軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

世界遺産で神話を舞う

いささか旧聞に属するが、23日の夜、たまたま地上波TVで、素晴らしい番組に巡り合った。
人間国宝である能楽師梅若玄祥師とギリシャ人演出家ミハイル・マルマリノス氏が、古代ギリシャの長編叙事詩オデュッセイア」を能に仕立てた新作「冥府行〜NEKYIA(ネキア)」を世界最古の劇場「エピダウロス古代円形劇場」で上演するまでの経過をまとめた内容で、思わず最後まで見入ってしまった。


オデュッセイア」は、ギリシャ軍の英雄、オデュッセウスのトロイ攻略後から帰国までの波乱に満ちた10年を描く冒険物語だが、新作はその11章に当たる「ネキア」を基に、魔女のキルケー(玄祥)の助言に従い、死後の世界に行ったオデュッセウス(観世喜正)が死者や予言者のティレシアス(玄祥の2役)に出会い、故郷の窮状などを聞く-という物語。

日本文化とギリシャ文化が融合するまでには、その舞台裏ではいろいろな摩擦と葛藤が起きるが、ともに作品を上演しようとする双方の熱意がそれを解決していく。
文化の差をまざまざと感じる場面が連続したが、ともに妥協することなく譲らない。
どうしても能での表現が困難だという日本側に対して、その部分こそがギリシャ文明の基本だとミハイル・マルマリノス氏は譲らないのだが、開演が近つく中でやっと理解が進み、見事にシナリオが完成する。


梅若玄祥師は2役を勤めるほか、節付けと振り付けも担い「新作能の依頼をマルマリノスさんから受け、(あの世と現世を行き来する)能の形で演じる方が良いと思った。現代語に近い形で演じたい」と淡々と話す。
相手方で出演を依頼した現代ギリシャを代表する演出家、マルマリノス氏は日本の伝統文化に造詣が深く、古代ギリシャ演劇と能の類似性を指摘。「ネキアを文学的に劇化できる唯一の手段が能楽」とするだけあって、なかなか妥協しなかった。
現地の能舞台の四隅の柱の部分は、ギリシャではオリーブを浮かべた水を張った穴(結界)になり、能楽師が落ちる危険性もあったが、現場で開演前日に見事に解決するのも素晴らしい。


この“交渉”場面を通じて、私は本来の外交交渉もこうあるべきだと痛感した。主張すべきはとことん主張すべきなのに、適度に妥協してよしとする風潮が日本外交にあるから、時折私は日本外交は「外交」ではなく「社交」であり「友好」に過ぎないと酷評するのだが、熱のこもった討論の後の双方のさわやかさは、言葉に変えられない貴重なものだろうと思う。


当日の番組表にはこう解説されている。
平成28年文化庁芸術祭参加作品▽人間国宝能楽師梅若玄祥が、世界最古の劇場「エピダウロス古代円形劇場」で能を舞った。演出を担当したのは、ギリシャを代表する舞台演出家・ミハイル・マルマリノス。異文化が交わる創作は、苦難の連続だったが、古代ギリシャ演劇の仮面と能面には、驚くべき共通点もあった。果たして、古代ギリシャ演劇と日本の伝統芸能は融合するのか?≫
そして番組の解説文にはこうある。

≪「アテネエピダウロスフェスティバル」は今年60周年を迎え人間国宝能楽師梅若玄祥さんが世界最古の劇場「エピダウロス古代円形劇場(世界遺産)」で「能」を舞いました。
日本人としてこの聖なる舞台に立ったのは初めて。
演目はギリシャ神話を題材にした叙事詩オデュッセイア」より第11歌「ネキア」をアレンジした新作能「冥府行」。演出はギリシャを代表する舞台演出家マルマリノスさん。全てが世界初の試み。ギリシャでは大騒ぎに!しかし、異文化が交流しての創作は決して平坦な道ではありませんでした。
能を始め日本文化を学んできたマルマリノスさん曰く「今は途絶えた古代ギリシャの文明は、日本にあるのだ
太陽や大地、木々など、あらゆるものに神が宿ると信じてきた国、日本に、オリンポスの神々を信仰してきた古代ギリシャがあるのだと言います。
はたして古代ギリシャ演劇と日本の伝統芸能は融合するのか・・・?
番組は、去年7月、神話の国ギリシャ世界遺産で新しい芸術が誕生した、その瞬間に立ち会いました≫


