軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

人命は“地球”より重いか?

1977年9月28日、バングラディッシュダッカ空港で日航機がハイジャックされた時、福田赳夫内閣総理大臣(当時)は「一人の生命は地球より重い」という名言を吐いて、身代金600万ドルを支払い、“超法規的措置”として獄中メンバーなどを引き渡した。
その後釈放要求された犯人らは、“偉そうに”「日本に残って連合赤軍問題を考えなければならない」とか、「一切の沖縄解放の闘いは沖縄を拠点に沖縄人自身が闘うべきものであり、日本赤軍とは政治的、思想的な一致点がない」とか、「政治革命を目指す赤軍とはイデオロギーが異なる」などと記者会見で大見えを切った。

この時の日本政府の弱腰ぶりは歴史に残る汚点を残したが、その10年前の1996年12月17日に、ペルーの首都リマで起きた日本大使公邸襲撃および占拠事件では、翌7年の4月22日に当時のフジモリ大統領が指揮するペルー警察の突入によって事件が解決するまで、4ヶ月間以上もの間、日本政府の慌て振りと無能ぶりは世界の笑いものになった。当時の首相は銀座の有名“アンパン”を外務省に差し入れた程度で、その外務省自体も、世界各地でこの種事件が起きた時に指揮統制する機能を持たず、テレビニュースと商社の電話回線を借用して対応する無様さだった。
多分、連合赤軍と称する日本のあぶれ青年たちも、日本政府は絶対に狙撃して自分らを殺害しないと確信していたのだろう。

そういえば、この事件の後の、1972年2月19日から2月28日にかけて、かの有名な「あさま山荘事件」が起きている。
日本の治安機関も舐められたものだ…

テロを起こすような無法者に対しては、2度と立ち上がれなくなるような一撃を加えてこそ効果があるのだが、軍事を放棄した日本人には、そのような発想は浮かばなくなってしまった。
事件、事故が起きると「おまわりさん!」と110番に電話し、猿が出てもイノシシが走り回っても、お巡りさんは「白光仮面」のように駈けずり回らせられた。豚や鶏が死ねば「自衛隊さ〜ん」だったように。

大の男らが、か弱き者を助けるために危険を顧みず立ちあがることはなかったから、女性がたくましくなった…
しかし女性専用車両を要求するのだから、何が“弱者だ”といいたくもなるが…

17日の国防講座(靖国会館)で、自衛隊が守るべきものと題して、常々私が考えてきたことをお話し申し上げたのだが、福岡や広島からわざわざ参加されたご老人がいたのには恐縮した。
しかし、若手の女性陣が賛意を表してくれたのは嬉しく、私の意のあるところはくみ取っていただけたことだと信じている。
2月11日に、千葉県の香取神宮で同じ内容で講演するので、それまで公開は控えておくが、いつまで自衛隊を3K対策要員として扱う気か?と不満である。

20日は、名古屋のテレビ局でUFOに関するバラエティに呼ばれたが、しょせんお笑い番組だとは分かっていたものの、今時の若者を観察するという意味で大いに参考になった。この席で私は「UFO研究家」と紹介されて苦笑を禁じ得なかったが、今年はいよいよ「軍事評論家」改め「宇宙評論家」として再出発するか!


私の前に収録されたのは、女性同士なのに【晴れて入籍したい】という二人の若い女性たちの“野望”だったのには驚愕した。
話を聞いていると彼女らは、高校時代から≪男性≫に魅力を感じなくなった!と言う。ということはこのころから男性が女性化し、女性は男性化するのかもしれない!
性同一障害などという専門的な話よりも、陸士53期生の故荒井勇次郎司令を老人ホームに訪ねて昼食を共にした時、たまたまテレビにこの種有名人が出ていて、これをじっと見ていた荒井司令は「佐藤君、最近はこんなのが増えたな〜。男でもなし、女でもなし…歳とったらどうする気だろう…」といわれたことが思い出される。


ところが今朝の産経新聞の22面「生活」欄に、「性的少数者、教育現場でも理解を」とあり、合成写真だとはいえ、“彼女ら”がテレビで主張していた女性同士の結婚式の写真が出ていたから、言葉を失った。

≪産経から≫


21日は内外情勢懇話会に招かれて、桜井よしこ女史の講演を聞いた。いつも通りの見事な筋立てで、国際情勢と我が国のあるべき姿を説いたが、並み居る男性群の中で質問に立つものは皆無であった。末席から会場全体を眺めながら、私はTV収録時の二人の若い女性の意見を思い出していた…
これじゃ女性から見放されるのは当たり前だと…。今の日本は賢明な女性たちによって支えられているのじゃないか?とも。


私は今年で年賀状によるご挨拶を終了し、今後は自らの進路を探求したいと思っていて、少なくとも三途の川を渡るまでは、まじめに生き抜き、進む先の道を偵察しておきたいと考えているのだが、あまりにも現代に生きる日本男性の影の薄さが気にかかりだした。

