軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

朝日記者の“怒声”

今朝の朝刊を見て、感動したものと、昔を思い出して腹が立った記事を3本だけ記録しておきたい。


1、両陛下、ペリュリュー島生存者とご面談


今朝の産経一面トップ(東京版)である。元陸軍軍曹の永井敬司氏(93)と海軍の土田喜代一氏(95)の感動いかばかりかと思う。
陛下は「本当に長いことご苦労様でした」とねぎらわれ、皇后陛下は帰国後の生活や仕事についても詳しく質問され、「お身体を大事に」とねぎらわれた。それに対して「私どもは軍人ですから戦うことは当然のことです」と永井氏はお答えし、土田氏は「戦友が眠る地へのご訪問に対する感謝」を伝えたという。
両陛下がどんなお気持ちを兵士や英霊に抱いておられるか、それがわからないのが、恐ろしいほどに人間性が希薄になった我が国の政治屋どもだろう。
今年の靖国神社には、“狂信的野盗”どもはどうでもいいが、政府要人はそろって参拝して英霊に感謝の誠をささげてほしい。


2、波高い南西方面に対して、わが海自も動き出したという朗報である。

≪全長248m 護衛艦いずもはほとんど空母! 改修すればF35Bの艦載も 対中国潜水艦戦見据え25日に就役へ =産経から≫



3、さて最後は、メディアの横暴に関する記事である。
チュニジア襲撃テロ】結城さんが手記 朝日記者の怒声に「ショック…」 国際報道部長が謝罪「重く受け止めおわびします」と見出しにあり、こう書かれていたので、産経ニュースから全文をここに転載させていただくことにする。

チュニジアの博物館襲撃テロで負傷し、首都チュニスのシャルル・ニコル病院に入院中で陸上自衛隊3等陸佐の結城法子さん(35)=東京都豊島区=は20日共同通信など一部メディアに手記を寄せ、「現実のこととは思えませんでした」と事件当時の恐怖を振り返った。

 また、結城さんは手記で、朝日新聞記者と日本大使館員の取材をめぐるやりとりについて「『取材をさせてください。あなたに断る権利はない』と日本語で怒鳴っている声が聞こえ、ショックでした」と記した。

 これを受け、朝日新聞の石合力・国際報道部長は朝日新聞デジタルのホームページ(HP)に「取材の経緯、説明します」と題した見解を掲載し、「記者には大声を出したつもりはありませんでしたが、手記で記されていることを重く受け止め、結城さんにおわびします」と謝罪した。

 HPによると、朝日新聞記者は取材のため、発生翌日の19日午後(日本時間同日夜)、チュニス市内の病院を訪問。救急部門の責任者の医師に取材したところ、結城さんについて「軽傷なので病室に行くといい。インタビューできると思う」との説明を受けたという。

 病室前まで警備担当者の先導を受けたが、病室前で「大使館です」と名乗る日本人男性に取材の申し出を「できない」「だめだ」と断られた。「結城さんご本人やご家族が断るならわかるが、あなたが決める権利はないですよね」と聞いたが、「私は邦人を保護するのが仕事です」との返答だったため、しばらくやりとりを続けた末、病棟を退出したという。

 結城さんの手記の全文は次の通り

     ◇

 日本の皆さまには多大なるご迷惑、ご心配をおかけしていることと思います。申し訳ありません、そしてありがとうございます。事件後、ネットやテレビを見ることができず、あそこで何が起きたのか、どのような報道がされているのか、全く分かっていません。今はとても人前に出られる状態ではありませんので、文章で失礼させていただきます。

 私と母は3月14日に日本を出発し、3月15日にイタリアのジェノバから7泊8日の予定でMSCスプレンディダに乗り、クルーズに出発しました。3月18日の朝8時ごろチュニジアに到着し、ガイドツアーに参加しました。英語とフランス語のガイドでしたので、話をあまり理解できていなかったかもしれません。

