景は見られない。すぐそばを犬を連れたご婦人が散歩している!妻の電話は何かの勘違いだったのではないかと願った。
 携帯電話の白赤アンテナの鉄塔が直ぐそばにあったからだろうか不意に携帯電話のメールが鳴る。内容は“不審者と見間違うような甥”が高校から長女を引き渡してもらい仙台近郊の姪の家に避難完了したという内容だった。
娘がコンビナート爆発炎上の炎にも、行方不明のJRにも乗らずに難を逃れたありがたさに、携帯電話を放り投げ車内で跳び上がろうとしたが、みごとシートベルトに阻止された!。あとはモモ(飼い猫)だけだと思いながら踏切に向かって一直線に進む。
 いつもと変わらない風景が踏切の手前約500mで突然景色が変わった。横一線に葦の線が発生し、海水浴場の満潮線に流れ着く葦の線と同じ様相である。そこに普段あるはずのない発泡スチロール、バケツ、定置網の浮子など数え切れない数が放置してある。まるで葦の線をオフサイドラインに見立てたサッカー選手のようである。
オフサイドライン”を越えると家具や洗濯機、冷蔵庫などが散乱している。道路上は突然に泥に覆われ車の進行にすごい抵抗になる。
 踏切の遮断機は流されて喪失しているが、道路交通法にならって「一時停止、左右確認」すると線路が飴のように左右に曲がるとともに上下に畝をなしている。さらに線路上におびただしい数の車が重なっている。流出した車が少し高い線路に引っ掛かり止まったところにさらに次の車がせり上がり押し倒したであろうことが見て取れる。
踏切を渡ると1mはあろう葦の山が左右に交互にできている。この山を縫って進むと道路が陥没しそこに大型トラックがはまりこんで横倒しになり車の腹をこちら側に見せている。
 ようやく国道45号線に出て左折する。道路上にはたくさんの車が放置してある。横倒しやひっくり返っている車、車の上に車が重なっているもの、さらにそれに葦が覆い尽くしている。まるで植物の葦が知能を持ち車を呑みこもうとしているように見える。中には“電柱にすがりつく車”も何台もある。そのほかに家具、犬小屋、電化製品などが散乱する。これらをハンドルをロック・ツウ・ロックで、かわしきれないところはスイッチバックで何とかかいくぐる。国道45号線から自宅方面に路地にはいると状況は更に悪化する。通常の経路を進むと突然にマンホールがそびえ立っているから、第2案を進むと今度は家が完全に向きを変えて道路を塞いでいる。これ以上の接近は無理と判断し近くのコイン洗車場に車を止めた。


18 自宅到着
 エンジンを切りドアを開けると凍えるような寒風が車内に入ってくる。車内はヒーターが効いていたため気にしなかったが外は雪が降る真冬である。一歩外に足を踏み出すと短靴が泥に沈む。底に付く気配はなく、あっけなくくるぶしまで沈み靴の中に泥が入ってくる。泥の冷たさが足から順次頭に向かってしびれるように伝わってくる。
その冷たさは、チョコレートシェークに足をいれるとこんな状態だろうという感じで、最終的にはすねまで泥に沈んだ。このままでは歩くこともままならないのでトランクから除雪用の角スコップを取り出し自分の前に出し泥を押してアスファルトが出たところを歩くことにした。
表面がシャーベット状になった泥を押すとドブのようなヘドロの臭いが立ちこめた。モモはこんな冷たい泥に巻き込まれて死んでいったのではないかと胸が痛んだ。スコップと地面が擦れるジャラジャラという音が人影も人工的な明かりもない町に反響して帰ってくる以外一切音はない。近所のそろばん塾の前をとおる。普段この時間は小学生の声と送り迎えの母親の姿であふれかえる所だ。送り迎えの車の駐車マナーが問題となり「駐車には配慮を」の看板が立っているが、その看板を押し倒すように車がつっこんでいる。
 最寄りの小学校が見える。妻と次女はここの3階音楽室、たしかあの辺にいるはず、と目をこらすが夕闇に明かりは見えない。しかしとりあえず安心と通り過ぎる。
 しばらく進むと自宅が見えてきた。昨年リフォームして外見は新築なみになった外構が軒下から“ツートンカラー”になっている。最新式のエコキュートは斜めになっているが崩壊はしていないようだ。モモさえ助かれば家も車もいらないからと神頼みをしつつ家に近づく。


