軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

新聞の戦争責任

台風の接近からか、雨模様が続くがすっかり秋らしい気候になった。どんなに“猛暑”や“ゲリラ豪雨”が襲ってきても、スーパーボランティアの尾畠さんの言葉通り「朝は必ず来る」のである。


処で、体育関連協会の規律の乱れはどこまで続くのか?
今回又、女子体操界の宮川選手が、女子体育協会を批判した。
アメフットの時も18歳の「宮川」選手だったが、今回は女子の「宮川」選手でともに18歳と言う新進気鋭の選手である。
そしてその対象がいい歳をした功成り名を遂げた年配の男女だと言う点も共通している。しかも今回は五輪の金メダリストの“レジェンド”である。


≪記者会見した「宮川」選手・インターネットから≫

アメフトの宮川選手の会見も、今回の女子体操の宮川さんの会見も、ともに素直で真相を語っていると私は思う。
そして“それ”に対する“大人たち”の対応ぶりが、共通して見苦しいのも不思議である。いい年して“言い逃れ”に終始する姿は見苦しい。
この年代の大人たちが“駄目”になったのか、それとも未成年者の方が“率直であり人間性が高く勇気がある”とでも言うのか?
いずれにせよ私には世代交代が急速に進んでいるのだ!と思われてならない。今の日本の社会には裏で牛耳る“老害”が蔓延しているのである。


これを払拭しようとするこれらの現象は、単にスポーツ界だけにとどまらず、役所にも、一般企業の中にもあらゆる既成組織の中にも浸透していくだろう。
いわば“弱者”が声を上げ始めたのだ。

企業内部も、大企業と言われる企業ほど内部が腐敗していることが、数々の事件事故(隠ぺい、改ざん)などが発覚して、そのだらしなさが公になってきているから、高学歴、無教養者が排除されるまで浄化作用もまだまだ続くのだろう。



処で、最も浄化作用が期待されているのが、歴史問題に関わる多くの誤報事件を反省して公にしないメディア界ではないか?と思う。彼らは我が国を、世界中に誤解を与え続けて全く反省していない。

代表的なのは朝日の“従軍慰安婦”“南京虐殺”等だが、毎日の“百人斬り訴訟”もひどい問題だ。
戦時中の士気高揚のために創作された“捏造記事(フィクション)”を、敵であったシナの言うがままに“事実である”かのように強弁して、擁護すべき自国民を敵の手中に放り出した。毎日新聞社はシナの新聞社だったのか?

これがため、記事に書かれた軍人は、シナに呼び戻されて銃殺刑に処せられ、戦後、ご遺族が毎日新聞に真相究明を訴えたが、奇妙な裁判で認められず、不名誉なままに終わっている。
これが“同胞に対する仕打ち”なのか?と毎日新聞社の卑怯さには怒りを禁じ得ない。

≪これが当時の“捏造記事”だ!≫

≪戦後、シナの“法廷”で、死刑を宣告され、従容と銃殺された3人の軍人たち。今風に言えば「自国の新聞社による冤罪で旧敵国に売り渡され、現地で殺された殺人事件」である≫