 11時30分ごろ、現場となったモザイク博物館に到着しました。2階を見学している時に、ツアーの参加者が「窓の外に銃を持った人がいる」と言い、何人もがのぞいていました。ガイドは、「チュニジアではよくあることだ」と言ったように思います。あまり緊迫感はなく、まさか発砲されるとは思いませんでした。その後、ガイドに部屋を移動するように言われ、移動している途中で銃声が聞こえました。皆走りだしました。しかし、入ろうとした部屋で発砲され、人が血を流して倒れるのが見えました。前の人々が立ち止まったので、私は後ろへ倒れました。その時、後方から銃声がし、耳に痛みを感じました。部屋の入り口を振り向くと、男が銃を持って立っていました。顔は見ていません。すぐに頭を手で覆って床に伏せました。かなり長い間銃が乱射されていました。身体中に痛みがあり、私は死ぬのだと思いましたが、とても現実のこととは思えませんでした。

 しばらくして男が去り、起き上がると部屋には約10人の人々が倒れていました。無傷の人々もいましたが、動かない人もいました。

 私は左手、左耳、首に痛みがあり、血が流れていましたが、大きな問題はなさそうでした。母は私の隣で倒れていました。首から出血し、頭の下に血だまりができていました。呼び掛けると、「首が痛い」と言い、手足を動かしたので少し安心しましたが、自力で動くことはできませんでした。その後も遠くから銃声や爆発音が聞こえ、また犯人が戻ってくるかもしれない、と思うと生きた心地がしませんでした。私が母を旅行に誘ったので、本当に母に申し訳ないと思いました。

 銃を持った警察が助けに来てくれた時には安心して号泣してしまいました。母を助けるようにお願いしましたが、歩ける人が先と言われ、私は母と別れ救急車へ連れて行かれました。

 病院へ着くと、パスポートなどが入ったバッグはとられて、携帯もなくなってしまいました。診察を受け、処置を受けた後、全身麻酔が必要なので移動する、と言われ、また救急車で移動しました。外でも、救急室でも、多くの人がいて写真やビデオを向けられ、とても不快でした。

 新しい病院に移ると、すぐに病室へ通され、まず局所麻酔で耳の処置をされました。かなりの痛みがあり、それを伝えると、手と背中の処置はもっと痛いので、全身麻酔でする、と言われました。

 その後、部屋に大勢の人々が入ってきました。チュニジアの首相や、政府の方々に、母を見つけてほしいとお願いしました。その後、NHKニューヨーク・タイムズを名乗る人々も来て質問に答えるように言われました。そうしなくてはならないのだ、と思い答えましたが、何を話したのか正直なところ覚えていません。

 日本大使館の方がいらして、日本の家族の連絡先を聞かれましたが、携帯がなかったので実家の固定電話しか分からず、なかなか連絡がつかなかったようです。

 夕方になり、母は他の病院で手術を受けていて無事だ、ということが分かり、安心しました。しかし、私も手術が必要だと言われ、手術室へ移動しました。全身麻酔だったので起きたら全て終わっていたのですが、手術前と比べ激しい痛みがあり、お願いして痛み止めを使ってもらいました。しかし、母は全く英語が話せないので、話が通じているのだろうか、痛みはないか、と不安になりました。手術は3時間ほどで、夜10時を過ぎていたようです。

 病室へ帰ると、大使館の方と日本人の現地のコーディネーター、という方がいました。私は一日中泣いていたせいで目が腫れ上がって開けることができず、その方の顔は見ていません。大使館の方は母に電話をかけてくださり、母の声を聞いて安心しました。コーディネーターの方は電話をして、日本テレビのインタビューを受けるように言いました。言われるがまま質問に答えましたが、ボーッとしていて恥ずかしかったので、インタビューをそのままテレビで流していいですか、と言われ断りました。すると、既にNHKのインタビューがテレビで流れていて、名前も顔も出ているからいいでしょう、と言われました。その時初めてそのことを知り、ショックを受けました。

 翌日の朝にはパスポートなどが入ったバッグが戻り、大使館の方を通じて日本の家族と話すことができました。母も、私のいる病院に転院してきて、一緒の病室に入ることができました。

 部屋を移った後、部屋の前で「取材をさせてください。あなたに断る権利はない」と日本語で怒鳴っている声が聞こえ、ショックでしたが、それは私にではなく、大使館の方に言っているようでした。大使館の方は、「朝日新聞の記者の方がインタビューをさせてほしいと言っているが、受ける必要はない。体調も良くないし、インタビューがどう使われるかわからないし、あなたには断る権利があります」と言われました。今まで、義務だと思いインタビューを受けていたので、涙が出るほどうれしかったです。