19 △○○△
 「モモ、モモ」と声を掛けながら敷地に入る。倉庫はひっくり返り、縁台は立ち上がり家の壁には葦がびっしりとついていて家の廻りは30cm程の泥が埋め尽くしていてその泥だけに数個穴が開いている。よく見ると猫の足跡であった。
家から一歩もでたことのないモモが帰ってきたのか。家のサッシは少し開いている。妻が避難する際、火事場泥棒のような輩がいることを知りつつギリギリの判断でモモが帰ってきてもいいように開けていったのだろう。
縁台を蹴倒し踏み台にして家の中をのぞき込み、「モモ、モモ」と連呼する。家の中は泥だらけで家財道具の区別がつかないので、どこに焦点を定めていいのかわからない。視野の隅に三角形が2個まん丸が2個あるがそれがモモの耳と目であることを認識するのにしばらくかかった。
 「モモ!」と突然テンションがあがる。玄関に廻り戸を開けると下駄箱が倒れ込んでいるが、容赦なく踏みつけ家の中に入る。家の中は家具の上に畳が覆い被さる格好になっている。浸水する際、窓からの水と床下からの水が一気に入ってきたのだろう。畳が家具を上に載せたまま浮き上がり、バランスを崩した家具がひっくり返り水中に沈む、長い時間かけて水が引いた後畳が最終的に家具の上に覆い被さる。そんな状況ではなかったかと思う。そんな中モモはこたつ布団が窪んだところで丸くなっていた。「車も家も全部くれてやる、神様ありがとう。」


20 国道45号線
 日が暮れてきているので早く救出しなければ、と思いモモの通院用カゴが倉庫に入っていることを思い出し一旦外に出る。倉庫はひっくり返っている。普段目にすることのない床下が側面になり、扉が上を向いている。普通なら「なんてこった」となるがそのとき私は「ラッキー」と確かに言った。もし扉が下になっていたらカゴを取り出すことはできなかったからだ。床板の桟に足をかけて通常下の敷居に手をかけてよじ登るが敷居には雪が積もっていてものすごく冷たい。よじ登った後扉の上に乗るとひしゃげてきたし、扉を開けることができないため体重を敷居などに分散させ何とか扉を開ける。中は水で溢れていてもし、落ちたらと恐怖感がわき上がるが、カゴは比較的簡単に見つかった。
 モモは相当怖い思いをしたのであろう私を見ても「フーフー」と毛を逆立てて威嚇する。有無をいわさずカゴに押し込め車までの帰路につく。右手のスコップで泥を押しながら左手でカゴを持ち進む。さっきかき分け窪んだ線をなぞるようにスコップでかき分ける。少しでもずれるとスコップが左右にぶれて片手では進まなくなる。
 車に戻りとりあえずヒーターを自分の足下に吹きかけ温めるが感覚はない。来た道を戻り国道45号線に出て仙台方向に進む。葦の山がいたるところにあるが、何台か車が通った跡があり比較的楽に進めた。しかしライトに映し出された光景は映画のセットさながらである。JR仙石線と並行して走る直線道路に来ると葦の山と放置された無惨な車の数が増えてきた。ガードレールが流れ止めになって様々なものが大量に留まっている。葦が一面に広がり道路が見えない箇所に来た。20m程行けば道路が見える。なんとかいけるだろう「この車は4駆だぜ」といってトライするも5mも行かないところでスタックしてしまう。しまったと思い戻ろうとしてもタイヤが空転して完全にスタックしてしまう。このまま付近に並ぶ放置車両になるのかと無力になる自分を、モモを置いていけるか!長女が待っている!。「がんばれお父さん」と自分に言い聞かせトランクからスコップを取り出して葦を取り除こうとするが、除雪用の角スコップのため葦の山に刺さらずに上を滑るだけで役に立たない。素手で葦をつかみ少しずつかき分ける。かき分けたところをきっかけにスコップを差し込み力任せにひっくり返そうとするが葦が絡み合って一枚の板のようになりなかなかいうことを聞かない。
なんとか一区切りをつけて移動することを何度も繰り返す。車一台下がれるくらいの道ができたのでバックを試みるが、車の下の葦が抵抗してタイヤの空転を繰り返す。車の下から葦をつかみ引っ張り出そうとするが一本ずつでないと絡まり合って出てこない。完全には取れないが埒があかないので再び試みる。
タイヤの空転は同じなので前進と後退を交互に繰り返すと少しずつタイヤがグリップし始めたので、そこをきっかけにして一気に後退する。四つのタイヤが順番に空転している感じなので四輪とも空転しないように気を付けながらアクセルを踏む。少しずつ後退する車をがんばれがんばれと応援する。もう少しと思った瞬間四輪が一気にグリップしハンドルに顎をぶつけるくらいの勢いで後退し始めたのでパニックブレーキで車を止めた。
「助かった」と安堵する。   (続く)

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