軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

復興支援隊(その2)

高齢者運転講習を受けて以降、今までのような≪青年将校並み≫のドライブは回避しようと思っているが、聊か疲労したので昨日午前に診察を受けたところ、肉体関連は異常なし!
多分、昔の古巣周辺の惨状を見て、気分が滅入っただけなのだろう。
安心して夜の岡崎研の会合とフォーラムに出かけた。

安倍元首相ら政治家多数、報道関係者らが“呉越同舟?”で参集して会場は熱気あふれるものだったが、さて、菅総理の不信任案を提出するそうだが、万一否決されたら元も子もないのじゃなかろうか?逆に“敵”に塩を送ることになりはしないか?と気になった。

ところが今度は、終宴後いつもの渋谷経由ではなく新宿経由にしたところ新宿駅が混雑している。電源チェックで電車が一部不通だというから、経路をチェックして直ちにJRで渋谷に戻り明大前まで出た。
しかし、本線は不通ではないが、「各停」のみだという。普段の倍以上かかって帰宅したが、都心を離れると何かと不便なもの、3・11の帰宅難民の苦労の一部を体験した。


さて、昨日の続きである。
29日、早めに宿を発ち再び仙台南部道路に入って北進した。廃材運搬用の大型トレーラーや、物資輸送のトラックが目立つ。路面が荒れているからか雨天のせいなのか、車両は皆「安全運転」である。道路公団、警察車両と頻繁にすれ違ったが、いかに管理に気を配っているかの証拠だろう。
右手に見える仙台港方面はやはり津波の被害が残っている。
東松島市に近づいたところで、一台の装甲車とすれ違ったのには驚いた。今までは見られなかった光景である…

鳴瀬奥松島ICを出て、45号線で懐かしい矢本町(現東松島市)を通過したが、海側は津波の爪痕が激しい。ダンプカーや、工事関連のトラックが多かったが、町は汚泥を除去したばかりだという雰囲気だった。しかし、市民の生活は着実に復旧しつつあると感じた。
毎年、航空祭前夜祭には恒例の「カーニバル行列」で熱狂する裏通りもひっそりとしていたが、着実に復旧の意欲が感じられた。


右折して基地方向に向かうと、隊員が隊舎屋上から撮影した津波の映像を思い出した。外柵は強烈な力で倒され、未だにごみ類が絡まっている。策の中の基地内では隊員たちが瓦礫の始末をしていた。
ブルーインパルス機以外の全航空機を失った航空基地…。
フィリピン戦線で、航空戦力を失って山岳地帯でゲリラ戦を展開した航空部隊指揮官・大西中将を思い出したが、さて、広報館に展示してあった「大西中将の制服」はどうなったか心配になった。従卒だった山本長三氏が寄贈されたものだったが…

≪広報館に展示されていた大西中将の制服≫


一声、慰労の言葉をかけたかったが、それは無責任、物見遊山の旅ではないので、基地機能が回復した後に改めて訪問することにして通過した。

≪3・11当日水没した松島基地=インターネットから≫


正門前の道路には、車両や船が横たわっていて津波の力を見せつけられたが、この一帯は動画で「津波が来る〜走れ〜、急げ〜逃げろ〜」と避難する人々に隊員たちが絶叫していた地帯である。
一面の田んぼはがれきで埋め尽くされ、陥没が激しい道路にはダンプカーが行き交い、復旧が急ピッチで進められていたが、先は通行止め、左折して45号線に戻らねばならない。田んぼの中のガタガタ道に自衛隊の車両が4台止まっていて、隊員たちが田んぼで懸命に遺体捜索をしている。下半身ずぶ濡れ、田んぼの土手の下の土管に潜り込んでいる隊員もいる…

≪正門周辺の田んぼに残る残骸の一つ≫


路上では消防団、市の職員、警官らが捜索の打ち合わせ中である。
この一帯の住宅街は地震津波被害で惨状を呈している。このあたりは大曲といい、旧矢本町でも一番の被害が集中した地帯で、無事だった元部下が住宅が流され、「家族は無事でしたが、司令に頂いた色紙は流れてしまいました」と電話をくれた地域である。亀裂が走る道路に多くの水たまりができ、前方を走る地元の方の車も水たまりにタイヤをとられながらのろのろ走る。
45号線に出て、昔走り慣れた道を進んだが、かすかに昔の面影を残すだけである。


途中で398号線に入り石巻駅方面に向かったが、道路わきの店舗は営業していて車の往来も多くなった。石巻警察署周辺は間一髪被害を免れたところらしい。
駅周辺の大型商店は営業していたが、昔からの商店街はまだまだ無理のようであった。仙石線石巻線も不通でJRも止まっているはずだが、踏切ではみなさん几帳面にも一旦停車するから、私も従った…
ひび割れや陥没がひどい石巻大橋を左折して192号線に入り、旧北上川沿いに北上したが、この一帯は地盤沈下が激しく、川面が道路に接しているのでガードレールがなければ、川に突っ込む恐れがある。この一帯も地震津波の爪痕が深く残っていたが、何よりも地盤沈下による冠水が、今後の住民生活の大きな障害になることだろう。

旧北上川の水面に接する道路≫

こうして回り道して、拙著「実録・自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO」で一部ご紹介した神社につき、お祭りに参加したが、小雨降る中、100名を超える方々が、お礼参りに参集していた。神社は一部鳥居のヒビを残して復旧しており、不思議なことに雨も小ぶりから霧雨程度に落ち着いた。


