軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

要注意!中国の対日工作先鋭化

今朝の産経一面の湯浅博記者による「 中国の弱点暴く知恵(くにのあとさき)」は示唆に富んでいる。
≪米国を震撼させたハッカー攻撃の本拠地は、ご存じ、上海の中国人民解放軍傘下の秘密工作チーム「61398部隊」だった。今年1月、温家宝前首相の怪しげな個人資産を暴露した米紙ニューヨーク・タイムズハッカー攻撃にさらされ、かえって発信源を逆探知できた。
もっとも、米研究機関によると、この部隊は中国の信号情報を扱う“シギント”のスパイ網12局のうちの第2局でしかない。日本を攻撃しているのは、青島にある第4局の「61419部隊」であるという。しかも、これらサイバー戦に、13万人が従事しているというから常軌を逸している。
機密情報を盗むだけでなく、水道、電気、交通などライフラインを攻撃する気であるらしい。(中略)
…昨年5月にスパイ疑惑が発覚した中国大使館の前1等書記官はこれにあたるだろう。直接の容疑は外国人登録証の不正取得だが、実際にはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に参加しないよう農林水産省に働きかけた節がある。(中略)
…ちなみに現在、自衛官の外国人妻は800人を超え、その8割が中国系だというから驚く。
こうなると、戦争の定義は大きく変わる。19世紀の帝国主義時代や20世紀の核時代とは別の時代局面に入ってしまった。中国には、かの心理戦、世論戦、法律戦の「三戦」があり、沖縄県尖閣諸島が「歴史的に中国領」などとウソを連ね、問答無用で攻め立てる。(中略)
…研究会の主題は「中国に如何に向き合うか」。
お決まりの方法は、中国に国際法を守らせ、日米同盟で抑止を図り、挑発しないこと。だがチベット出身の桐蔭横浜大学教授のペマ・ギャルポ氏は「彼らに法治意識なし。国際法は都合のよい時だけ守る」と具体例を挙げた。
すかさず立命館大学教授の加地伸行氏が、中国の弱点は石油と食糧と水の不足にあると突く。
日本は石油ショックの経験から、約半年分の石油備蓄がある。ところが中国は、「石油がほぼ1カ月分しかないから、そう簡単に戦争はできない」と継戦能力の欠如を見通した。
しかも、耕地面積の少ない中国は小麦を輸入に全面依存しているから、「小麦を買い占め、価格をつり上げよ」と加地先生の鼻息は荒い。水不足はさらに深刻で、北西部は雨量が少なく、地下水は限られ、人工降雨計画を模索するほどだ。水を求めて、日本の水源地買収まで策しているとの情報も飛び交う。
問答無用の軍事大国に対しては、手を出せば返り討ちにする「強い日本」になることは当然として、中国の弱点をあぶり出す知恵の出しどころである。≫


日本人は「情報戦」に極端に弱い。戦後台湾に逃亡して、西安で自ら裏切った蒋介石の庇護下に入った張学良も、情報戦に弱い日本を嘲笑っている。

さて、その中国の弱点だが、地政学的に見ると、大陸国・中国は、万里の長城に代表されるように国境警備が弱点であり、常に周辺諸国の情勢に臆病なほど敏感である。
私はソ連崩壊後に、我が国は直ちに中国包囲網を形成せよ、と「国際軍事関係論(かや書房)」に書いたのだが、15年たって漸く安倍首相がこれに取り掛かったようだ。

≪首相外遊、5カ国目はモンゴル 対中戦略、外堀から着々=産経から≫


中国の弱点は軍にもある。前出の「くにのあとさき」欄で、立命館大の加地教授が語っているように、現在の中国は、仮に尖閣を奪取しても、その後継続して尖閣諸島を維持し続ける能力はない。

そこで中国がとるであろう方策は、彼らが最も得意とする「間接侵略手法」である。
中国の対日戦のバイブルであった「第2期対日工作」はほぼ完遂し、今や第3期に入っている、と私は警告してきたのだが、それは「民主党政権」が成立した段階で完成の域に入った。
習近平“次期主席”を天皇に引き合わせた御仁は、数百名の団体を引き連れて北京詣でをして、朝貢外交の先駆けを演じ、日本国民のヒンシュクを買ったが、これは“1000年の負のDNA”が彼にそうさせただけであった。


そして先日「南京で黙とうをささげた」ハトが政権の座につき、中国は念願だった対日工作が完成したと錯覚した。そして次は皇室を破壊するだけだ…と策を練り始めた。
ところが3・11で、世界中が日本を注目し、偉大な民族だと感動したのである。しかも米軍は直ちに救援に出動した。

