軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

国の発展を阻害してきた左翼の正体

今回の台風被害で、統治能力が欠けた為政者の出現に、被害者はもとより、一般国民も呆れ果てているようだ。

 

民主党政権時代に仕分け?とかで休眠させられた八ッ場ダムの功罪について、インターネット上で喧しい意見が飛び交っている。

千曲川の堤防も中止させたままだった」「長野は田中康夫(当時一世を風靡した?知事)の脱ダム宣言のせい」など、「今回の水害も半分は治水対策を潰し回ってた連中の責任だろう」と喧しい。それに対して“左翼陣営?”からも反論が加えられているようだが、ダムの功罪は専門家に任せるとして、確かに意味もなく?停止したのは、当時の政権の政治的パフォーマンスだったことは否めない。原発事故もそうだった…

 さらに、左翼の首長たちの指揮ぶりには混乱が続き、神奈川県の山北町で出動した自衛隊給水車が水を配らずに帰ってしまうという事態が発生していたことが問題になっている。しかしその原因は本来、協力し合うべき県と町の対立だったと言うから、早朝から出動した隊員たちはいい迷惑だったに違いない。元々神奈川県は左翼と日教組が支配している処で、神奈川県の黒岩祐治知事は、「ルールに基いた形ではなかったということであっても、現場で融通をきかせて近隣の皆様に給水をするといった柔軟な対応もできたという思いがあり、そういった意味で皆様にお詫びをしたいというふうに思っています」と釈明したが、自民党幹事長発言よりもよほど無責任だろう。

二階俊博幹事長が台風19号の被害について「まずまずには収まった」などと発言したとして、何でも反対組の野党が反発して波紋が広がっているが、隠された発言の全文を見ると「予測されて、いろいろ言われていたことから比べると、まずまずには収まったという感じですけどそれでも相当の被害が広範に及んでいるわけでありますから」と続いていて、いつものように一部を切り取って問題にする野党が得意とするメディアとの連係プレーであろう。国会で質問していた議員も、元メディア出身者だ。

神奈川県知事もそういう立場にいた方だ。千葉県知事も同じような立場の方だが、何となく、知事の有事における指導能力に不安を感じざるを得ない。

友人から、【「あいちトリエンナーレ」でも明らかになった左翼に巣食う朝鮮勢力と擁護する朝日・毎日・東京各紙やテレビ局、さらには政治信条を隠して自民党に潜り込んでいた大村知事や石破茂など反日勢力が漸くあぶり出されてきました】とメールが来たが、確かにそんな気がする。

別の友人は【台風19号の被害では左翼勢力の強い自治体に特に大きな被害が出たように思えます。脱ダム宣言の長野、多摩川では景観が大事だと堤防に反対していた場所が冠水するなど、左翼は公共工事は無駄だと反対し切り捨てた結果が「コンクリートから人柱へ」でしたから】と言ってきたが、選挙に勝ってグラス片手にいい気分で支持者に囲まれ続けていると誰でも「裸の王様」になりかねないものだ。

処で、八ッ場ダムに限らず、水に恵まれた我が国では、身近な川でも氾濫する。昭和49年9月に、台風16号多摩川の左岸の堤防が決壊して、狛江市の民家19棟が、次々に濁流に呑み込まれていくシーンを見た時は、同じ区内に住んでいたので衝撃を受けたものだ。

だから一概に“左翼政権”の責任だとは決めつけられない。

ダイアモンド・ オンラインにノンフィクションライターの窪田順生氏が、「多摩川氾濫はやはり「人災」だ、忘れられた明治・大正・昭和の教訓」と言う文の中で、今回の台風で氾濫した二子玉川周辺では

【「こんなことは初めて」というコメントが多く出ているが、歴史を遡れば一度どころか、何度も何度も多摩川は氾濫していることがわかる。人間は大きな自然災害に見舞われても、何十年かすればすぐに忘れる生き物。来ることは「確実」と言われている首都直下型地震南海トラフ地震についても、今一度、歴史を謙虚に検討してみる必要がある。それを象徴するのが今回、河川氾濫が起きてしまった「堤防のない区間」の整備に、反対していた方たちの主張である】として、国土交通省京浜河川事務所が昨年9月に催した住民説明会で、今回氾濫した場所についてどうすべきかということに対して、「手をつけない、そもそも何百年に1度起こるかどうかわからない河川氾濫を心配しすぎるのはおかしい 等」という住民の声が寄せられている、ことを紹介している。

そして【深刻なのはこのエリアで「河川氾濫なんて心配しすぎだって」と思っていたのが、「堤防反対派」の住民だけではないということだ。

 断っておくが、「二子玉の住民は危機意識が薄い」とか「日本人は平和ボケだ」とか主張したいわけではない。この100年ちょっとの間で、繰り返し繰り返し、自然災害に遭って、時には甚大な被害も出ているという「歴史の教訓」があっても結局、人は自分自身で実際に体験してみた範囲の「危険」しか想像することができない

そして【この地で被害に遭った多くの住民に、そんな古いことまで知っている人は少ない。ここは1972年と76年にも大きな水害に襲われているのだが、その後にできた住宅地に引っ越してきた「新住民」も多いからだ。このように「土地の因縁を知らない」ことが被害拡大を招いたケースは、枚挙にいとまがない。誤解を恐れずに言えば、われわれは「被災する」→「被災者が後世の人々にこの危険を忘れるなと警告する」→「時間が経って忘れる」、そしてまた「被災する」に戻るというサイクルを、エンドレスリピートしてきた民族なのだ。・・・ただ、日本人の「忘れっぽい」という気質を踏まえると、このあたりの議論も「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、いつの間にやら人々の記憶から消えて「ま、とにかく気をつけようよ」なんて当たり障りのない話に落ち着く可能性が高い】と書き、【災害対策に力を入れるのは結構な話だが、まずはその前に、「歴史に学ぶ」という危機管理の基本中の基本を、日本人一人ひとりが肝に銘じなくてはいけないのではないか】といているのは参考になるだろう。

百人の科学的専門家の意見よりも、一人の古老の体験談が有効なことが多いのだ。その気風がこの国から失われてきたのも災害が減らない理由の一つだろう。新興住宅の乱立、核家族で老人が姥捨て山に閉じ込められ、子供たちはスマホ狂い・・・

ところで資料整理中に、面白い“過去の記事”を見つけた。

 

己の立場を優先し、国民を利用し使い捨てにする、政治家の無責任さの実例と、憲法で保障されていない自衛隊を、地方自治体が酷使する実態である。

災害と同じく、政治家の行動も、今も昔も少しも変わっていない事が良くわかる。

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平成8年8月26日・毎日新聞

「かくも長き忘却」外信部長・河内孝

 

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平成8年8月16日・毎日新聞

 

届いた雑誌のご紹介

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軍事研究11月号

 

治山治水もままならぬ現状では、最も恐れるべき”侵略行為”に対処する能力がある者は、限定されてくると思われる。

今回話題になった地方首長らではとても対処できまい。次の世界では、想定外の戦法が主力になり、マニュアル通りにしか物事を進められない者は無用になるだろう。

現状を見ているだけでも、「〇鹿な大将敵より怖い!」を実感しているくらいだから…