氏子の方々の大半が自宅や事務所、店舗を失って身一つである。
女川に住む氏子総代は、会計事務所が崩壊、自宅も流出し、家族はバラバラに生活しているが、本人はいまだに避難所暮らしで「私の専有面積は畳一畳半です」と元気だった。彼は子供も独立したので、今後事務所は閉める、と決心していた。
女川原発建設当時、やはり東北電力関係者は原発の安全性を強調するだけだったそうだが、地元が津波を警戒する様に要望し今の場所に建てた。しかしそれでも今回の津波は90cmまで迫って間一髪だった、と言った。
原発・箱物建設反対者たちも、今回は原発を避難所にして生活しているというから皮肉なものである。
彼は市役所職員不足なので自ら応援を買って出ていて、月に一度、畳一枚の“ご寝所”から夫人の郷に戻る、お公家?のような生活だという。


私の墓を建ててくれた東松島の石屋さんは、自宅は流されたが、店舗2階が残ったのでそこで生活しているという。墓石が動いたことを伝えると、「動いた!?」と一瞬匠らしい無念そうな表情をしたが、「お盆前までには何とかする」と言ってくれた。多忙なこの時期である。「手の空いた時でいい、福島は昨日は1・6マイクロシーベルト/hだったから、その立派な頭髪がなくなるよ!」と忠告すると、「じゃ、放射能が低い時に福島に行こう!」と髪を掻揚げながら笑った。

大祭が終わり、御神前で立って皆さんに挨拶していた12時10分ころ、突如地鳴りがして、足の裏をハンマーで「ガン!」と叩かれたような衝撃があった。
直下型の余震である。皆さん一瞬緊張したが「これは私のせいではありませんよ!」というと、笑い声が上がった。

多くの方々のご無事な笑顔にこちらが救われた気がしたが、政府のばか騒ぎにはうんざりどころか、完全に無視する雰囲気が強かった。
「だって、自分らには生活がある。政府の言うことは全く信用できないし、期待もしていない。第一、議員同士のお誕生会などで気勢を上げている神経がわからない」と男性陣は皆不快感を示していたが、これこそ“政治家として自粛”すべきだったろう。


奥さん方の中には「正直言って、生活費が底をついてきました。お互い我慢し譲り合っていますが、義捐金はどうなっているのでしょうね」とこっそり言う。
「日赤はいつもは9%ピンハネしているそうですが、今回はしないとか言っていますよ」というと、絶句していた。

帰路、石巻市内の大型スーパーに「復興支援買い物」に立ち寄ったところ、店内は活気にあふれていた。たまたま知り合いのご婦人に会い「皆さん本当に明るく、驚きました」というと、「地震直後、津波被害で地獄に放り出されたような状態のときは、何でここだけが…、と恨む気持ちだった。全くほかの状況がわからなかったからで、10日ほどたって避難所に届いた新聞の号外を見て、うちだけじゃなかったのか、と妙に安心した気持ちになった」と言った。
そして小声で「みんなが同じ苦境に立っているから、奇妙に安心したのじゃないかと思います。みんな平等だ、ゼロからの出発だという気持ちになった」と言ったが、正直な感想だろう。
足の不自由なご老母と買い物のようだったが、やはり貯金が少なくなってきている様だった。政府は≪会議、会議…≫ばかりで時間を空費しているが、「国民のため…」など空虚な答弁をする暇があったら、速やかに義捐金の一時支給を始めたらどうだ?
ささやかながら義捐金を出した者としては、いつまでも関係機関があずかっている神経が理解できない。私は県の対策本部に直接送ったからまだ気分はいいが、報道機関や各種機関に出した方々はおかしく思っているのじゃなかろうか?
まさか関係機関が利子を貯めようと思っているわけじゃあるまいに…
店内で石巻の地酒を買っていたら、突然「司令じゃないですか?」と声をかけられた。振り向くとブルーインパルスの“ナレーター君”であった。
すでに17年以上経つから、立派な幹部に育っていたが、帽子をかぶって変装している私を、それも後方からよく「識別」できたものだ、と驚いた。
彼はジャージー姿で震災以来初めて休みが取れたらしい。「こんな格好で…」と気にしていたが、杉山司令以下、みんなの奮闘に感謝し、航空祭が復活したら改めて訪問すると伝えてくれるよう頼んだ。
基地周辺には、お世話になった方々が大勢いるので、一人だけでもお見舞いを…と思ったが、それじゃ後がつらい。このままずらかることにした。

幸い?雨天だったからホコリは立たなかったが、一面に海の香りとヘドロの匂いが漂っている。これから梅雨に入る。80cmも地盤が沈下した一帯では、冠水が続き、天からは雨…、何とも不健康になりやすい環境になる。何とかしのいでほしいものだと思う。
午後3時過ぎ、石巻を出発して三陸自動車道を南下して東北道に入り、福島の高湯温泉に向かった。(続く)
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≪友人から届いた新著の紹介≫

   

1、「絵具と戦争:従軍画家たちと戦争画の軌跡」  
単なる絵画集ではなく、大東亜戦争の真相を知る上での貴重な著作
  溝口郁夫著:図書刊行会刊=¥2000+税



2、「ブルーインパルス=大空を駆けるサムライたち」
  ブルーの歴史を克明にインタビュー構成した労作
  武田頼政著:文芸春秋刊=¥1714+税




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