その後「手下」だった筈の民主党政府は、次々に馬脚を現したので、何とも頼りない“紅衛兵”集団だと中国政府は認識した。ところがこれで日本人は目が覚めたのだ。その証拠に、彼らの工作ぶりを次の外務省HPで見るがよい。


「李小林・中国人民対外友好協会会長による野田総理大臣表敬について:平成23年11月24日」

≪本24日(火曜日)午前9時頃から約20分間、野田佳彦内閣総理大臣は、李小林・中国人民対外友好協会会長による表敬を受けたところ、やりとりの概要は以下のとおりです。なお、日本側から、齋藤官房副長官、山口外務副大臣、長島総理補佐官他が同席しました。

冒頭、野田総理大臣から、李会長の来日を歓迎し、本年9月の会長職への就任への祝意を表した上で、先般、ホノルルAPEC胡錦濤国家主席ASEAN関連首脳会合(インドネシア)で温家宝総理とそれぞれお会いし、中国の発展は我が国にとりチャンスであること、日中関係の強化は両国のみならず、地域、世界の平和、安定及び繁栄にも資すること、来年の日中国交正常化40周年という大きな節目を契機に、両国関係を更に強化したい、また、昨23日に玄葉光一郎外務大臣が訪中したところであり、自分(総理)も年内に訪中したい旨述べました。
さらに、自分(総理)は1984年の日中青年友好交流3000人訪中団をきっかけに中国との縁をもったので、自分(総理)は日中交流の申し子である、来年の日中国交正常化40周年を契機に、李会長の担われる日中の交流事業が益々強化されることを期待する旨述べました。

これに対し、李会長からは、野田総理への表敬及び今次訪日に当たっての日本側の様々なアレンジに謝意を述べました。その上で、日中間の長年に亘る友好の交流史にふれつつ、中国人民対外友好協会としても、来年の日中国交正常化40周年を契機とした日中交流の一層の拡大のために最大限努力したい旨述べました。
【参考】中国人民対外友好協会
外国との民間交流を促進するために、1954年5月に設立された団体。特に文化・芸術分野に重点を置いて交流活動を実施。≫


間一髪のところで、我が国は中国の属国化を免れたのである。「自分(野田総理)は日中交流の申し子である」と恥ずかしげもなく公言する男を誰が日本国総理大臣にしたのかはこの際問わないが、中国側はこれで工作完成に一歩近づいた、とほくそ笑んだことはよくわかるだろう。


今や中国にも見捨てられた民主党は見る影もないが、代わって中国の手下になろうと蠢いている政党がある。


月末から4月上旬にかけて、再び?李小林・中国人民対外友好協会会長が来日する。

言うまでもないが、李小林は李先念中華人民共和国主席の娘であり、対日強硬派である劉亜州中将の妻である。
劉中将も「解放軍将軍劉建徳の子」であり、紅衛兵体験者。文革後、武漢大学外国語英語科を卒業して空軍上将(階級はいろいろ変化するが)になり、国防大学政治委員。軍歴はないが情報担当で江沢民に取り入り出世したといわれている。
上海では「朱成虎同様、軍事小説家よ」と認識されていたが、いまや事実上の国防大トップとして海外などで紹介されている。しかし西側では軍人ではなく《スパイ》に分類されているという。
それは李少林は、第2部に所属して豪州に23年間潜入してスパイ活動をしており、劉亜州も、中韓友好を口実に韓国に“潜入”して、長年米韓軍事情報を調査していたから、立派な「スパイ夫婦」だというのである。
勿論、習近平を筆頭にした太子党の主要人物とされ、習近平、劉亜州、そして李小林は幼馴染で仲がいいと現地では言われていた。
周知のように劉亜州は、
≪「対日融和政策」を批判し、日本との友好や平和樹立、あるいは日本への憧れに対する徹底した批判を加え抗日運動を起こすよう」ネットで呼びかけた張本人≫だから、その妻である李少林が「日中友好家」であろうはずがない。工作員とみる方が正しかろう。


さてその李少林夫人が31日に来日して誰に会うか?日本側のメンバーの名が興味津々だが、今のところ「福田元総理」「鳩山元総理」のほか、与党の山口代表らの名前が挙がっている。

山口氏は昨年末、上記外務省HPにあったように、来日した李女史と訪中日程を詳細に調整して、安倍総理の親書を持参して訪中したことは記憶に新しい。


これで中国が、崩壊した民主党に代わってどこにテコ入れしているかは明明白白だろうが、中日大使も創価大卒業生である…。
与党の“コバンザメ”から、次々に国益に関する重要情報が筒抜けになり、中国包囲網の効果も薄れる事を懸念するのだが…

張学良が、情報戦に疎い日本をバカにした気持ちがよくわかる。

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