軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

台風19号の襲来

大型で強い台風19号は、東海、関東地方を中心に激しい雨を長時間降らせ、河川の氾濫や、土砂災害などを引き起こし、30人以上の死者と多くの行方不明者を出した。

 気象庁の予報課長は、今回の台風は「中心の北側に非常に発達した広い雨雲があり、記録的大雨となった」と説明したが、名古屋大の坪木教授は「記録的な大雨を降らせたのは、台風が大型で非常に強い勢力を保って本州に接近したから」で、発生から発達、接近までは「驚くべき経過をたどった」とそのメカニズムを解説している。そして千葉県に大きな被害を与えた“コンパクト”な台風15号とは、この最初の段階が大きく違うと指摘している。

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 14日の産経抄子が書いたように、官民ともに“硬直”した考えに捉われ、自主的に行動できないところが目立つ。そこで国民も、依頼心が強くなり、自主判断力が落ちている気がする。「便利=不便」の裏返しを知り、もう少し現実を見つめたらどうだろう?

 関係者は、3・11以降なんでも「想定外」と言って済ます癖が出来たが、本当は「想定できない=考えたくない」からではないか?

 今回気象庁は、はるか以前から警告していた。国防と同じく、結局最後は自分自身の決断力に因る以外にはないのだ。

 

 処で何故関東地方を直撃したのかと言う疑問について気象庁は「太平洋高気圧が例年より強く張り出しており、その縁を回るように北上した後、偏西風の影響で東に進路を変えたためだと言う。前述の坪木教授は「10月に上陸すること自体は過去にもある。今回は関東で、過去最強クラスの台風だったことが特別だ」と語っているが、私は前回のブログで危惧したように、その経路図から見て“非科学的”な感覚に捉われ、太平洋上で戦没され、戦後はご遺族以外には見向きもされなくなっている“怒れる英霊の御帰還”のように感じている。

 たまたまとはいえ、17~20日は、創建150周年を迎える靖国神社の秋季例大祭だが、首相は早々に靖国神社の秋季例大祭への参拝を見送り真榊奉納にとどめることを公表していた。

 さらに今年は御代替わりで22日には新天皇即位の礼が行われ祝賀パレードも計画されている。その直前に、太平洋上を周遊していた19号が、直接北上して本州に上陸したのだから、英霊に申し訳なく感じている一老兵としては、そこに“精神的な理由”を感じるのである。

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 たまたま14日の産経に首相は自衛隊殉職隊員追悼式に出席して「遺志を受け継ぐ…」と追悼の辞を述べたとあった。元自衛官の一人としてはありがたい事に変わりはないが、自衛官は正規の軍人ではなく“国家公務員特別職”に過ぎない。優先すべきは陛下の赤子であり正規の“軍人”であった英霊方の筈だから、英霊方にとっては聊か馴染みにくいのではないか?と同情に耐えない。

 いずれにせよ、これらは一老兵の“精神世界観”に過ぎないが、今の日本人に、先の大戦で散華された英霊方に対する鎮魂の意志が弱い気がしてならないのである。

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 ついでだが、同じ産経6面に、今回の台風被害について「日本打ちのめした」と各国で詳報されていると言う。この程度のことで、打ちのめされる日本人ではないが、外国に言われる筋はない。悪げはないと思うが、自国の政治力がピントはずれなだけに、ついつい腹が立ってしまう。前回の15号も、今回の19号も、官民ともに幹部たちは金儲けに懸命で、意思の弱さを他人のせいにする傾向があると感じるのは、産経抄子の言うとおりだろう。

 これも、自国の国防について毅然とした信念が持てない、いい加減な「新憲法」にすがって生きてきた民族の悲哀か?とも考えてしまう。

 フーヴァー研究所の西教授は、【「国防」は日本国民が一番苦手な話だ。日本の運命、死活がかかっているというのに、日本政府も国民も考えたくない、「手を汚したくない」と思い、懸命に無視しようとしているのが「国防」だ】と喝破している。

 そのくせ、役人たちは最後の最後には「実力がある警察、消防、そして自衛隊」にすがりつく有様だから、気の毒なのは後始末させられている後輩たちだ。

 せめて政府は”万全の態勢”などと口先で言うだけではなく、人的戦力の増員を進めたらいかがか?と思うのだが。

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