能楽師梅若玄祥師=TV朝日の番組欄から≫


あらすじは、≪ギリシァ軍の将の一人としてトロイアとの戦いに出かけたイタケの王オデュッセウスは、十年をかけて漸く勝利に終わった戦いののち帰国の途につく。しかし、海上を漂流するうち、海神ポセイドンの怒りに触れ、十年経っても、カリュプソの島に足留めされて故国に帰還できない。妻ペネロープは、その二十年の間、ひたすら夫の帰国を待ち望む。しかし、王宮には今や、「王は死んだ。自分と再婚を」と迫る百人余の求婚者たちが上がり込み、家畜を屠り、侍女を侍らせては酒宴に明け暮れ、狼藉の限りを尽くしている。(第11歌は「ネキュイア」 (Nekyia) として知られる)。

オデュッセウスは、王たちの助けを借り、イタケ島へ送ってもらい、ついに故郷の島に帰り着く。そしてそこで、父を探しに出かけちょうど帰国したばかりの、すっかり大きくなった息子と再会する。オデュッセウスは息子に、自分の家に毎日乱暴な男たちが押しかけ、ペネロペに再婚を迫っていることを聞き、2人だけで男たちをやっつける作戦を立てる。
神々の長ゼウスは、ヘルメス神をオデュッセウスを留めるカリプソの許へ遣り、女神を説き伏せ、この勇者をフェイアシア人の島へと送るように促します。フェイアシア人は船の民で、オデュッセウスは王女ナウシカの計らいで島の王アルキノオスの力強い後見を得ることとなり、故郷イタカの地へと帰ることができたオデュッセウスは、妻ペネロペに言い寄る悪漢どもに自身の館が荒らされていることを知り、忠実な豚飼いたち、そして息子テ レマコスとともにアンティノオスをはじめとする求婚者たちを成敗し、ようやく安息を得て、長い漂流と艱難の旅に終わりを告げる(インターネットから)≫
という有名なものだが、幽玄の世界を表現する能楽にぴったりの作品になっている。まさにギリシャ文化と日本文化が融合したのである。

≪当日の「エピダウロス古代円形劇場(世界遺産)」=TV朝日番組欄から≫

上演された当日の会場は、1万人以上の大観衆が固唾を飲んで見守っている姿が印象深い。

そして感動のうちに幕が下りる。能楽にしては珍しく「カーテンコール」になるが、これも双方の息が合った異文化交流の成果だろう。

その後、事前調整中に激しく言い争った脚本家・笠井賢一氏とミハイル・マルマリノス氏が、楽屋で固く抱擁するのが何とも素晴らしい。政治家らには“絶対に”真似できない姿だと思うのだが。

他方会場の観衆は、しばし感動してなかなか立ち去ろうとしないほどであったから、相当な反響と効果があったものと思われる。これこそが外交(文化交流)であり友好の真の姿なのだ、と私は思う。

それが政治が絡むとどうして不可能なのか不思議でならない。純粋な芸術と、欲得がらみの政治を混同する方が間違っているのかも…。


余談だが、オデュッセウスが出征している二十年の間、妻ペネロープはひたすら夫の帰国を待ち望んでいるのだが、王宮には「王は死んだ。自分と再婚を」と迫る百人余の求婚者たちが上がり込み、家畜を屠り、侍女を侍らせては酒宴に明け暮れ、狼藉の限りを尽くしているという場面には、大東亜戦争で、アジアの各地に出征して残した妻や家族に思いをはせつつ、戦死していった多くの英霊方の無念にもつながっているように見えた。戦人に「洋の東西も時代」も無関係なのだ。
わが将兵たちもオデュッセウスのように戦地から生きて戻っていれば、戦後の日本国内で横暴の限りを尽くしていた“日本人もどき”に対して必ず鉄槌を下しただろうと思ったのである。

私には首相の靖国神社参拝の重要性が、新作「冥府行〜NEKYIA(ネキア)」に重なって見えた。

たまには地上波(TV朝日)でもいい番組が放映されていることを知って嬉しくなった。

届いた本のご紹介
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「航空情報12月号」
航空自衛隊パイロットへの道=その1「第12飛行教育団」は若者にぜひ読んでもらいたい。


「Hanada12月号」

どれも必読だが、特に[小池が暴く石原都政の闇]は面白い。パンドラの箱は開くのか??


「Will12月号」
米大統領選もいよいよだが、わがメディアはヒラリー“善戦”とはしゃいでいる。はたしてしかるか?
「ヒラリー幻想」を戒める、は時宜を得ている。いずれにせよ「鼻つまみ者と嫌われ者との戦い」だが…

能楽への招待 (岩波新書)

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能楽師の素顔

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大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した

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