年明け早々、フランスで凄惨なテロ事件が勃発し、わが国も【対岸の火事】視していてはならない、と前回警告したはずだが、二人のジャーナリストが捉えられ、死刑宣告される“大事件”が勃発した。


EU首脳らは市民らの先頭に立ってデモを繰り広げて気勢を上げたが、それはクリスチャンとして、西欧近代主義者としての「正義」であり、テロリストたちには彼らなりの「正義」があるのだから、この世から戦争はなくならないのだ…。

戦後日本の改革を背負っている安倍首相にとってこの事件は、極めて迷惑な事案だろうが、国民の生命と財産を守るべき政府としては、無視できないだろう。しかし、前述した福田首相のような無責任極まりない「金での解決」は絶対にやってはならないことだ。もしやれば、世界に展開している日本企業は、現在シナにやられているように、限りなく襲撃され、身代金を要求されるに違いないし、日本人が自由に世界中を観光して歩くこともできなくなるだろう。

昔のサムライは、殿に迷惑がかかると見れば『自刃』して果てたものだが、今の“玉抜き男”たちには期待できまい。今回、この二人が見苦しい結末をさらしたら、この国は終わりだと私は感じている。
しかし、あの二人が、侍の末裔らしい態度を取ったならば、世界の日本人観に影響を与えるだろうし、今後のテロに対しても抑止力になるだろう。

と、ここまで書いてきたところで、捉えられている後藤氏の実母が、記者会見をした。しかし…非人道的なテロ行為に対する非難ではなく、地球保護、原子力反対声明を出したのには愕然とした。実母らしくない?発言に、懸命に救助を考えていた日本政府は冷や水をぶっかけられた気がしたのではないか?

当然だとはいえ、私も一切身代金を出すべきではない!と改めて強調したい。彼自身が「自己責任」を明言して危険地帯に入ったのだから。
何となく違和感を覚える実母の会見に、何か裏があるような気がしてならない。

この件に関しては、書くべき意見が多くなり、限りないからこの辺で止めるが、この“実母”の記者会見を世界はどう見たことだろう。
「潔く自決しなさい」と息子に言ってほしかったとまでは言わないが、それにしても落胆した。おそらく来週の週刊誌はこの一家の特集記事で埋まるだろう。実母の経歴と活動ぶりが記事になる事を期待したい。


処で私は、平河総研のメルマガに「大東亜戦争の真実を求めて」と題して個人の感想を書いてきているが、すでに500回に近づいた。
一貫性のない、個人的な思いつきの、資料の読み解き集に過ぎないが、わが国の近現代史を改めて整理してみると、何とも我が国の指導者たちの農耕民族らしい“お人よし、善良さ”ブリが浮かび出てくる。

これが和辻哲郎の名著「風土」に収斂されていくような、不思議な感覚に襲われるのだが、大東亜戦争以前でもこうだったのだから、アジアの同胞を欧米、白人らから解放したにもかかわらず、戦後は敗戦の責めを一身に負わされ敵軍たる白人からはもとより、隣接するシナや朝鮮からまで罵詈雑言を浴びせられると、何故か萎縮して自らが、米国の「植民地」に陥って恥じない姿勢が依然として継続している。

これがサムライの末裔の国だろうかと悲しくなる。先の大戦で、何故250万もの先人らは命を落としたのか?という理由さえ学ぼうとしない。一人今日まで資料を読み解いてきた私も、退役後18年過ぎてみて何の変化もない現状にあきれ、疲れて果てて何となく虚しくなりつつあった。

敗れはしたものの、かっては3年余も血みどろな戦いをした米国の“属国”的立場に疑問を感じない“経済大国”が、これから始まる経済恐慌もさることながら、世界的恐慌、特に宗教的対立、つまり、人間が人間である以上避けられない原罪が表面化する、混とんとした国際情勢下で生き残れるのか?

その観点から見れば、戦後日本の政治、経済、特に軍事に対する観念の希薄さ、というよりも緩さ、甘え、いい加減さ、無関心さは危機的水域に達していると思わざるを得ない。
若者たちが、他愛のないおしゃべりを、倉庫のような殺風景で無機質なベニヤづくりの装飾の壁に囲まれた空間で楽しみ、貴重な人生をただただ浪費?しているようでは、そんな世界しか知らない女性は「ビアン」化し、男性は「オナベ」化するのも仕方あるまい。
アダムとイブや、イザナギイザナミの存在などは、現代男性と女性には無用な知識なのかも知れないが、奇妙なことに“テロリスト国”は、あくまで女性を蔑視してはばからないではないか。


戦前、戦中のわが国が遭遇した国難を少しふり返ってみれば分かることだが、現在多発している「テロとの戦い」は、支那事変以降、既に十分体験してきたことではなかったか?