 昨日、フジテレビの方にも取材を申し込まれました。お断りしようと思いましたが、今の自分の気持ちを伝え、今後の取材をお断りする代わりにこの文章を書いています。母は今日また手術を受け、その結果によっては日本に帰ることができるようです。私も母も無事ですが、体調は悪く、早く日本に帰りたいです。チュニジアの方々や日本大使館の方々には大変感謝しています。こちらには情報が入ってこないので、何が起きているのかは正確には分かっておらず、誤解もあるかとは思いますが、どうか私たちを静かに見守っていてほしいと思います。

 3月20日 9時 結城法子   ≫


報道の自由だか何だか知らないが、相手(取材する側)の立場や状況など一切構わず、自分中心に行動するメディア関係者の横暴さがよく表れている。
広報室長時代に、記事の裏側(取材状況)を十分体験した私としては、その場の雰囲気がよく伝わってくる。
潜水艦「なだしお」衝突事件では、釣り船のマリンギャルが収容されていた病院に、医師の白衣を着て潜入した記者が、「助けて〜と叫んだが、潜水艦の乗組員はただ見ていただけで助けてくれなかった」と彼女が発言したという虚報を流し、これがきっかけで海自に対する大バッシングが始まった。


JAL123便墜落事故の時は、奇跡的に救助された少女Kさんの病室に同様な姿で潜入して、彼女が「まだ他にも生きている人がいた」と言ったと書き、自衛隊は救助が遅い!と大キャンペーンが張られるきっかけになった。
この時潜入した記者も同一新聞社の記者だったから、特ネタをさらわれた他社の記者たちが「やり方が汚いぞ!なだしおの時に変装してまで抜け駆けしないと協定したじゃないか!」と憤っていたというウラ話を聞かされたものである。尤もJALの時は、Kさんの家庭の内情もあったらしく、一概に自主的に潜入したのじゃなく親戚の同意を得るか先導されたのかも…と同社の仲間は言い訳をしていたが…。


チェニジアの病院で、朝日の記者が大使館員を怒鳴りつけていた状況は、JAL墜落事件の時に「いわれなき非難に反論した」私に対して怒鳴り込んできた同社記者のことを思い出す。一体何様だと思っているのか?
こんな連中が、口を開けば「人間愛」だとか「人権」だとか「個人情報」だとか、御託を並べるのだから腹立たしい。
同社は例の捏造記事事件で経営不振に陥っているとのうわさだが、ピサの斜塔程度の傾き具合なのかしらん? なかなか倒れない中共の政党と、この新聞社はしぶといものだと、妙に感心する。


朝日新聞の石合力・国際報道部長は朝日新聞デジタルのホームページ(HP)に『取材の経緯、説明します』と題した見解を掲載し、『記者には大声を出したつもりはありませんでしたが、手記で記されていることを重く受け止め、結城さんにおわびします』と謝罪した」そうだが、大声を出したつもりはありませんでしたとは聞いてあきれる。私の時も彼らはそういった。
私には「怒鳴り声」どころか「喧嘩を売りに来た」としか思えなかった。


今日は心温まる話と、怒り心頭に発する話で一日複雑な気分になりそうだ。
そこで後輩から届いた漫画で埋め合わせようと思う。
多少時期おくれだが、彼が意図したところは今でも伝わると思うので…



届いた本のPR
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≪一目でわかる「日の丸で歓迎されていた」日本軍:水間政憲著=PHP¥1500+税≫
当時の貴重な写真入りで、状況がよくわかる。いかに日本のメディア、政府の情報戦が不備だらけ=いわれっぱなし、だったか一目瞭然である。


この当時のビラは内容の一部だが、著者(水間氏)は、
≪この豚のポスターを見ていると、百年前も今も中国人の精神構造は全く同じで、中国人民の悲哀を感じます。中国では現在[排日貨運動]がネット上に蔓延していますが、訪日観光客は、「ハイテク便座」から「薬」「化粧品」などの日用品まで買いあさり、ゲランの香水やヴィトンのバッグなどの海外ブランドも買っていることは、近代化は表層だけで、低品質や偽物の商品が蔓延していることを表しています≫とさらりと書いている。
スクラップ空母『遼寧号』は改修中なのか故障中なのか一向に姿を見せないから、今回のいずも進水はシナ海軍にとってはショックだろう。
KJ君も相当慌てているのじゃないか?

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