そんな感想を抱いていた時、今朝の産経「新聞に“喝”」欄で酒井教授が次のような指摘をした。

≪【新聞に喝!】日本兵捕虜 戦意高揚報道メディアに強い不信感 2大新聞に戦争責任はないのか 元東京大学史料編纂所教授・酒井信彦

 8月23日の新聞各紙で、昭和天皇が昭和62年4月の時点で戦争責任を気にかけておられたことが、侍従の日記の公表で明らかになった。
 この日記は、小林忍侍従の親族が、共同通信に持ち込み、報じられたものである。戦争責任を執拗(しつよう)に追及する人間がいたために、昭和天皇は最晩年にあってもお悩みになっておられたわけである。
 連合国の中には、天皇の戦争責任にこだわった国もあったが、アメリカが退けて、戦争責任は問題化されなかった。
 一方、ほとんど忘れられているが、戦争遂行に重大な役割を果たしたにもかかわらず、占領軍に責任を追及されなかった組織としてマスコミ、特に新聞が存在する。
 ドイツでも、イタリアでも、戦争中の新聞は廃刊になったが、日本の新聞はそのまま生き残った。その後、新聞の戦争責任は追及されず、70年以上が経過している。
 この新聞の戦争責任について、極めて興味深い調査結果が存在する。朝日新聞取材班による『戦争責任と追悼 歴史と向き合う1』(朝日選書、平成18年刊)の160ページに次のような記述がある。
 「米国立公文書館から山本教授が収集した史料のなかに、米政府が日本兵捕虜に聞き取りをした調査の結果があった。天皇・軍・政府・メディアについて不信感を抱いているかどうかを258人に聞き、太平洋戦争後期の44年にまとめたものだ。メディアに不信感があると答えた捕虜は38%だった。それは、天皇(0%)、政府(8%)、軍(31%)のどれよりも高い数字だった」
 山本教授とは、メディア史などが専門の山本武利氏である。
 つまり兵士たちは、天皇はもちろん、政府や軍よりも、メディアに最大の不信感を抱いたのである。そのメディアとは、基本的に新聞であり、戦争当時の新聞は朝日と毎日が2大新聞であった。
 今年の戦没者追悼式で天皇陛下が4年連続で「深い反省」を述べられたのに対して、安倍晋三首相が「加害責任」に言及しなかったことを、朝日も毎日も筆をそろえて批判している。では新聞自身の戦争責任は一体どうなってしまったのだろうか。
 捕虜兵士からメディアは政府の5倍近くの不信感を持たれているのである。戦意高揚報道によって、巨大な被害を与えた日本国民に対して、新聞は毎年きちんと、謝罪の言葉を述べるべきである。
 昭和天皇崩御後10年以上がたった平成12年末、元朝日の女性記者が主導し、朝日が熱心に報道した「女性国際戦犯法廷」の目的は、慰安婦問題を口実に、昭和天皇に対し、戦争犯罪人として有罪判決を下すことだった。≫
           

いくら正当な戦争史や、歴史的記録文書を検証してみても、国民の頭の中に刷り込まれた記録は、当時の新聞が最大の影響力を持っていたはずである。

私の両親も毎日、新聞に目を通しながら戦争の行方を案じていたものであった。今のようにTVもインターネットも無い社会であったから、外地で戦っている同胞たちの状況を庶民が知るには、当時は「朝日」と「毎日」という2大紙しかなかったのであり、その上両社は、『戦意高揚のためのフィクション記事』などで国民や兵士らの興味を引き、互いに“拡販競争”に明け暮れていたのである。
いわばよく言われるように、「戦争で儲けるのは武器商人と新聞や」だったのである。

しかし戦後も、ただひたすら占領軍に媚を売り、拡販競争を続けていたのが新聞であり、その垂れ流すフェークニュースの害は夥しかった。
そしてその責めを問われそうになると、戦前は「大本営」のせいにし、戦後は「GHG」のせいにして生き延びた。
何よりも問題なのは、戦争行為そのものの反省の対象に新聞は取り上げられず、彼らはあたかも裁判官のように振る舞って、自分以外の“犯人追求”に明け暮れた。

真の≪戦争責任≫を追及するためには、酒井教授が書いたように“下手人の一人”と言っても過言ではない当時の“情報や”であった新聞社の責任を追及する事を忘れてはなるまい。

現代においてもその影響力の大きさを発揮して、野党や外国勢力と結託して、政府や「政府要人」のあらさがしをしつつ、政権に悪影響を及ぼそうとしているのだから、大東亜戦争時代もそうであったことは疑いなかろう。

久しぶりに深層を突いた『新聞に“喝”』欄であった。
勿論過去のみならず現在においても、読者は盲目的に“新聞記事”を信じてはならないという警告であり、教訓である。

朝日新聞の戦争責任―東スポもびっくり!の戦争記事を徹底検証

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「百人斬り訴訟」裁判記録集

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百人斬り裁判から南京へ (文春新書)

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