つまり支那との戦いで、わが軍が最も苦労したのは、国際法など無視した国民党軍、八路軍の残虐無比な「テロ行為」ではなかったか?
その代表的なものが、彼らが最も得意とした『便衣兵』というテロ行動だったはずである。

便衣兵」とは、シナ事変において日本軍が進出してくると、軍服を脱ぎ捨てて一般市民に成りすまし、日本軍が立ち去ると武器をとって守備兵に襲い掛かるあの卑怯な支那独特の戦法のことである。
どれほど多くの我が兵士や、通州事件に代表されるような一般市民を大量に虐殺したテロ行為に悩まされてきたか。彼らには紀律や規則を守るという観念がなかったから、日本軍は正にテロリストたちと戦っていたのだということを今一度振り返ってみるべきであり、今中東で起きていることはその延長線上にあると考えるべき事象だろう。

通州事件で惨殺されたわが邦人たち(もちろん半島出身者も含まれる):当時の写真集から≫

この便衣兵=テロ攻撃は昭和12年の南京陥落の際に、中国国民党蒋介石)や共産党毛沢東)が便衣兵を「南京安全区」に潜伏させ日本軍や、中国の民間人を襲撃した卑怯極まりない戦法だったが、戦後の裁判で、欧米を中心にした戦勝国側は、このテロ行為を承認して、一方的に日本軍に責めを負わせた。しかし、軍規厳正、まじめ一本やりの「皇軍兵士」は、市民の中に隠れている“便衣兵”の厳正な摘出を行い、捕虜の資格が無い便衣兵のみを処刑したものであり、蒋介石は自分の罪を隠ぺいしてすべてを日本軍のせいにした。
その結果欧米側は一方的に「日本軍による南京大虐殺」を主張して、己らのドレスデン爆撃や東京大空襲、原爆投下の責めを逃れ、口を拭って素知らぬ顔をしている。しかし天はそれを許さず、“イスラム国”なるテロ集団を生み、彼らにその償いをさせているのだ、と思わざるを得ない。
フランスで起きた今回のテロ事件はその鏑矢であって、「便衣兵」をテロリストだと認めなかった連合国側に対する“見せしめ”のように思われる。


今や、正規軍同士が、宣戦布告して戦闘に入る機会はほとんどない。特に9・11以降、非対称戦と呼ばれるテロが主流になってきた。
過去の大戦で我が国が苦戦したこれらの戦訓は、敗戦と同時に「大東亜戦争はすべて日本軍部が悪かったのだ」とされた自虐史観戦勝国側に植え付けられたが、驚いたことに我が国は自らも意識的に削除し、その教訓を学びもしなかった。

加えて終戦直前に起きた「テロ行動」には、不可侵条約を踏みにじって満州樺太に侵攻してきたソ連軍の傍若無人な虐殺と無法行為がある。
これらの事象は、現在中近東、シリアで起きていることと同種のものであり、ヨーロッパを見ても、ウクライナやクリミヤ半島で再現された闘争行為ではなかったか?
その意味では外務大臣の発言は的を射ているのだが、狡猾なロシアはそれを認めようとはしない。しかしいずれこのような理不尽な“戦勝国側”に天罰が下るだろう。

その前兆として世界の警察官たる米国に、ノーベル平和賞を受賞した“鳴かず飛ばず”の大統領が誕生し、あと2年間任期を務めることになっているから、この間の世界の秩序破壊はどんどん進むことだろう。


今回の世界的混乱は、数年前のシリア情勢の延長であり、あの時、オバマが火元を徹底的に封じておけば、この様な思い上がったテロリストが多発しなかったのではないか?と私は思っている。
米国はソ連崩壊とともに、世界の覇権を一手に握ったかのような錯覚に陥っていたのではなかったか?思い上がりも甚だしかったといえよう。

日本国民よ、早く目を覚まそう!テロは、普段は全く一般人の姿をした“隣人”が起こすものだから対策は困難である。
同時に民族の「独立」や「革命」などには、「民主主義的多数決の原理」は適応できないということを知ろう。
フランス革命もそうだったし、わが国の明治維新も、一部の浪士たちの行動で引き起こされたのではなかったか?
混乱期には「多数決」をとっている暇はないことを知るべきである。


届いていた本のご紹介
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≪『諜報機関』井上太郎著:青林堂¥1200+税≫
「この本で取り上げられるのは、マスコミ報道もなく世間では知られていない内容です。そしてすべてを書いたわけではありません。その国の関係者が読めば驚愕し、どこまで情報が知られているか不安になるでしょう(本文から)」とあるように、ツィッターで絶大な人気を得ている“正体不明”のアカウントから取り上げられてもので、友人らから「著者が誰か教えてほしい」とメールが私にまで来るほど、関心がもたれている著者の本である。勿論私ではない。


「日本と世界を動かす悪の孫子宮崎正弘著:ビジネス誌1100+税」
孫子吉田松陰…宮崎氏が放つインテリジェンスのバイブルである。


「帝国興亡の掟:黄文雄著:光文社¥1800+税」
おなじみ黄文雄氏のシナ大陸に関する歴史書である。中華帝国の興亡に関する謎解きを進め、歴史上の掟や定めに迫る。間もなくシナの共産“帝国”も同様の結末をたどることになるだろう。

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